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台湾海峡で対立しても「関係維持」を目指す意味――CIA長官の中国極秘訪問

六辻彰二国際政治学者
CIAのウィリアム・バーンズ長官(2021.2.24)(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
  • CIAのバーンズ長官が先月、極秘に中国を訪問し、情報担当者らと協議していたことが明らかになった。
  • バイデン政権のもとで行われた高官の協議としては、最もハイクラスのものである。
  • バーンズ訪中は「緊張がエスカレートしているからこそコミュニケーションを絶やさない」という意志の現れといえる。

 台湾海峡で緊張がエスカレートしているが、その一方で米中が緊張緩和に向けて動いていることは、国際政治のリアルを浮き彫りにする。

「前提条件なしにかかわる」

 台湾海峡で6月3日、中国の艦船が米海軍の艦船に急接近し、アメリカは「危険な行為」を批判した。翌日、中国の李尚福国防相は台湾有事が「壊滅的な結果を招く」と警告を発した。

 このニュースは世界をかけ巡り、「米中対立のエスカレート」を印象づけた。

 ただし、注意すべきは、メディアの多くがほとんど報じないが、米中間でこうした偶発的な衝突のリスクを軽減する取り組みもすでに始まっていることだ。

 米中の艦船がニアミスした前日の6月2日、英紙フィナンシャル・タイムズはアメリカ政府の複数の高官が匿名を条件に明らかにした話として、CIA(中央情報局)のウィリアム・バーンズ長官が先月、極秘で中国を訪問していたと報じた。それによると、バーンズは中国の情報・安全保障部門の担当者と会談し、コミュニケーション維持の重要性を協議したという。

 CIA長官はアメリカ最大の情報機関のボスだ。その極秘訪中そのものが「対立がエスカレートしても関係は遮断しない」というアメリカ政府の強い意志を象徴する

 米中間ではこれまでハイクラスの実質的な会談はほとんど行われてこなかった。

 昨年11月、G20サミットが開催されたインドネシアでバイデン大統領と習近平国家主席は初めて直接会談した。

 しかしその後、今年2月に予定されていたアンソニー・ブリンケン国務長官の訪中は「気球騒動」でキャンセルになった。また、ロイド・オースティン国防長官も2月にシンガポールで開催されたアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアログ)で李尚福国防相と言葉を交わしたものの、実質的な話はなかったという。

 そのため今回のバーンズ訪中は首脳同士の会談以降、最も高いレベルの協議である。

 フィナンシャル・タイムズがバーンズ訪中を報じた日、安全保障担当のジェイク・サリバン補佐官は「競争をマネージし、競争が紛争にならないようにするため、我々は前提条件なしに中国とかかわる(engage)用意がある」と述べた。

没交渉という脅威

 関係が悪いからこそコミュニケーションを絶やさない、というのは冷戦時代の教訓だ。

 1962年のキューバ危機で核戦争の淵に足を踏み入れた後、アメリカ大統領とソ連共産党書記長をつなぐ電話回線「ホットライン」が敷設された。これは現在も残っている。

 同様に、ウクライナ戦争で公式の外交関係がほぼ遮断された現在でも、NATO司令官とロシア軍参謀総長の間の連絡回線は開いている。

 そこには「仲良くなれないのは仕方ないが、正面衝突はお互いにとって最悪の結果である。没交渉によって疑心暗鬼に陥り、偶発的な衝突や誤解によって正面衝突を招くのを避けなければならない」という判断がある。

キューバ危機の最中にホワイトハウスで執務するJ.F.ケネディ大統領(1962.10.23)。この後、米ソ首脳がいつでも連絡をとれるホットラインが敷設された。
キューバ危機の最中にホワイトハウスで執務するJ.F.ケネディ大統領(1962.10.23)。この後、米ソ首脳がいつでも連絡をとれるホットラインが敷設された。写真:The White House/John F. Kennedy Presidential Library/ロイター/アフロ

 つまり、国際会議など目立つ場所で、国民やメディアを意識してお互いにハデに非難罵倒しあっても、その裏で実質的なコミュニケーション回路を維持するのは外交、とりわけ大国間の外交ではむしろ当然で、必要なことでもあるのだ。

 しかし、ロシアと比べて中国の場合、要人同士の直接の交流を望む傾向が強いこともあって、アメリカには常に連絡をとる手段が乏しい。だからこそ、バーンズ訪中の意味は大きいといえる。

 そのバーンズ訪中が公式に発表されなかったのは、アメリカ国内の反中世論に配慮したものとみられる。世論は無視できないとしても、世論にしばられれば外交は成り立たない、ということだ。

ジュネーブで開催されたイランの核問題に関する協議に国務省次席として出席するバーンズ(2010.10.6)。隣に見えているのは中国の外交部国際司長だった呉海龍。
ジュネーブで開催されたイランの核問題に関する協議に国務省次席として出席するバーンズ(2010.10.6)。隣に見えているのは中国の外交部国際司長だった呉海龍。写真:ロイター/アフロ

バーンズとは何者か

 ここでバーンズ長官について少し触れておこう。

 1956年生まれのバーンズはブッシュJr政権、オバマ政権などで外交官としてキャリアを積んだ。中東やロシアで長く勤務した経験から、2015年の歴史的なイラン核合意では国務省次席としてアメリカの実質的な責任者を務めた。

