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48年間生きて分かった無駄な行為

ひとみしょう哲学者・作家・心理コーチ

今朝49歳になりましたので、今日はこの場を借りて読者の皆さまと一緒にこれまでの48年間を振り返ってみたいと思います。ほとんど半世紀(も?)生きてきたので、皆さまにとってなんらか有益なことをお話できるかもしれません。そうではないかもしれません。

48年間生きて分かった無駄な行為とは

48年間生きて分かった無駄な行為、それは思いのない行為です。すなわち、漫然と何かをやるとか、人に言われてイヤイヤやるとか、そういった行為です。

例えば、生活のためにやるイヤな仕事であっても、「とりあえず3か月は続けてなんらかを学ぼう」という気持ちがあれば、それは有益な行為だと私は思います。

しかし、100%我慢だけでやる仕事というのは、それがいかに食っていくためであっても無駄だったと48年間を振り返って感じます。そんな無駄をするくらいなら、仕事は他にも星の数ほどあるわけですから、さっさと転職すればよかったと思います。しかし「他人の人生」を生きていた私は、そうできなかったのでした。

お役様の声

ところで、「そこに思いはないけれども、一応筋のとおった理屈をつけることのできる行為であればそれをやる」という人が多い世の中になりました。例えば、「本当はアニメの専門学校に行きたいけれど、就職のことを考えたらどこかの大学の経済学部か商学部に行った方が有利だ」という「一応筋のとおった理屈」をもとに進路を決める高校生が多い。私は大人向けのカウンセリングとは別に、高校生に国語と英語を毎晩教えているので、それがよくわかります。

大人の世界に至っては、ここに具体例を挙げるまでもないでしょう。ほとんどすべての会社は、役所や政治家に突っ込まれないように、わが社の行為が「理屈」にかなっていることを微に入り細を穿つかのごとく検分しているように見えます。商品開発だって、「お客様の声」の結果、ピンク色が好きな人が多いのでピンク色の商品を作りますというような感じで、開発者の思いなど2の次、3の次になっているように、私には見受けられます。

データと結婚する人々

とはいうものの、思いだけでは食っていけない。これは真実でしょう。しかし、思いがないとその行為は無駄なものになります。今の日本はかなり恣意的な世の中になっていますから、その思いと、一応筋のとおっている理屈のバランスをうまくとりながら生きていくしかありません。

おっと! 日本なんてデカいことを言ってしまいました。もう少し小さな話をしましょう。

例えば、マッチングアプリで婚活をしている人がいます。マッチングアプリというのは、一応筋の通ったデータがあれば相手が見つかりやすいものです。すなわち、高学歴、高収入、それなりのルックスなど。つまり目で見てわかる「よさげな」データがあれば、そこに思いがなくても相手が見つかったりするそうです。つまり、相手のことが好きというより、データが揃っているから結婚する。そんなことがまかり通るのがマッチングアプリの世界です。

思いは祈り

思いという完全に言葉にできないものの存在に気づかない人は、私の歳になってもまだ、パートナーのことをデータとして見ています。例えば、「旦那の稼ぎが悪くなったので離婚します」という奥さんがいること、皆さんもよくご存じですよね。

思いというのは、先にも述べたとおり、充分に言葉にできないものであり、それは祈りに近いものです。例えば、子どもが学校に行く時「いってらっしゃい」と言う親の言葉には思いがあります。具体的な言葉にはしないけれども、「交通事故にあわないでね」とか「今日も元気に帰ってきてね」などという思いが、親の発する「いってらっしゃい」には含まれています。

その気持ちは言うまでもなく、祈りに近い気持ちです。

思い、すなわち祈りに近い気持ちを抱けない行為を漫然と続けて人生を無駄にしてほしくないと思います。

哲学者・作家・心理コーチ

8歳から「なんか寂しいとは何か」について考えはじめる。独学で哲学することに限界を感じ、42歳で大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なんか寂しいとは何か」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』(ともに玄文社)、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道先生主宰の「哲学塾カント」に入塾。キルケゴールなどの哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミーと人見読解塾を主宰している。

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