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【過去の教訓を未来につなぐ】GWに地震が起きたら? 過去の5月の地震

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:Fujifotos/アフロ)

 ゴールデンウィークを迎え、一年で一番過ごしやすい時期になりました。過去、5月にも数多くの地震が発生しています。万一、ゴールデンウィークに行楽地で大規模地震に遭遇したらどんなことが起きるだろうかと想像しつつ、過去の5月の地震を10個取り上げてみます。

599年5月28日(推古7年4月27日) 推古地震

 この地震は、被害記録が残る日本で最初の地震です。日本書紀の巻第二十二に、「推古天皇七年夏四月乙未朔辛酉。地動。舎屋悉破。則令四方、俾祭地震神。」と記されています。

1293年5月27日(正応6年4月13日) 永仁関東地震

 相模トラフで発生したプレート境界地震と考えられている地震で、国府津ー松田断層も一緒に活動した可能性があります。鎌倉の建長寺などで火災が発生したようで、死者2万3,000人余りとも言われています。当時の人口は、700~1000万人程度だったと思われますから、現代に換算すると30~40万人にも及ぶ大災害でした。

1792年5月21日(寛政4年4月1日) 島原大変肥後迷惑

 島原半島の雲仙普賢岳の噴火によってできた眉山の溶岩ドームが、地震の揺れによって山体崩壊し、有明海に流れ込みました。これによって大津波が発生し、島原や対岸の熊本・肥後国に津波が襲い、1万5千人にも及ぶ犠牲者を出しました。島原市の九十九島は、このときに流れ込んだ岩塊が残ったものです。

実はこのときの島原の殿様は、深溝松平家の11代松平忠恕でした。深溝松平家は、十八松平の一つで徳川家康と共通の祖先を持ちます。忠恕は、心労で地震26日後に死去しました。深溝松平家の菩提寺・本光寺は愛知県幸田町にありますが、忠恕の墓だけ、他の藩主とは異なる廟に祀られています。また、東廟所には、深溝断層によって生じた1945年三河地震で崩れたと言われる土塀もあります。

1847年5月8日(弘化4年3月24日) 善光寺地震

 長野盆地西縁断層が活動したM7.4程度の内陸直下の地震です。逆断層の上盤に当たる断層西側の地域で多くの地震被害が出ました。ちょうど、善光寺如来の御開帳の期間に重なったため、全国から集まった参詣者が多く犠牲になりました。また、山崩れにより犀川が河道閉塞され、後日、閉塞部が決壊したため大洪水となり、下流部で多くの犠牲者が出ました。死者は全体で1万人を超えたようです。中山間地で起きる内陸直下の地震の特徴的な被害で、2004年新潟県中越地震の被害と重なる部分が多くあります。なお、この地震の後、1853年の小田原の地震を皮切りに数多くの地震が発生し、幕末を迎えました。

1925年(大正14年)5月23日 北但馬地震

 兵庫県北部沿岸の城崎付近で発生したM6.8の地震で、豊岡市城崎の火災などで死者が428名に上りました。明確な活断層は分かっていません。2年前には1923年関東地震が発生しており、2か月前の3月22日にはラジオ放送が開始、4月22日には治安維持法が公布されていました。また、東京大学に地震研究所が開設されたのは、半年後の11月13日です。

1960年(昭和35年)5月23日 チリ地震津波

 観測史上最大のM9.5の超巨大地震であるチリ地震によって生じた津波で、地震発生後22時間後に我が国に到達しました。リアス式海岸の三陸地方を中心に高さ6mを超える津波に見舞われ、日本国内での死者は142人に上りました。三重県のリアス式海岸の被害も大きく、真珠の養殖いかだなどが流されました。

1968年(昭和43年)5月16日 十勝沖地震

 M7.9のプレート境界の地震で、十勝沖と称されていますが、実際には三陸北部に震源域がありました。三陸沿岸で5mの津波があり、死者・行方不明者52人が発生しました。この地震で、鉄筋コンクリート造の学校建築などが多く被害を受けたため、その後の耐震基準の改正につながりました。

1974年(昭和49年)5月9日 伊豆半島沖地震

 M6.9の地震で、石廊崎に断層が現れ、死者30人が出ました。この地震の後、伊豆半島周辺で1976年に河津地震、1978年に伊豆大島近海の地震が連続して発生し、ちょうど1976年に東海地震説が発表されたこともあり、静岡県民は大きな不安に駆られました。このこともあって、1978年に地震予知を前提とした大規模地震対策特別措置法が制定されました。

1983年(昭和58年)5月26日 日本海中部地震

 日本海で発生したM7.7の地震で、日本海沿岸地域に大津波が襲い、104名の死者が出ました。男鹿市では海岸に遠足で訪れていた小学校の児童が津波に襲われ、児童13人が犠牲になりました。1964年新潟地震、1993年北海道南西沖地震と共に、日本海東縁の変動帯の存在が指摘されるようになりました。

2015年(平成27年)5月30日 小笠原諸島西方沖の地震

 震源深さ681kmという地中深くで、M8.1という巨大地震が発生しました。過去に記録されたM8クラスの地震の中で最も深くで起きた地震です。観測史上初めて、47都道府県すべてで震度1以上の揺れを観測しました。首都圏では多くのエレベーターが緊急停止し、今後の首都直下地震の対策を考える上で学ぶ点の多い地震です。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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