 その外交官としての顕著な実績により各国で受勲しており、日本政府も2018年に旭日大勲章を授与している。

 民主、共和それぞれの政権で勤務したバーンズはバランスの良さ、堅実さが持ち味といえる。

 例えば、ウクライナのNATO加盟には15年以上前から「ロシアのレッドライン」と反対してきた。そこに賛否はあっても、指摘そのものは現実的といえる。

 バイデンの信任は厚く、これまでもデリケートな場面での活動が多かった。フィナンシャル・タイムズによると、ウクライナ侵攻直前の2021年暮れにロシアを訪問したり、昨年8月に台湾訪問を予定していたナンシー・ペロシ下院議長(当時)に「緊張を高める」と中止を要請したりしたという。

「わざわざ訪問する」意味

 このバーンズ訪中は米中間のコミュニケーションの糸口になるとみられるわけだが、ここで重要なのは手法である。

 というのは、極秘の直接訪問は中国を協議に向かわせるための、中国が断りづらい形式だったといえるからだ。

 今回のバーンズ訪中は米中に国交がなかった1971年、ヘンリー・キッシンジャー補佐官が極秘で北京を訪問し、翌年の電撃的なニクソン訪中のお膳立てをしたことを思い起こさせる。

温家宝総理(当時)と並ぶヘンリー・キッシンジャー(2009.1.13)。キッシンジャーは国家安全保障補佐官として1971年7月、極秘に北京を訪問して翌年のニクソン訪中の道を開いた。
温家宝総理(当時)と並ぶヘンリー・キッシンジャー(2009.1.13)。キッシンジャーは国家安全保障補佐官として1971年7月、極秘に北京を訪問して翌年のニクソン訪中の道を開いた。写真:ロイター/アフロ

 ハイクラスの要人がわざわざ訪問したいといえば、メンツを重視する中国政府は「礼を失した」とみなされないよう、これを受け入れざるを得ない。これが中国にとっても悪くない話であるから、なおさらだ。

 現在の米中関係を一言で言えば、「一方的にあれこれ言うアメリカは無礼」というのが中国側の言い分だ。

 もちろん、中国にとってもアメリカとの関係悪化は懸念が大きい。とはいえ、簡単に協議を再開することもできない。これまでナショナリズムや大国意識を国内に向けて煽ってきたため、いわば中国政府は自分の手足を縛った格好にあるからだ。

 つまり、中国政府にとってもバーンズ訪中は「渡りに船」といえるが、アメリカ政府要人を迎えたことは国民にあまり知られたくない。だからこそ、中国メディアはバーンズ訪中についてほぼ全く触れないのである。

米下院公聴会に出席するバーンズ(2022.3.8)。
米下院公聴会に出席するバーンズ(2022.3.8)。写真:ロイター/アフロ

 米シンクタンク、カーネギー・チャイナのポール・ヘンル博士はバーンズについて「中国の政治家や官僚は彼をよく知っていて、信頼できる対話者とみなしている…彼の静かで控えめなアプローチは中国にとっても望ましいものだ」と述べている。

 この観点からみれば、フィナンシャル・タイムズの報道があった直後に台湾海峡で緊張が高まったことは、単純に偶発的な出来事である可能性もあるが、「協議をするとしてもアメリカのペースでは進めない」という中国のメッセージとも理解できる。

問題の仕分けと関係維持

 バーンズ訪中は米中対立の一般的イメージとはかけ離れたものかもしれないが、国際政治のリアルを象徴するものともいえる。

 バーンズ長官とともにバイデンの懐刀といえるサリバン補佐官も5月、オーストリアのウィーンで中国共産党政治局(中国の最高意思決定機関)メンバーや外交を統括する王毅氏と、やはり極秘のうちに会談していた。

英コーンウォールで開催されたG7サミットの会場でバイデン大統領と並んで歩くサリバン補佐官(2021.6.13)。バーンズとともに外交・安全保障面でバイデンの懐刀と目される。
英コーンウォールで開催されたG7サミットの会場でバイデン大統領と並んで歩くサリバン補佐官(2021.6.13)。バーンズとともに外交・安全保障面でバイデンの懐刀と目される。写真:代表撮影/ロイター/アフロ

 そのサリバンはバーンズ訪中に関する報道があった2日、公演で「問題を仕分け(compartmentalize)する必要」を強調した。つまり、台湾問題をはじめ貿易や人権など米中間には数多くの問題が山積しているが、一つの問題によって全てが停滞するのは避けなければならない、ということだ。

 言い換えると、意見の一致しない問題では対立するとしても、関係そのものの維持を大前提にする方針である。

 いくら気に入らなくても、迷惑な隣人と異なり、引っ越して済ますことはできない。また、お互いの経済的利益も捨てがたい。だとすると、せめて正面衝突というお互いにとって最悪の事態を避けるため、相手とかかわり続けることは合理的な判断といえるだろう。

 米中の艦船のニアミスと異なり、こうした地味なテーマはどこの国でもほとんどのメディアがあまり熱心に取り上げない。

 しかし、片手で中指を立てながら、もう一方の手で握手するという複雑さこそ国際政治の機微なのだ。それを見落とすことは、ドラマの伏線に気づかないまま最終回に「どういうこと?」と首を傾げる視聴者と同じく、世界の変化を捉え損なうことになるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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