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首都直下地震が起きたら…東京はどうなる? どんな備えが必要?

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

 地震による被害は、人と物が集中するとともに加速度的に増加します。元日に起きた令和6年能登半島地震で深刻な被害を受けた奥能登の3市3町の人口は12万人強ですが、首都直下地震の発生が懸念される東京23区は面積こそ約1/3であるものの、1000万人弱もの人が住んでいます。さらに昼間には周辺県などから多数の人が集まるので、夜間の1.3倍の人口になります。奥能登と東京の人口密度の違いを考えれば、首都直下地震の被害は、能登半島地震とは2桁違うことが想像できます。ちなみに、国が行った被害予測調査では、最悪2万3千人の死者が発生すると予想されています。これは、能登半島地震での直接死・行方不明者のちょうど100倍です。首都・東京は、エネルギーや食糧・水などの多くを他の道府県に依存しています。政府や産業などあらゆるものが集中している首都が甚大な被害を受ければ、他地域への影響は深刻で、国家存続の危機にさらされる恐れがあります。

政府による被害想定の内容は?

 国は、2013年に首都直下地震対策検討ワーキンググループ最終報告として、首都直下地震に対する被害想定結果をまとめました。対象は、Mw(※モーメントマグニチュード)7.3の都心南部直下地震で、「最悪ケース」である風が強い冬の夕方に地震が起きた場合、地震の揺れと火災により、全壊・焼失家屋最大約61万棟、死者最大約2万3千人の被害を試算しています。ライフラインは長期間途絶し、燃料不足や交通の混乱、港湾機能のマヒも予想されます。経済被害は約95兆円と、国家予算相当の被害金額で、能登半島地震の100倍にも及びます。

※モーメントマグニチュード(Mw)…岩盤のずれの規模(ずれ動いた部分の面積×ずれた量×岩石の硬さ)をもとにして計算したマグニチュードのこと。大きな地震で良く用いられる。

甚大な被害が予測される背景は?

 人口が一極集中する首都圏は、周辺にスプロール化(郊外に向かって無秩序・無計画に開発が進行)し、高速鉄道網や電気、都市ガス、上下水道などのライフラインに依存した社会になっています。とくに東京は、工業用水を廃止し、発電所やガス工場、浄水場、製油所・油槽所の多くを周辺県に頼っている現状があります。産業は第3次産業に偏り、多くのエッセンシャルワーカーが周辺県から遠距離通勤して支えています。街は、災害危険度の大きい沖積低地や埋立地、丘陵地の造成地に拡大し、中心部では建物が密集化し、高層化が目立ちます。地域の助け合いの力も弱りつつあり、とくに湾岸に林立するタワーマンションなどは浸水、液状化、長周期地震動などの危険を抱え、エレベーターやライフラインが不可欠です。

こうした条件がそろう首都圏で大地震が起きたら、どんなことが起こるでしょうか。

 軟弱地盤が広がる低地では、強い揺れ、液状化が襲い、ゼロメートル地帯では、堤防が破堤すると長期湛水し、孤立するでしょう。一方、丘陵地の古い宅地造成地では土砂崩れの危険もあります。耐震性が劣るビルは倒壊し、それが道路を塞げば緊急車両の通行が難しくなります。直下の地震では緊急地震速報は間に合わないので、多くの人がエレベーターにとじ込められる恐れがあります。救援の力が不足すれば、救出は困難です。木造家屋密集地域では大規模な延焼火災の危険もあります。

 さらに、通勤時間帯に鉄道が脱線転覆すれば、大量の犠牲者が発生します。万が一、湾岸にあるタンク群や危険物に何らかの問題が発生するとさらに厳しい事態となるでしょう。こういったことが同時発生すれば、残念ながら自衛隊や消防の力は全く足りません。

 災害後も困難は続きます。多くの人が帰宅困難や、出勤困難になり、鉄道が止まれば、遠距離通勤に頼る首都機能は維持できなくなります。さらに、生活物資の供給が滞ったり、ライフラインの復旧が遅れたりすれば、生活や業務が長期間維持できなくなり、広域避難を余儀なくされるでしょう。

首都直下地震への必要な備えとは?

 首都直下地震の被害の特徴は、火災の影響が大きいことです。最悪、出火件数が2000件にも及ぶことが想定され、消防力が圧倒的に不足します。甚大な被害や延焼火災を防ぐには、木造住宅密集地域の解消など抜本的な対策が必要ですが、建物の耐震化や不燃化、初期消火、感震ブレーカーによる通電火災防止、火災からの早期避難など、住民の努力も欠かせません。

 帰宅困難問題や流言飛語も大きな課題です。地震後の住民の冷静な行動が望まれます。また、交通網が途絶すれば食料の確保も難しくなるでしょう。ライフラインの途絶も含め、備蓄などの十分な備えが必要です。

 病院の医療従事者の多くは遠距離通勤をしています。このため、チーム医療体制が整っている時間帯は1/4程度です(1年のうち平日昼間の勤務時間帯は概ね1/4)。自宅などでけがをしないための家具固定も大切です。

