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石破新首相が言及していた保利文書 解散権濫用を戒め 7条解散が許容される2つのケースとは

楊井人文弁護士
保利茂衆議院議長の遺稿について報じた記事(朝日新聞1979年3月21日)

 石破茂新首相が10月1日、就任後初めての記者会見で、10月9日に衆議院を解散し、総選挙を実施する方針を表明した。総裁選では早期解散に慎重姿勢を見せていただけに、石破氏の言動が一変したことが大きな波紋を呼んでいる。

 石破氏は会見で解散の大義を問われた際、「新内閣が成立したので早く信を問う」ということ以外に明確な説明は行わなかった。

 過去の歴代首相が、就任してすぐに信を問うために解散総選挙を行ってきたという事実はない。首相就任後1ヶ月以内に解散総選挙を行った例は、4年間の任期満了間際に就任した岸田文雄前首相だけだ。石破新首相の場合、任期は1年以上残っており、一定期間の政権運営の後に総選挙を行う選択肢もあった。就任直後の支持率が高いうちに総選挙を実施した方が得策だーという強い政治的思惑が働いた可能性がある。

 石破氏は約3ヶ月前にブログで、解散総選挙は内閣不信任案の可決など「内閣と衆議院の立場の相違が明確となった場合に限り」行われるべきとの持論を述べていた。その際、1978年に保利茂・衆議院議長(当時)が解散権の濫用を戒める趣旨でとりまとめた文書にも言及し「偉大な先輩の知恵を学ぶことの重要性を強く思う」と記していた。

 ただ、保利文書は7条解散を否定していたわけではない。解散総選挙のあり方に関する議論の一助になればと考え、ここに保利文書の全文を掲載することにした。

首相就任後初の記者会見で衆議院の解散日程などについて説明した石破茂新首相(10月1日午後9時すぎ、THE PAGEより)
首相就任後初の記者会見で衆議院の解散日程などについて説明した石破茂新首相(10月1日午後9時すぎ、THE PAGEより)

(筆者作成)
(筆者作成)

「解散権について」と題する保利文書 一定の条件下で7条解散を否定せず

 石破氏がブログ(2024年6月14日)で言及したのは、保利衆議院議長が在任中の1978(昭和53)年7月11日付で作成した文書。

 手書きで「解散について」と題した、B5サイズの縦書き原稿用紙16枚の文書で、大平首相秘書官であった福川伸次氏の寄贈を受け、「大平正芳関係文書」の一つとして国立国会図書館に保管されている。筆者はその文書を直接確認した。

 保利氏はこの文書で「内閣の都合や判断で一方的に衆議院を解散できると考えるのは現行憲法の精神を理解していない」と指摘した上で、憲法7条に基づき解散権を行使できるケースは、(1)内閣不信任案が可決した場合(69条解散)に準じて「国会が混乱し、国政に重大な支障を与えるような場合に、立法府と行政府の関係を正常化するため」に行う場合、もしくは(2)直前の総選挙では明らかになっていなかったような、全く質の異なる、しかも重大な案件が提起され、それが争点となるような場合ーに限られるとの見解を示していた。

 当時の報道によると、保利氏は1977年ごろ、福田赳夫首相周辺から流れ出てきた「早期解散説」に反発し、「議長見解」として公表するつもりでとりまとめたという。1978年7月に作成後、公表しないまま翌年死去したが、その後文書の存在が報じられ、衆議院議長の諮問機関「衆議院議会制度に関する協議会」で取り扱いについて議論が行われた。

 当時、社会党が保利文書の趣旨に沿った国会決議を提案したが、自民党が難色を示し、灘尾弘吉議長(1994年死去)が「保利見解の精神は全く同感だ。今後、行政府にはこの気持ちでやってもらわないと困る」とコメントしたと報じられている(1979年5月10日朝日新聞)。

