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トランプ大統領の昨今の言動から考える民主制と人間の問題…その再考と再構築の必要性

鈴木崇弘政策研究者、PHP総研特任フェロー
米国の民主主義は再構築できるか?(写真:ロイター/アフロ)

 民主主義、否、より正確には「民主制(デモクラシー)」は、各革命やクーデター、テロリズムなどに起きがちな暴力や流血の惨事を起こすことなく、選挙などを通じて、平和裏かつ合法的に政治的な体制を転換できる、人類が長い歴史を通じて発明してきた、政治制度だ。よりわかりやすくいえば、平和的に「革命」(注1)を行う政治の仕組みだ。

 また、民主制は、「Battle of Ideas(アイデアの闘い)」ともいわれ、政治的決定や政策形成の過程において、様々な立場や政治価値のあるアクターやプレイヤーが関わり、多種多様な意見や考え方が提出され、議論・協議され、時に競争・抗争し、時に妥協や調整がなされて、最終的な結論が出されるものだ。

 しかしながら、この仕組みで最も重要なのは、いかなる結論や結果であれ、最終的に出されたものは、それに関わった全てのアクターやプレイヤーが受け入れるということだ。その意味では、民主主義においては、様々なことを議題に挙げることができる「結論に至る過程(プロセス)」こそが重要なのだ。

 そのようなことを考えると、今現在米国で起きている状況は、非常に示唆的であると共に、民主制の本来の流れ(人類が長い歴史を通じて生み出してきた英知ともいえるもの)に反するように感じざるを得ない。もちろん人類の歴史は、失敗と修正の歴史でもあるので、必要によっては大きく変更することがあっていいわけであるが。

 ドナルド・トランプ大統領は、先の大統領選挙において不正があり、「勝利したのは自分だ」という主張を変えず、正式な敗北宣言を出すことを今も拒み続けている。そして、去る1月6日、連邦議会で大統領選挙の投票結果を認証する両院合同会議の開催の最中に、同大統領が議事堂のへのデモを煽った結果、選挙に不正があったと主張するトランプ大統領の支持者が議事堂に乱入し、死者が出る事件が起こった。トランプ大統領は、その後、その暴力行為を批判し、自己の責任を否定した(注2)。

トランプ支持者が連邦議会に侵入
トランプ支持者が連邦議会に侵入写真:ロイター/アフロ

 色々なメディア等をみると、選挙に不正があったという記述もあるが、選挙不正に関する各地での訴訟は却下されているのが現状だ。しかも、トランプ大統領は、自身が権力の側にあるという有利な立場にあり、もし不正が事実なら事前にも何らかの対応をとることも可能だったと考えられるわけであるが、そのようなことを必ずしもせず、敗北が濃厚になりだした頃から特に、「選挙不正」との主張を声高にするようになった感がある。

 また、大統領のキャラクターからすると負けを認めたくないという気持ちは容易に想像できる。筆者も政治や政策に少しは関わった経験からすると、自身の行動や信じていることへの強い思い入れは理解できるし、それが受け入れられなかった場合の喪失感や失望・失意、悔しさも非常に理解できる。

 だが、民主制とは、それらのことも飲み込んで、結果を受け入れることなのではないだろうか。そしてもしその結果が何としても受け入れられないのであれば、次の機会に捲土重来するか、新しい機会を自分で創り出していくしかないのではないかと考える。

 その意味からも、俳優で元カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツネッガー氏の動画に関する記事「シュワルツェネッガーさん『全ては嘘から始まった』。議会襲撃とナチス重ねたスピーチが胸を打つ【全文】」(國崎万智 Huffington Post 2021年01月12日)は非常に刺激的だといえる(注3)。

 上述したような米国民主制とそこにおける政治リーダーについて考える中で、一つの非常に興味深い著書を読む機会があった。

それは、精神医学者であるナシア・ガミーによる著書『一流の狂気 : 心の病がリーダーを強くする』である。

 同書は、心理学的歴史学というアプローチから、リンカーン、ケネディ、チャーチル、ガンディーなどの具体的なリーダーの政治的決定や判断と精神疾患との関連性を論じている。その論考を通じて、狂気・精神障害と正気・健康とは実は繋がっており、決して別の存在でないことがわかる(注4)。つまり、それらは単純な二分法では判断できないのだ。

 そのような観点から気になった文章を、いくつかピック・アップしておきたい。

・「危機の時代の最良のリーダーは、精神的に病気であるか、精神的に異常であるかのどちらかである。危機の時代の最悪のリーダーは、精神的に健康である。」

・「『異常』であればつねに問題であるなどということはなく、『正常』とは本来的に利点であるということもないのである。」

・「マハトマ・ガンディーとマルティン・ルーサー・キングは、抑うつアクティビズム(うつ病によって得られる深いエンパシーを行動に表すこと)の出発点と到達点を歴史に刻んだ巨星である。」(注5)

