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能登半島地震から1年、その教訓は?

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

 今年も本日で1年が終わります。年初の元日に能登半島地震が発生し、8月8日には日向灘の地震で南海トラフ地震臨時情報が初めて発表されました。9月下旬には、地震で被災した能登を豪雨が襲いました。能登の被災地には、倒壊家屋が残っており、復旧・復興の遅れが目立ちます。改めて、能登半島地震の教訓を振り返ってみたいと思います。詳細は、中央防災会議に設置された作業部会の報告書概要版をご覧ください。

群発地震の中で発生し豪雨にも見舞われた複合災害

 1月1日16時10分にマグニチュード(M)7.6の能登半島地震が起き、明日で1年を迎えます。能登半島先端では、2020年12月から群発地震が続いており、本震の4分前にはM5.5の、13秒前にはM5.9の前震が起き、能登地方には緊急地震速報が2度発せられていました。群発地震の中、能登の人たちは家具固定などの備えや津波避難訓練を実践しており、緊急地震速報は命を守る防災行動を促したと思われます。一方、震度7の強い揺れ、液状化や土砂崩れ、火災、津波に加え、9月下旬の豪雨は複合災害の様相を呈しました。規模は違いますが、心配されている南海トラフ地震で懸念されていることそのものです。

時間・場所・社会条件の厳しい災害

 能登の地震は、時間的、地理的、社会的に極めて困難な条件で起きた災害でした。元日は防災組織の人手が最も手薄なときで、日暮れ前の地震だったため被害状況の把握に時間を要しました。また、厳冬期で避難環境が厳しい季節でもありました。地理的にも能登半島先端は、県庁所在地の金沢から100キロも離れた場所でした。さらに、奥能登は高齢化と人口流出による過疎化が著しく、社会的にも厳しい状況でした。このように、能登半島地震は、厳しい条件が揃った中での災害でした。勤務時間外の災害や同様の過疎地域は他にも多いので、能登での教訓を生かした防災対策が必要です。

過疎地故の甚大な家屋被害

 一般に、高齢化・過疎化と耐震率とは逆相関の関係があります。若者が少なければ建て替えが進まず、高齢化すると耐震補強の意欲が削がれがちです。このため、奥能登の耐震化率は50%前後と、全国平均の87%を大きく下回っていました。耐震化率には算入されない空き家も多く、空き家率は20%を超えていました。また、人口が最大時の4割まで減少しており、非住家が多く残っていました。このため、輪島や珠洲では、非住家被害が住家被害を上回っています。珠洲では、非住家の全壊戸数は住家の倍にもなります。よく対比される熊本地震に比べ、非住家被害を含めた人口当たりの全壊戸数は10倍にもなります。実は、南海トラフ巨大地震の人口当たりの全壊焼失戸数は、概ね同程度と予想されています。本気で耐震対策を行わなければ大変な事態になります。

陸・海・空の寸断による災害対応の遅滞

 金沢市と被災地を結ぶ幹線道路が土砂崩れなどにより寸断し、港湾も海底の地盤隆起で使えなくなり、能登空港は滑走路に亀裂が入って離着陸ができなくなりました。陸・海・空路が途絶し、さらに建設業者の不足もあり、被災地支援に欠かせない道路の復旧に時間を要しました。被災地での宿泊地不足のため、長時間をかけて被災地を往復するしかなく、救援・救助やインフラ・ライフライン復旧などの応急対応が遅滞しました。

ライフラインの長期間途絶

 道路の寸断により、通信基地局や放送中継局の自家発電装置への燃料供給が滞り、通信や放送が途絶し、被害状況の把握や情報提供などに支障をきたしました。また、上下水道の被害が甚大で、浄水場や基幹管路などの重要施設が被害を受けたことなどから、復旧に時間を要することになりました。上下水道の途絶は生活環境の悪化に直結するため、被災者の広域避難の原因にもなりました。一方、ガスに関しては、プロパンガス利用が一般的で、軒下備蓄があったことから、大きな問題にはなりませんでした。また、井戸や浄化槽のある地域での被害も限定的でした。ライフラインの自立分散化の大切さを感じます。

避難所環境の厳しさと災害関連死

 上下水道の復旧の遅れはTKB(トイレ・キッチン・ベット&バス)の問題に直結しました。冬季故、暖房の問題も課題になりました。数は多くはありませんでしたが、トイレトレーラーや水循環式シャワー、キッチンカーなどが活用されました。また、キャンピングカーも活躍しました。避難所環境の悪さもあり、直接死を上回る災害関連死が出てしまいました。死因の多くは呼吸器疾患や循環器疾患などの持病の悪化で、80歳以上のお年寄りに死者が集中しました。段ボールベッドを含め、避難所環境の改善は今後の大きな課題です。

保健・医療・福祉の機能不全と広域避難

 避難所環境の悪化に加え、保険・医療・福祉の機能が大きく低下しました。このため、災害派遣医療チームDMATを始め、様々な支援活動が行われました。本来は急性期医療を担うDMATは、災害関連死防止のため、広域搬送などの医療コーディネートの役割も果たしました。また、学校教育の継続も難しくなったため、学生や高齢者を中心に1.5次避難や2次避難、広域避難などが広範に行われました。

住まいの持続の難しさ

 被災家屋の多さや自治体職員の不足のため、被災家屋の危険度判定や被害認定が遅れ、災害救助法の適用に必要となる罹災証明の発行に手間取りました。また、建設業者の宿泊地が不足していたり、所有者の確認に手間取ったりしたため、公費解体に時間を要し、応急仮設住宅の建設も遅れがちでした。上下水道の回復の遅れなどもあり、避難先から被災地に戻る人が減り、被災地では人口減少が大きな問題になっています。

応援と受援

 総務省が主導する総括支援員の派遣や対口支援などが広範に行われましたが、被災自治体が小規模で、受援体制が十分ではなく、応受援の調整に戸惑ったようです。また、一つの市町に多数の自治体が入ったため支援者間の調整も大変だったようです。これに加え、宿泊場所の不足や遠距離移動もあり支援側にも苦労が多かったようです。交通事情の悪さ故、ボランティアの抑制も行われました。今後、被災自治体の受援力を高めると共に、総力戦で臨めるように組織間連携や官民連携の体制作り、調整力や運用力の向上が望まれます。併せて、被害を減らすための耐震化などの自助、住民の助け合いの共助の力を圧倒的に向上させることが必要です。

 南海トラフ地震や首都直下地震など、日本の災害対応力を大きく上回る地震の発生が心配されています。能登半島地震での被災地復興に全力を尽くすと共に、あらゆる国民が迫りくる地震への対策を本気で進める必要があります。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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