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ウクライナ侵攻、本当の始まりはどこか?スロバキアの写真家からの問いかけ

石戸諭記者 / ノンフィクションライター
露がウクライナ侵攻 露軍、東部ドネツク州に攻勢(写真:ロイター/アフロ)

写真家の問い

 ロシアによるウクライナ侵攻は世界に大きな衝撃を与えた。では、戦争はいつから始まっていたと考えるべきか?

「それは《ドネツク人民共和国》を自称する国家が誕生した2014年前後と見てもいいかもしれない」

 スロバキアの写真家、ユライ・ムラヴェツ・ジュニアは淡々と語る。2015年、ウクライナ・キーウから親ロシア派の支配地域に入ったムラヴェツはカメラを回し、そこに生きる人々の声を記録した。一体何が見えてきたのか。

 彼の取材は8月6日から都内で公開が始まったドキュメンタリー映画「ウクライナから平和を叫ぶ~Peace to You All~」にまとめられた。「ドネツク人民共和国」の中で、何が起きたのか。彼の取材姿勢は公式ホームページの中の一文に集約されている。

《ドネツク側では、戦場に参加した鉱夫と参加しなかった鉱夫、ウクライナ兵にスパイと間違えられ拘束された人、「プーチンに助けてほしい」と言う女性、ウクライナ側では、大佐、手榴弾で手足を失った退役軍人、老女、子供、ホームレスなど幅広い人の証言を網羅》したのだ。

タイムマシンとしてのドキュメンタリー

 「現在」のウクライナを取材したばかりのムラヴェツは、私のインタビューにこう語る。

 「今回の戦争は、2010年代の戦争が新しいフェーズに入ったのであって、新しく戦争が始まったわけではないと思うのです。この映画はタイムマシンに乗っているようなものです。

 私はもともと、旧ソ連に興味があって、旧ソ連が崩壊した後の地域や、人々の姿を取材していました。その中で、ウクライナからの分離独立を宣言した地域が出たというニュースに興味を覚えて、ドネツクに向かったのです。私の取材意図は、今回取材した人々を数年後にもう一度訪ねて、そこに何か進歩があったのか、何か変化があったのかを聞くというものでした。

 私が取材を始めた2015年には普通に入ることができました。車で回りながら、住民にインタビューをするという形で取材を始めたのです。地域も人々も、旧ソ連の多くの地域と変わらないというか、共通するものがあると思ったのです」

 ところが、計画は頓挫する。彼は2016年にプロパガンダジャーナリストというレッテルを貼られてしまい、ドネツク側に入ることができなくなった。

「なぜ私がプロパガンダジャーナリストになってしまったかは正直、よくわかりません。私の作品が原因になっているとは思えません。なぜなら、私はその時点で作品を発表していないからです。

 彼らは2014年〜15年は積極的に受け入れていました。ところが西側の記者からはポジティブな報道がでなかったことで、彼らは方針を変えた。私が何かをやったというよりは、当時、入国していた取材者を機械的な判断で一律に入国できなくなってしてしまったと捉えています。もしかしたらフェイスブックをチェックしていたのかもしれませんが、明確な理由はわからないままです」

 それが映画にはプラスの方向に作用した。ウクライナ側の人々も取材することで、問題をより立体的に捉えることになったからだ。紛争の当事者同士、対立する人々の声を拾い上げることで、現在のウクライナ情勢の背景を浮き彫りにする作品に昇華した。

「取材ができなくなっても、さほど悲観はしませんでした。ウクライナ側からみても、ドネツク周辺はとても興味深いエリアです。私にとっては、幅広く取材することができて、ラッキーでもありました。

 自分が歴史を記録することができて、とても幸運でした。自分の嗅覚が働いたことがよかったと思います。ここには、歴史の始まりが記録されていると思うのです」

記者 / ノンフィクションライター

1984年、東京都生まれ。2006年に立命館大学法学部を卒業し、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部。デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして活躍している。2011年3月11日からの歴史を生きる「個人」を記した著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を出版する。デビュー作でありながら読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど各メディアで高い評価を得る。

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