 保利文書は、その後も国会の場などで、衆議院解散のあり方が問題となるたびに言及されてきた。

 保利文書の全文は以下のとおり。

保利茂衆議院議長の「解散権について」と題する文書全文

解散権について  53.7.11

 明治憲法のもとでも、現行憲法のもとでも、わが国の統治制度は立法、司法、行政の三権分立を原則としてきた。

 しかし天皇主権の明治憲法下では、三権分立とはいっても行政府が優位に立っており、帝国議会は一種の協賛機関に過ぎなかった。従って立法府の状況いかんにかかわらず、行政府・内閣の都合や判断によって帝国議会の解散が行われることも当然のように解されていた。

 ところが天皇主権から国民主権に変った現行憲法では、この間の事情に根本的な変化があった。現行憲法下では立法、司法、行政の三権はいずれが優位ということはなく、平等の原則のもとに抑制と均衡(チェック・アンド・バランス)によってそれぞれの機能を果たしている。

 とくに国会は、単なる協賛機関ではなく、憲法上国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関と明記されている。内閣との関係においても、国会が内閣総理大臣の指名を行うとともに、内閣は行政権の行使について連帯して国会に責任を負うと規定されており、明治憲法時代と異って議院内閣制の建て前が貫かれている。

 これは現在の衆、参両院が、主権者である全国民を代表する選挙された議員で組織されていることに基くもので、国会議員はその任期中、国民の厳粛な信託にこたえて立法その他の機能を誠実に果す責任と義務を負っている。従って内閣に衆議院の解散権があるといっても、明治憲法下の如く、内閣の都合や判断で一方的に衆議院を解散できると考えるのは現行憲法の精神を理解していないもので、適当でない。

 現行憲法下で内閣が衆議院を解散できるのは、憲法第六十九条及び第七条の規定によるものである。

 主権者である国民の直接選挙で選ばれ、同じ憲法上四年間の任期が定められている衆議院議員は、解散によってその任期途中に国民の信託を打ち切られ、改めて信を問わなければならないことになる。解散・総選挙はその意味で議会制民主主義にとって極めて重大な事であるが、それだけに解散は、第一に議員内閣制のもとで立法府と行政府が対立して国政がマヒするようなときに、行政の機能を回復させるための一種の非常手段と考えるべきである。

 例えば衆議院が野党対立で混乱し、国会審議が停滞する、そのため国政に重大な支障が生ずるような場合、内閣として何ともできない状態が続くのでは行政権の行使に困るので、衆議院を解散して民意を問い直すーということなるわけで、他方内閣総辞職という手段もあることは言うまでもない。

 憲法第六十九条は、そうした場合の典型的なケースとして衆議院で内閣不信任案が可決されたとき、あるいは信任案が否決されたとき、内閣は十日以内に総辞職するか、あるいは衆議院を解散できるとしているのである。これは、三権分立のもとで議院内閣制をとり、立法府と行政府に抑制と均衡の機能を持たせている以上、当然のことであるが、このほか、憲法第七条に基き内閣の助言と承認による天皇の国事行為としての解散もありうる。

 それがいわゆる ”七条解散” である。ただ、世間では、一部少数意見と思われるものの、解散は ”六十九条解散” に限定されるべきで、内閣の権限による ”七条解散” は認められるべきないとの説がある。故水田三喜男氏が四十五年二月の代表質問で述べた見解もそれだが、確かに現行憲法下で内閣が勝手に助言と承認をすることによって ”七条解散” を行うことには問題がある。それは憲法の精神を歪曲するものだからである。

 しかし、 ”六十九条解散” でいう不信任案可決とか信任案否決といった典型的な形でなくとも、予算案や内閣の公約である重要案件が否決されたり、審議未了になったりしたときとか、審議が長期間ストップして国会の機能がマヒしたときとか、 ”六十九条解散” と同一視すべき事態もある。しかも異常な事態でありながら、党利党略等で内閣不信任案も提出されないまま国政が渋滞を続けるといった例もなかったわけではなく、そこに内閣による ”七条解散” の意義があると認められる。

