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【世界遺産】フランス皇帝が愛した湯治場VICHY(ヴィシー) 2/2 町並み編

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
旧カジノ前の花壇にはUNESCOの文字が浮かび上がる(写真はすべて筆者撮影)

今年7月に世界遺産に登録されたフランスの温泉街ヴィシー。

前回の記事では、フランスの温泉とはどんなものなのかをご紹介しましたが、今回は皇帝ナポレオン3世の時代から形作られた「小パリ」ともいえる美しい街の景観にスポットを当てたいと思います。

パリからアクセスしやすく、世界遺産になるほどの街なのですが、実際にヴィシーを訪ねたことのある人はフランス人でも案外に少ないものです。かくいうわたしも今回初めて訪ねてみて、その「眠れる森の美女」ぶりに驚きました。日本ならさしずめ「小京都」とか「小江戸」というところでしょうか。歩いて行かれる範囲に、パリの美しいところ、ヨーロッパの美景がギュッと凝縮されたような町並みなのです。

前回同様、地元観光局の方々のおかげで可能になったとっておきの場所にもご案内します。

取材協力/Auvergne Rhône-Alpes Tourism (オーヴェルニュ・ローヌ・アルプ地方観光局) , Vichy Tourism (ヴィシー観光局)

旧カジノのエントランス。
旧カジノのエントランス。

1865年に建てられたカジノの内部。現在は会議場として活用されている。
1865年に建てられたカジノの内部。現在は会議場として活用されている。

1900年代初頭に造られたオペラ座内部。いまでもさまざまな公演が行われている。
1900年代初頭に造られたオペラ座内部。いまでもさまざまな公演が行われている。

カジノとオペラ座をつなぐ空間はアールヌーヴォーの装飾で彩られている。
カジノとオペラ座をつなぐ空間はアールヌーヴォーの装飾で彩られている。

皇帝好みの建築のパノラマ

ヨーロッパのほかの温泉街に負けないようなものを作りたい、と、皇帝ナポレオン3世がヴィシー改造に乗り出したのは1860年代のこと。パリから列車でアクセスするための駅、カジノ、劇場、そぞろ歩きしながらお茶やショッピングも楽しめるギャラリーなどが次々と造られました。皇帝が構想した温泉街は、源泉水での治療だけではなく、いまでいう高級スパリゾートといったイメージの総合的な都市計画。貴族や富裕層にとっての娯楽と社交の場を意図していました。

贅を尽くした歴史的建造物は、こちらの動画でご覧いただけます。

皇帝は、滞在中の自分たちの住まいも建てましたが、そちらは意外にもこじんまりとしたものでした。スイスの山小屋、あるいはコロニアルスタイルの家で、「シャレ」と呼ばれる家々は、旧市街地500ヘクタールのうちのほぼ半分をしめるという広大な公園に面していて、まるで森のなかの家のようです。

そのうちの一つ、皇帝の財務大臣の住まいだった「Chalet des Roses(シャレ・デ・ローズ)」を訪ねることができました。「バラのシャレ(山小屋)」という家の現在の持ち主は、Anne-Flore Maman(アンヌ=フロール・ママン)さんとJean-Yves Larraufie(ジャン=イヴ・ラロフィ)さん夫妻。ふたりともヴィシー生まれではありませんが、ジャン=イヴさんが化粧品ブランド「VICHY」の工場長として赴任して以来この街の魅力に目覚め、縁あって「バラのシャレ」を購入することになりました。

「Chalet des Roses(シャレ・デ・ローズ)」表通り側の外観。
「Chalet des Roses(シャレ・デ・ローズ)」表通り側の外観。

皇帝のをはじめ、立ち並ぶシャレのほとんどは現在個人所有。かろうじて外観は保ちつつもホテルとして内部が大幅に改造されたりしていますが、夫妻はできるだけ創建当時のままの状態で暮らそうとしています。

「シャレの内側は普通は見ることができません。けれども、わたしたちは歴史ある家のdépositiare(デポジター、受託者)だと思っています。ですから、できるかぎり皆さんにお見せすることにしました」

と、ジャン=イヴさんは言います。

玄関に立つJean-Yves Larraufie(ジャン=イヴ・ラロフィ)さん。家は2021年に購入。その昔、庭には50種類ほどのバラが咲き乱れていたそうで、今後はすこしずつバラを増やす予定。
玄関に立つJean-Yves Larraufie(ジャン=イヴ・ラロフィ)さん。家は2021年に購入。その昔、庭には50種類ほどのバラが咲き乱れていたそうで、今後はすこしずつバラを増やす予定。

