Yahoo!ニュース

高緯度ほど・内陸ほど大きくなる気温の年較差と日較差 過去には同じ日に夏日と冬日を観測した地点も

饒村曜気象予報士
午前午後の寒暖差・気温差・体調不良(提供:イメージマート)

月平均気温の年較差

 一定の場所で、一年間に観測された最低気温と最高気温の差を年較差(ねんこうさ)といいます。

 統計的には、最暖月と最寒月の月平均気温の差をいう場合をいうことが多いのですが、高緯度から低緯度にゆくほど年較差は小さくなります(図1)。

図1 緯度と気温の年較差(オスロ~ダカール)
図1 緯度と気温の年較差(オスロ~ダカール)

 赤道付近では、太陽の運行は1年通してほとんど変わりませんが、高緯度地方になるほど、冬は太陽高度が低く、日照時間も短くなるからです。

 また、内陸部から海岸にゆくほど年較差は小さくなります(図2)。

図2 隔海度の異なる地点の年較差(ウルムチ~東京)
図2 隔海度の異なる地点の年較差(ウルムチ~東京)

 海洋は温まりにくく冷めにくいのに対し、陸地は温まりやすく冷めやすい性質がありますので、海のほうが年較差が小さくなります。

 このため、内陸部から海洋の影響を受けやすい海岸にゆくほど年較差は小さくなります。この傾向は日本でも同じです。

 高緯度にある北海道は、札幌などの沿岸部では25度位の年較差ですが、旭川などの内陸部では30度位になります。

 これに対し、低緯度の島(沿岸部)である沖縄では12度位です(表)。

表 日本の気温の年較差
表 日本の気温の年較差

日最高気温と日最低気温の差

 ロシアのレナ川に沿ったシベリア内陸都市のヤクーツクは、冬の寒さが非常に厳しく、明治24年(1891年)2月には-64.4度を観測するなど、平均気温で-40度を下回ることが珍しくありません。

 しかし、夏には猛暑日になることがあり、平成23年(2011年)7月には38.4度を観測していますので、月平均気温ではなく、これまでに観測された最高気温と最低気温でみるとその差は102.8度です。

 これには及びませんが、北海道内陸部の旭川では、最高気温が平成元年(1989年)8月7日の36.0度、最低気温が明治35年(1902年)1月25日の-41.0度と、77度の温度差です。

 また、帯広で76度となるなど、北海道の内陸部では70度以上の差を観測しています。

日較差

 一定の場所における1日の最高気温と最低気温の差が日較差(にちこうさ)です。

 日々の天候の条件によって変わりますが、平均すると、気温の日較差も大きい場所は、気温の年較差の大きな場所でもあります。

 日較差は植物の生育にも大きな影響を与え、日較差の大きい山間ではおいしいコメなどができます。

 これは、気温の高い昼間は光合成を盛んに行ってデンプンを蓄え、気温の低い夜間は活動が不活発になって昼間たくわえたデンプンをあまり消費しないからと言われています。

同じ日に夏日と冬日になった北海道の中徹別

 日本で気温の日較差も大きくなるのは、北日本の内陸部で、真冬の放射冷却で極端に温度が低くなった日中に日差しが出て温まる場合や、上空に寒気が入っている春や秋にフェーン現象がおきたときで、このときの日較差は30度程度以上になります。

 たとえば、平成21年(2009年)4月30日には、北海道東部の内陸部にある釧路市阿寒町中徹別では、13時20分にフェーン現象によって最高気温が27.3度まで上昇し、この日、全国一位の高温となりました(図3)。

図3 平成21年4月30日9時の地上天気図
図3 平成21年4月30日9時の地上天気図

 数日前から日本上空に寒気が入っていましたので、最低気温は2時40分に観測した-2.4度ですので、日較差は29.7度もありました。

 つまり、この日の中徹別は、最高気温が25度以上の夏日であり、同時に、最低気温が氷点下の冬日でした。

 また、平成19年(2007年)2月5日に長野県菅平では、放射冷却で明け方の気温が著しく下がって-20.3度、日中は日差しが出たため気温が11.2度まで上がって、日較差は31.5度にもなりました。

 日本でも、ごく稀ですが、1日の間に気温が30度も変化することがあります。

 このような一日での極端な温度差は、体調が崩しやすいので注意が必要です。

 とはいえ、日本では中緯度の海に囲まれた国ですので、気温の年較差や日較差が大きい地方といっても、外国に比べれば少ない方です。

 諸外国ではもっと日較差が大きい場所がありますので、高緯度や内陸部の国へ旅行する場合は、昼間暑くても夜間は冷えることを意識して準備したほうが良いでしょう。

図1、図2、表の出典:気象庁ホームページをもとに筆者作成。

図3の出典:気象庁ホームページ。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

饒村曜の最近の記事