【小5女児死亡事故】両親の訴え届いた! 信号無視の男「危険運転致死傷罪」で起訴
「加害者が危険運転致死傷罪で起訴されました。今朝、検察庁から葛飾警察署に連絡があったそうです」
という電話が私のもとに入ったのは、3月31日午前のことでした。ひとり娘の波多野耀子(ようこ)さん(当時11)を、昨年3月14日に起こった交通事故で失ったお母さんです。
この事故については、3月22日、以下の記事で取り上げたばかりでした。
亡くなった娘と撮った家族写真 赤信号無視の車に断ち切られた未来(柳原三佳) - 個人 - Yahoo!ニュース
耀子さんは青信号の横断歩道をお父さんと横断中、赤信号無視で走行してきた軽ワゴン車にはねられ、ほぼ即死でした。
お父さんも、この事故で足や顔の骨などを折る大けがを負ったのです。
■「危険運転致死傷罪」での起訴を求めて
赤信号無視をして横断歩道に突っ込んできた加害者(当時67)に対して、波多野さん夫妻は「過失運転致死傷罪」ではなく、より重い「危険運転致死傷罪」で起訴されるべきだと考えていました。
危険運転致死傷罪の条文には、信号無視について、
と記されています。つまり、加害者の行為は十分これに当たると思ったからです。
しかし、事故から1年目の命日の翌日(3月15日)に、検察庁は代理人の弁護士を通じて両親にこう説明しました。
「3月末で担当検事が異動になるので、今月中に起訴する予定だが、危険運転致死傷罪での起訴は難しいかもしれない……」と。
言いようのない不安を覚えた波多野さん夫妻は、限られた時間の中でこの事故の真実を伝えるべく、できる限りのアクションを起こすことを決意しました。
家族3人で撮った最期の家族写真を上記記事で公開し、突然命を奪われた耀子さんの無念、自らも重傷を負ったお父さんの苦悩、そして、赤信号無視という運転の危険性等を広く訴えました。
そして、検察には、弁護士を通して何度も懸命に思いを伝えてきたのです。
お父さんは語ります。
「娘を突然失ったショックでどん底の中、検察と我々被害者が単独で対話を行うのは不可能でした。どのような罪で起訴されたとしても、娘が生き返るわけではないと思うと、心が折れそうになることも数え切れませんでした。しかし、漫然と待つだけでは、そのまま過失での起訴になってしまったかもしれません。
今回は幸運にも被害者支援と交通犯罪に長けた弁護士に出会うことができ、合計で3度、意見書等を検察に提出していただきました。この文書がなければ、危険運転での起訴にはならなかったかもしれません。我々にとっては、弁護士との出会いはとても重要なものでした。また、警察の方には事故発生直後から今日に至るまでずっと寄り添い、非常に親身な精神的ケアをしていただき、本当に感謝しています」
■青信号の横断歩道、歩行者は絶対に守られるべき
「危険運転致死傷罪」のハードルは非常に高く、今回のように赤信号無視という行為でこの罪が適用されることは珍しいのが現実です。
加害者が「赤信号を殊更(ことさら)に無視」した証拠があるかどうか、つまり、その信号無視が、うっかりミスによる「過失」なのか、殊更に行った「故意」なのか、その判断が大変難しいと言われているのです。
しかし、「車は絶対に信号を厳守し、横断歩道の歩行者を守らなければならない」と強く訴えるのは、『命と安全を守る歩車分離信号普及全国連絡会』 の代表をつとめる長谷智喜さんです。
長谷さんはこう訴えます。
「交差点は危険な場所です。そもそも、信号のある交差点は、信号がないと危険だから信号がついているのです。そして、歩行者は信号の色が青であることを、唯一の頼りにして渡っているのですから、信号を守って横断歩道を渡っている歩行者をはねて死傷させる行為を『危険運転』とした今回の検察の判断は、まっとうで、画期的だと思います」
実は、長谷さんも1992年11月、波多野さんと同じく、当時11歳の長男・元喜くんを青信号の横断歩道上で左折ダンプに奪われた遺族です。
「私自身も長年、横断歩道上の交通事故問題に向き合ってきましたが、司法は『国民』の声は聴くけれど、『庶民』の声はなかなか聴いてくれないことを痛感しました。
遺族が自ら訴え、それがメディアでとり上げられ、大きな『国民の声』となったとき、ようやく動くという場面をたびたび目にしてきました。この事故をきっかけに、過失事故として軽視されてきた『赤信号無視』が、重く扱われることに期待したいと思います」(長谷さん)
■「いつか、耀ちゃんに報告できる日が来れば……」
この事故の加害者は、なぜ赤信号と分かっていながら交差点へ突入したのか……。
そのときの状況や理由は、これから始まる刑事裁判の中で明らかになっていくことでしょう。
波多野さん夫妻は語ります。
「1年以上かかりましたが、本当に苦しい中、多くの方々の支援もあり、ようやく加害者が危険運転致死傷罪で起訴されました。でもこれは、これから始まる裁判のスタートラインに立てたということに過ぎません。
今後予想される長い闘いを思うと不安でたまりませんが、娘にしてあげられることはもうほとんどない中、間違っていることは間違っていると、正々堂々と主張することを、正義感にあふれていた娘もきっと望んでくれると信じています。あの子はもう帰ってきません。あの笑顔にはもう二度と会えませんが、あまりにも理不尽なかたちで命を奪われてしまった娘のためにも、我々は生きて、いつか報告できるよう、闘っていきたいと思います」