玄関を入ると、手前の右奥がお手洗い。アプローチ部分の床は創建当時からのもの。
玄関を入ると、手前の右奥がお手洗い。アプローチ部分の床は創建当時からのもの。

室内の扉には、100年以上の時代を経たステンドグラスが残されていたりする。
室内の扉には、100年以上の時代を経たステンドグラスが残されていたりする。

間取りは変えず、内装はコンテンポラリーデザインと夫妻の旅の思い出の品でコーディネイト。ジャン=イヴさんのいる暖炉部分は創建時からの造りで、煙は上ではなく、両脇からのぼってゆくシステム。
間取りは変えず、内装はコンテンポラリーデザインと夫妻の旅の思い出の品でコーディネイト。ジャン=イヴさんのいる暖炉部分は創建時からの造りで、煙は上ではなく、両脇からのぼってゆくシステム。

財務大臣が暮らしていた時代、この家で実際に使われていた銀器。夫妻がオークション出展品のなかに見つけ、数日前に落札。
財務大臣が暮らしていた時代、この家で実際に使われていた銀器。夫妻がオークション出展品のなかに見つけ、数日前に落札。

家は表通り側よりも公園側のほうが広がりのある造りになっている。
家は表通り側よりも公園側のほうが広がりのある造りになっている。

公園から見た「シャレ・デ・ローズ」。
公園から見た「シャレ・デ・ローズ」。

ビジネススクールの教師とし外国出張も多いアンヌ=フロールさんともども多忙な夫妻ですが、市の観光局の求めに応じてできるだけ門戸を開くことで、多くの人達に歴史を実感してほしい、と願っています。

フランスの首都ヴィシー

皇帝の湯治場となったヴィシーには外国からも富裕層が集い、高級ホテルや贅を凝らしたヴィラが次々と立ち並ぶようになりました。ホテル270軒、ヴィラは650を数えたと言いますから、いわゆるベルエポックの古き良き時代、ヴィシーがいかに憧れの街だったか想像できます。

ヴィシーはまたフランスの首都にもなりました。そう聞くと、とても意外に思われるかもしれませんが、第二次世界大戦でパリが早々にドイツ軍に占領されてしまうと、1940年にヴィシーにフランス政府が移転してきて、パリが解放される1944年まで首都として機能した歴史があるのです。

それにしても、フランスには、リヨン、マルセイユ、ボルドーなど、ドイツから遠いところに位置する大きな都市がいくつもあるというのに、どうしてヴィシーが首都になったのでしょう?

その理由は、街が収容できる人の数が群を抜いていたことに加えて、電信電話など当時としては最先端のテクノロジーを備えていたことが決め手になりました。高級ホテルやヴィラは、大統領をはじめ大臣、役人たちのオフィスや住まいになり、カジノやオペラ座が会議の舞台になりました。

ヴィシーの高級ホテル。現在はアパルトマンとして生かされているところが多い。
ヴィシーの高級ホテル。現在はアパルトマンとして生かされているところが多い。

現在までホテルとして機能している「Alleti Palace(アレッティ・パラス)」の内部。
現在までホテルとして機能している「Alleti Palace(アレッティ・パラス)」の内部。

北ヨーロッパはフランドル地方の建築を連想させるヴィラ。
北ヨーロッパはフランドル地方の建築を連想させるヴィラ。

イタリアのヴェニスを思わせるヴィラ。
イタリアのヴェニスを思わせるヴィラ。

「ヴィシソワーズ」の故郷?

おしまいに、おまけの話題です。

パリっ子、あるいは「パリの〇〇」という形容詞としてパリジャン(男性形)、パリジェンヌ(女性形)という言葉が使われますが、それがヴィシーならば、ヴィシソワ、ヴィシソワーズ。ここで(あれっ?)と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

「ヴィシソワーズ」といえば、じゃがいもとポロネギの冷たいポタージュのことでは? と。

はい。たしかに。わたしもてっきり冷製ポタージュ「ヴィシソワーズ」はこの街の名物なのかと思いました。けれどもじつのところ、レストランのメニューの筆頭に「ヴィシソワーズ」があったりするわけではなく、地元の若い人からは、「食べたことない」という答えが返ってきたりします。

一節によると、ニューヨークのホテルでヴィシー出身の料理人が提供したことからこの名前で呼ばれるようになったのだとか。本来温かいはずのポタージュを温め忘れてサービスしてしまったところ、それが逆にウケたという話も聞かれたりしますが、はたして真相はいかに…。

ともあれ、わたしが宿泊した「Vichy Célestins Spa Hôtel(ヴィシー・セレスタン・スパ・ホテル)」の夕食で、特別にオーダーして出していただいたのがこちら。

「温かくしますか? 冷たいほうがいいですか?」と尋ねられましたが、もちろん「冷(ひや)で」。
「温かくしますか? 冷たいほうがいいですか?」と尋ねられましたが、もちろん「冷(ひや)で」。

名物云々、発祥云々はひとまず置いて、とにかく濃厚美味なヴィシソワーズ。

周囲を豊かな自然にとりかこまれたこの地方ならではの、じゃがいもとポロネギの旨味がぎゅっと凝縮された、これまでいただいたなかで文句なく一番のヴィシソワーズでした。

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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