 従って ”七条解散” は憲法上容認されるべきであるが、ただその発動は内閣の恣意によるものではなく、あくまで国会が混乱し、国政に重大な支障を与えるような場合に、立法府と行政府の関係を正常化するためのものでなければならない。つまり、 ”七条解散” の底には ”六十九条解散” と同様な精神が流れていなければならないのである。 ”七条解散” の濫用は許されるべきではない。

 もう一つ、衆議院を解散して民意を問うべき第二のケースとして、かつてNHKの討論会で各党幹事長、書記長の意見が一致したものがある。

 それは、その直前の総選挙で各党が明らかにした公約や諸政策にかかわらず、選挙後にそれと全く質の異なる、しかも重大な案件が提起されて、それが争点となるような場合には、改めて国民の判断を求めるのが当然だーということである。

 この点は故江田三郎氏などが強く主張したところと記憶しているが、議会制民主主義のもとで立法その他の国政審議に当って、主権者である国民の意思を反映させることは不可欠の重要事である。そのため選挙後に新たに争点が生じ、それについて改めて民意を問う必要が起きたときは、解散・総選挙の手順を踏むと言うことで暗黙の合意が成立したわけである。

 これは第一のケースとは全く異なる解散理由だが、主権在民、議会制民主主義の観点からみて当然な一つの筋道であり、こうした手順がなければ、正常な国家運営も期しがたいことになると言えよう。

 ひるがえって今日の国会の状況をみると、両院は正常に活動し、その機能は十分に果たされている。話し合いの場である議会としては、混乱による渋滞がなく、審議時間が十分に確保されることが望ましいが、先の第八十四通常国会では、衆議院において本会議四十三時間余、委員会千九百八十六時間余、合計二千三十時間もの正常な審議を行った。国会運営のあり方として、格別に非難されることもなく、まずまずの成果をあげたと言えよう。

 またその結果、政府サイドからみても、政府提出法案八十二件中七十四件、九〇・二%が成立するという十三年ぶりの好成績となった。さらに衆議院では、八年ぶりに廃案零である。立法院と行政府の関係がこれほど円滑だったことは、かつてないと思われるほどである。

 加うるに、民意を問うべき新たな争点も目下のところ見当たらない。

 こういう状況のもとで、巷間衆議院の解散問題が論ぜられるのは全く理解に苦しむ。主権者である国民の直接選挙で選ばれ、国民の厳粛な信託のもとに、国政審議を行う責任と義務を負っている衆議院に対して、特別の理由もないのに、行政府が一方的に解散しようということであれば、それは憲法上の権利の濫用ということになる。衆議院も解散するに当っては、三権分立、議院内閣制のもとにおいてそうせざるを得ないような十分客観的な理由が必要なはずである

 以上のように考えることが正しいとすれば、当節の解散説は国政の根本を誤るものであると断ぜざるを得ない。

(了)

(※ 国会図書館に保管されていた文書。撮影はできなかったが、全文書き写した。送り仮名を含め、表記は全てママとした。太字は筆者)

◆ 保利茂氏とは

1901年12月、佐賀生まれ。戦前は新聞記者を経て、農相秘書官として政界入りし、1944年に衆議院議員初当選。戦後、GHQの公職追放処分を受けるが取り消しとなり、衆議院議員に再選。吉田茂内閣で労働大臣、官房長官、佐藤栄作内閣で建設大臣、官房長官、田中角栄内閣で行政管理庁長官を歴任し、1976年12月~1979年2月まで衆議院議長。1979年3月死去。

※ タイトルを変更しました。(2024/10/2)

弁護士

慶應義塾大学卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHoo運営(2019年解散)。2017年からファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年『ファクトチェックとは何か』出版(共著、尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー受賞)。2022年、衆議院憲法審査会に参考人として出席。2023年、Yahoo!ニュース個人10周年オーサースピリット賞受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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