日パキスタン国交70周年「関係は青天井」 日本在住者10年で2倍 震災支援や中古車、ハラールで貢献

日本とパキスタンの国交樹立70年を祝う式典が28日、都内のホテルで開かれた。両国首脳によるメッセージのほか、日本に移り住んできたパキスタン人の歴史や実情が紹介された。会場にはパキスタンと取引のある企業関係者や在日パキスタン人らが集まり、70年の節目に親交を深め、さらなる友好関係の発展を誓い合った。
礼拝でスタート
夕刻、式典の開始に際し、パキスタンの国教・イスラム教で義務付けられている礼拝が呼びかけられた。聖地メッカの方向へと祈りを捧げるとともに、間もなくのラマダン月終了を踏まえ、互いの健康をたたえ合った。新型コロナウイルスへの感染対策が求められる中、みなマスクを着用していた。
その後、同国のシャバズ・シャリフ首相がビデオメッセージで両国関係の歴史に触れつつ、日本企業への投資を呼びかけた。英語でのメッセージだったが、最後は「ゼンダバード」(万歳)とウルドゥー語で締め括った(以下、概要)。
パキスタンと日本は古くからの友人であり、特別な絆で結ばれている。国交を樹立した1952年以来、私たちは共に長い道のりを歩んできた。両国間でこのような歴史的な機会を記念するイベントを開催でき、嬉しく思う。
パキスタンの人びとは、日本と日本の方々に対して深い感情を抱いている。日本は世界のリーダーであり、科学技術分野における先進国だ。日本は並外れた成果を上げ、発展途上国が模範とするモデルになった。
2国間関係の中心にあるのは経済だ。日本はパキスタンの主要な開発パートナーであり、投資家である。パキスタンは、パキスタンへの投資で利益を得る日本企業を歓迎する。
パキスタンは国際協力構築を通じて日本から支援を受けてきた。プロジェクトはパキスタンで多くの善意を生み出した。
パキスタンは、2010年の洪水や2005年の地震などの自然災害の際に、日本から受けた支援を忘れない。日本の方々へ感謝と敬意を申し上げる。
この絆を将来に向けて前進させ、様々な分野で新たなパートナーシップを築きたい。経済、文化、観光、投資、人々の交流といった分野での絆を深め、相互に有益な協力の新しい道を模索し続けたい。
次の70年間には、2国間関係を新たなレベルへ引き上げ、両国の利益、ならびに地域の平和、進歩、繁栄をもたらすことができると確信している。
パキスタンと日本に万歳。

続いて岸田文雄首相のメッセージが、本田太郎外務政務官によって代読された(以下、概要)。
1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効して独立を回復し、まさにその日にパキスタンと外交関係を樹立した。それから70年、この記念すべき日をお祝いできることを大変嬉しく思う。
日本とパキスタンはこれまで互いに困難な時には手を差し伸べ合いながら、長年にわたって友好関係を育んできた。戦後、パキスタンが日本に輸出した綿花は日本の繊維産業の支えとなり、日本の戦後復興を大きく後押しした。
一方、日本はこれまでパキスタンに対し、水、保健、教育、防災など日本が得意とする分野で継続的に支援を行ってきた。
両国はともに災害の多い国でもあり、パキスタンが2005年の大地震、2010年の大洪水に見舞われた際、日本は国際緊急援助隊を派遣するとともに円借款や無償資金協力を行った。
2011年に東日本大震災が発生した際には、ミルクやビスケットを送っていただいたほか、日本にいるパキスタン人の方々も被災地で炊き出しなど支援をしてくださった。最近では昨年8月、アフガニスタンの情勢が悪化した際、現地に残る法人や日本大使館、JICA職員の出国のために多大なる協力をいただいた。
パキスタンはアジアと中東を結ぶ要衝にあり、地域の安定のみならず国際テロ対策における最重要国の一つだ。自由で開かれたアジア太平洋の実現に向け、日本パキスタン間でもぜひ協力していきたい。
両国の繁栄と両国国民の友好関係のさらなる深化を心から祈念申し上げる。
シュクリヤ(ありがとうございます)
(関連記事:「駆け付けぬ選択肢はなかった 東京のイスラム教徒、炊き出しなど100回超」)
コロナ禍でも伸長
駐日パキスタン大使館も祝意を表し、「2022年以降も友愛関係は青天井だと楽観視している。この素晴らしい関係をさらに発展させ、様々な分野で新たなパートナシップを築いていきたい」と期待を表明。「日本はパキスタンにとって重要な開発パートナー、主要投資国、重要な輸出先。パキスタンの対日輸出は過去3年間増加傾向にあり、2021-22会計年度にはCovid-19にもかかわらず、指数関数的な伸びを示した」と説明した。
一方、日本国内に1万9000人ほどのパキスタン人とそのコミュニティが存在するとし、「彼らは中古車輸出、カーペット取引、ハラール食品の輸出のパイオニア的存在であり、今も日本経済への重要な貢献者だ」と強調した。
政府の在留外国人統計(旧登録外国人統計)によると、外交関係樹立後まもなくは日本に数十人しかいなかったパキスタン人は2009年に1万人を超え、今や2万人に迫る勢いだ。

富山県射水市など各地にコミュニティができ、埼玉県八潮市の一部地域はパキスタンの料理店などが並び、パキスタン人の多さから「八潮(ヤシオ)スタン」と呼ばれるほどだ。
全国から参集、特産品も展示
会場には、パキスタンと取引のある商社などの企業関係者や政府関係者、日本でレストランや中古車輸出などを手掛ける在日パキスタン人など数百人が集まり、70周年を祝った。パキスタン人の社長が経営する大阪の貿易会社の社員など、関係者が各地から駆けつけ、パキスタン人ネットワークが全国に広がっていることをうかがわせた。
パキスタンなどの民族楽器ラバーブ(Rubab)の演奏家ウエダタカユキさんが音楽を披露したり、パキスタン特産の絨毯やピンク色の岩塩などが展示されたりした。

そのほか、ナンやロティ、デザートのジャレビなどパキスタン料理が振る舞われ、参加者は舌鼓を打ちつつ、両国のビジネスや文化の発展を確かめ合った。

(写真はいずれも筆者撮影)