・「私たちのなかでも最も健康な者のうちにも暴力が潜んでいる。」

・「私たちはホモクリット(平凡人)の心理に潜んでいる危険を過小評価してはいけない」

・「平凡なホモクリット的リーダーたちがいなかったらとしたら、ナチの大量殺人は決して起こらなかったはずなのだ。」

・「民主国家ではリーダーの権力を制限するために二つの方法を使っている。一つは任期の制限であり、もう一つは『抑制と均衡(チェック・アンド・バランス)』である。しかしこういったやり方だけでは必ずしも十分ではない場合もある。ヒュブリス症候群(注6)へのもう一つの有効な対処法は、精神的にそれほど健康とはいえないリーダーを選ぶことなのかもしれない。うつ病を経験したことのある人たちは、うつ病患者特有の現実的なものの見方を獲得しているという長所をもっている。彼らであれば、権力のゆえに幻想を膨らませてしまうという状態が起こるのをその特有のリアリズムによって防ぐことができるだろう。」       

 このような論点や指摘を踏まえると、従来の「健康であること」や「正常であること」が正しいという私たちの一般的な基準が、実はいかに間違っており、現実に適していないかという気持ちにもなる。そして、危険性や暴力が潜む健康で平凡な私たちが主権者として代表者を選べる仕組みである(間接)民主制という仕組みが、人間が構成する実社会において果たしてうまく機能できるのだろうかという疑問が湧くし、その危うさを感じざるを得ないのである(注7)。また昨今のメディアや世論・社会が政治リーダーに求める人格や高潔さ、健康さというものも、人間というものの存在を考えた場合にミスリーディングな議論であるような気がしてくる。

 そしてその結果として、筆者は、同書の著者であるガミー氏が、上述したような言動のトランプ大統領をどのように評価するのか、さらにまた、現在の日本はある意味危機的状況つまり平時ではなく有事の状態にあるといえると思うのだが、コロナ対応においてあまりに冷静でかつエンパシーを感じさせない菅義偉首相の政治的な動きをどのように評価するのかについても聞いてみたい気持ちになる。

 近年、民主制をとる国や社会で多くの問題や課題が噴出し、社会全体が揺らぎ、疑問も生まれている。他方で、専制国家などへの評価も国際的に一部生まれてきている。

 このような中、トランプ大統領の今般の動きや上で紹介した著者の視点なども踏まえて、民主主義・民主制(デモクラシー)の在り方やその制度設計の再考や再構築が必要になってきていると、強く感じざるを得ないのである。

(注1)「革命」とは、「一般的な意味においては、統治体制が急激かつ根底的に変革されること。通常は超法規的に進行し,しばしば武装した大衆,あるいは軍隊の一部による実力の行使を伴う。」(出典:ブリタニカ国際大百科事典・小項目事典より抜粋)

(注2)トランプ大統領が、弾劾されるべきか否かは別にしても、筆者の立場からすれば、少なくとも「道義的責任」はあると思うところだ。

(注3)この動画の内容と次に紹介する著書の主張とは相いれない部分もあるように感じるが、現実の人間や社会の実際は、その相矛盾するような要素から成り立っているのだろう。

(注4)この点については、筆者は、自身の経験等からも、障害者と健常者も、同様に別の存在ではなく、繋がった存在であり、その違いは実は非常にファジーであると考えている。

(注5)「エンパシー(empathy)」は、「共感、感情移入、自己移入、自己投影」を意味し、観察対象への自己の投影を表す「感情移入」から来ている。それに似た言葉としては、「sympathy (同情、共感、共鳴、賛成)」、「compassion (思いやり、同情、哀れみ、慈悲)」がある。しかしながら、それら3つの単語は、相手の気持ちになって相手のことを思いやるといった感じを意味しているが、明確な違いが存在する。

(注6)同書によると、この「ヒュブリス症候群」とは「傲慢症」であるという。そして、「これは権力のゆえに起こる障害だと彼(英国の元外務大臣で神経内科医でもあったディヴィド・オーウェン)はいう。彼はこの数十年の世界各国の元首級のリーダーたちを観察してきた。彼の考えによると、長い間権力をふるえる状態にいると、ほとんどの者は他人の批判を受け入れたり、自分の信念が世の中にもたらす影響を正確に考慮したりするのがうっとうしくなる。あるいはそうしたことがまったくできなくなってしまう。ヒュブリス症候群の重さは、自分が国を治めている期間やその権力の絶対性に比例する。オーウェンによれば、この症候群には特異的ないくつかの特徴がみられ、それらはうつ病、躁病、あるいはパーソナリティの異常とはまったく関連していない。すなわち、この症候群に陥ったリーダーは、自分の考えと対立する見方を誰かが主張してもそうしたことに反応を示さなくなり、王でるかのように『私』の代わりに『私たち』という一人称代名詞(ロイアル・ウィ)を使って話し、歴史や神によっていずれ自分が正しいと判断されると信じており、民衆の意見を無視し、自分に対する異論を馬鹿にし、自分の信念をその反証が示されても頑固に保持する。」という。

(注7)その視点からした時に、平凡なある男の一票が米国の大統領を決することになり巻き起こる大統領選の混乱を描いた映画「チョイス!(SWING VOTE)」の内容は非常に示唆的である。

政策研究者、PHP総研特任フェロー

東京大学法学部卒。マラヤ大学、米国EWC奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て東京財団設立参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・阪大FRC副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長・教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。経済安全保障経営センター研究主幹等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演多数。最新著は『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか』

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