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天国のタックルマンへ、感謝のコメント

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

もう4年も経つのだ。元日本代表の“炎のタックルマン”、石塚武生さんが、急逝してから。ネットの波をさまよっていたら、形見の石塚さんのブログにぶつかった。少年院を出た子どもの感謝のコメント付きで。

石塚さんは2009年8月6日、「突然死症候群」のため、天国に召された。57歳だった。命日が近付き、友と石塚さんの話になった。まだ生前に書かれたブログが消されずに、残っているという。探した。あった。『石塚武生の続・ラグビーノート・大宇宙』

「2007・7・11」のところには、「水戸の水府学院でタグラグビー教室を行いました」とあった。水府学院とは茨城県の初等・中等少年院で、茨城県水戸生涯学習センターの協力のもと、石塚さんが院内の少年たちを指導した。<タグではなく、本物のラグビーの痛さは仲間との絆を強くすることをどうしても知ってほしかったのです。一人の少年にボールを持たせて体当たりをさせました>と記されている。

僕はこの時、石塚さんの指導をちょうど取材していた。石塚さんは結局、94人全員をひとりずつ、胸でどんと受け止めた。小柄なからだで、古傷のある右足を踏ん張りながら。終わって、汗だくのTシャツを脱げば、胸には内出血の赤黒いアザができていた。

石塚さんのブログはこう続く。<最後に今の私の正直な心情をお話ししました。「今日、私はみなさんを、真剣な気持ちで一生懸命に指導させていただきました。だから私とみなさんはこれから仲間です。人と人は必ずどこかで再び、出会うものです。そんな時、必ず私に声をかけて下さい。だって、一緒にラグビーをやった仲間なのです」。最後は声が詰まってしまい、思わず涙ぐんでしまいました>。

いつも一途な石塚さんらしいブログだった。石塚さんはその後、3度、水府学院でタグラグビー指導を実施した。じつはこのブログには随分経ってから、指導を受けた少年たちと思われる水府学院仮退院生2人からコメントが寄せられている。

<今となってはあの経験が社会に活かせていると思います(12/31)>

<ありがとうございました…。僕は今、立派とはいえませんが、社会で生きています。人様に迷惑をかけてきた分、一生懸命頑張っているつもりです。それも石塚さんをはじめとした多くの方がたくさんのご支援をして下さったからです(4/20)>

時間の流れから、おそらく日付は2007年12月と、08年4月と推察される。石塚さんからのコメントへの返信はなされていない。何人かの少年たちは石塚さんとの出会いを励みとし、天国の石塚さんに守られて生きているのだと思う。

この週末。水戸で、今でも石塚さんを慕う人々と献盃を重ねた。石塚さんの水府学院のラグビー指導を支援した茨城県教育庁生涯学習課副参事の小沼公道さんは大きなからだとビールのジョッキを揺らしながら話した。元プロップの好漢。

「石塚さんのアツい思いは、亡くなられた今でも少年たちの心の中で生きているはずです。石塚さんが子ども目線でやっていたのを思い出します。楽しく、オモシロく、人の絆の大切さを伝えていく。石塚さんは、少年たちの感謝のコメントを読んでいたのでしょうか? 今生きていたら、どんなコトバをかけたのでしょう」

命日に改めて炎のタックルマンのプレーとラグビー普及への熱情を思い出す。石塚さんの絶筆となったブログは「2009.7.30」、急逝する1週間前のものだった。

<みなさん、今日は嬉しいお知らせが2つあります>と書かれている。1つは<2019年のラグビーワールドカップの日本開催が決まったこと>、もう1つが<親子タグラグビー教室で初めてラグビーボールに触れた児童が、中学でラグビースクールに入り、高校でもラグビーを続けると私のブログに連絡があったこと>だった。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2024年パリ大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。酒と平和をこよなく愛する人道主義者。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『まっちゃん部長ワクワク日記』(論創社)ほか『荒ぶるタックルマンの青春ノート』『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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