 一方、行政や産業界には、政府機能、港湾機能、交通施設、ライフライン、電力施設、コンビナート、浄水場、金融機能の喪失など、過酷事象を回避する努力が求められます。

 ひとたび地震が起きれば、その後にできることには限りがありますが、地震発生時は、危険物から離れてけがをしないこと、初期消火を心がけ、火災や浸水の可能性がある場合には広域避難場所に早期避難することが肝心です。災害後は、行政の力が不足するので、市民が互いに助け合う必要があります。避難所の不足も予想されますから、広域避難の検討も必要でしょう。また、被災後の早期の復興には、事前に復興計画を作っておくことも必要です。

 首都直下地震の被害を根本的に軽減するには、首都一極集中を是正するしかありません。2023年に策定された国土形成計画では、デジタルを活用した2拠点居住が推奨され、これを受けて2024年には「改正広域的地域活性化基盤整備法」が成立しました。人口減少地域に多く残る空き家を耐震化し、首都圏住民の2地域居住に活用して地方の関係人口を増やせば、首都直下地震発生後の疎開先としても活用可能です。行政や産業界に加え、住民も含めて、国土構造の自律分散化を進めることが望まれます。

そもそも首都直下地震とは何か?

 そもそも首都直下地震とはどのような地震なのでしょうか。首都圏は三重のプレート構造の上に載っています。一番上にあるのが北米プレートと呼ぶ陸のプレートで、この下に、海のプレートのフィリピン海プレートと太平洋プレートが沈み込んでいます。北米プレートとフィリピン海プレートが接する相模トラフ沿いでは、関東地震と呼ばれる巨大地震が周期的に発生してきました。1703年元禄関東地震と1923年大正関東地震(いわゆる関東大震災)が代表的です。また、北米プレートと太平洋プレートの境界に位置する日本海溝沿いでも、房総半島沖で1677年延宝地震が起きています。さらに、各々のプレートの内部やフィリピン海プレートと太平洋プレートの境界でもM7クラスの地震が多数起きてきました。いわゆる首都直下地震と呼ばれるのは、これらの多様なM7クラスの地震の総称なのです。

日本付近のプレートの模式図(気象庁サイトより)
日本付近のプレートの模式図(気象庁サイトより)

 元禄関東地震と大正関東地震の間に発生したM7クラスの地震には、1782年天明小田原地震、1853年嘉永小田原地震、1855年安政江戸地震、1894年明治東京地震、1895年茨城県南部の地震、1921年茨城県南部の地震、1922年浦賀水道付近の地震、1923年茨城県沖の地震などがあります。中でも1855年安政江戸地震の被害は大きく、火災や家屋倒壊で1万人程度の死者が出たといわれています。

 被害が甚大だったのは、日比谷の入江を埋め立てた現在の大丸有(大手町・丸の内・有楽町地区)が位置する大名小路や、軟弱地盤が広がる下町でした。小石川にあった水戸藩江戸屋敷では水戸の両田と言われた戸田忠太夫と藤田東湖らが死亡しました。また、1894年の明治東京地震の翌月には日清戦争が開戦しています。

 これらの地震の起き方を見てみると、関東地震後の100年くらいは地震活動が静穏ですが、その後は活発になっているように思われます。また、安政江戸地震の前後、明治東京地震の前後、そして大正関東地震の直前に地震活動が集中して起きています。大正関東地震以降、首都圏周辺の地震は多くはありませんでしたが、すでに101年が経過しましたから、地震活動の活発化が心配されます。

 政府の地震調査研究推進本部では、こういった首都圏での地震発生履歴に基づいて、今後30年の地震発生確率を70%と評価しています。ただし、首都直下と言っても、よくメディアに取り上げられる都心直下の地震だけでなく、広く南関東地域のどこかで発生する地震であることに注意が必要です。

南海トラフ地震との関連性は?

 首都を襲う過去の地震を見てみると、ユーラシアプレートとフィリピン海プレートが接する南海トラフ沿いでの巨大地震と近接した時期に首都圏で大地震が起きているようにも見えます。1703年元禄関東地震の4年後には1707年宝永地震と富士山宝永噴火が、1854年安政東海地震・南海地震の翌年には1855年安政江戸地震が起きており、1923年大正関東地震の後には、25年北但馬地震、27年北丹後地震、さらに30年北伊豆地震、43年鳥取地震などの内陸地震に続いて1944年東南海地震と1946年南海地震が起きています。

 首都と西日本広域が被災すれば社会への影響は極めて甚大です。過去のこれらの地震は、豊かだった元禄時代の終焉、江戸から明治、軍国主義化から敗戦への時期とも重なります。

 前回の南海トラフ地震・昭和東南海地震から80年、大正関東地震から約100年が経ちました。東日本大震災や新型コロナ禍を経験し、目の前に首都直下地震や南海トラフ地震が迫っています。富士山噴火も心配されます。こういった中、防災庁設置の議論も活発化しています。今一度、災害をわが事と思い、「知彼知己 百戦不殆」の態度で備えを進めることが必要だと思います。

【この記事は、Yahoo!ニュース エキスパート オーサー編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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