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もうひとつの日米野球

阿佐智ベースボールジャーナリスト
2012年の国際交流戦での石川ミリオンスターズとマウイ・イカイカ

 いよいよ今日から日米野球が始まる。昭和の時代には、ほぼ2年ごとに行われ、ある意味秋の風物詩にもなっていたこの行事だが、国際試合が多くなってきた近年は、レアなものになってしまった。WBCがはじまった2006年大会以降、長らく中断期間があったものの、2014年に侍ジャパンの強化試合として復活。今回はそれ以来4年ぶりの開催となった。メジャー側の陣容も、戦後以降、昭和末期までは単独チームが来日していたが、その後、平成の時代になると、メジャーのオールスターチームがやってくるようになった。1996年に、前年ナショナルリーグ新人王を獲るなど旋風を巻き起こした野茂英雄がメジャーリーグオールスターの一員として参加すると、この行事の注目度は一挙に増し、チケットはプラチナ化した。

1996年の日米野球の様子。野茂英雄の凱旋に甲子園球場は満員となった
1996年の日米野球の様子。野茂英雄の凱旋に甲子園球場は満員となった

 そんな華やかなイメージの強い日米野球だが、今回は人目にふれずひっそりと行われた「もうひとつの日米野球」についてお話したい。

マイナーチームの来日

 戦後初の日米野球が、メジャーリーグはなく、マイナーのサンフランシスコ・シールズ相手に行われたことは、野球通なら誰でも知っていることだろう。自身も選手として日米野球で来日経験のあるフランク・オドゥール率いるこのチームは、3A級のパシフィックコーストリーグに所属していたが、当時、メジャーリーグは現在の半分のチーム数の16球団制で、その展開地域もアメリカの東半分、セントルイス以東に限られていた。メジャーリーグの報酬が、有力マイナーリーグを圧倒するわけでもなかったこの時代、パシフィックコーストリーグのレベルは、決してメジャーにひけをとらなかったと言われ、その点では3Aのチームと言えども、現在とは印象の違うものだったようである。

 そのシールズの来日(1949年)から半世紀たった2000年9月、シアトル・マリナーズのマイナー選抜チームが神戸にやって来、「サーパス神戸」と名乗っていたオリックスのファームと親善試合を2試合している。

 マリナーズとオリックスはこの時期業務提携を結んでおり、前年のスプリングトレーニングにはイチローがエースの星野伸之らとともに派遣されている。この時の来日チームは、ショートシーズンA級ノースウェストリーグのエバレット・アクアソックスのメンバーが中心で、彼らは中国でのプロモーション活動の帰途、日本に立ち寄り、神戸グリーンスタジアムでサーパスと相まみえた。

独立リーグの「日米対決」

2006年、史上初の日米独立リーグチームの対戦が行われた徳島・蔵本球場(現JAバンク徳島スタジアム)
2006年、史上初の日米独立リーグチームの対戦が行われた徳島・蔵本球場(現JAバンク徳島スタジアム)

 2006年秋には、独立リーグの四国九州アイランドリーグ(現四国アイランドリーグplus)が、アメリカ独立リーグの人気チーム、セントポール・セインツと試合を行っている。北米主要独立リーグのひとつ、アメリカン・アソシエーションの属していた、このセインツの日本ツアーは、九州の篤志家による企画で、セインツは、アイランドリーグとの対戦の他、クラブチームとの対戦で日本各地を転戦した。この篤志家は、のち、同名の独立リーグ球団、「長崎セインツ」を立ち上げ、このチームは2008年から3シーズン、アイランドリーグで戦っている。

 ちなみに、この遠征メンバーのひとりだった元メジャーリーガーのブライアン・ブキャナンは、翌年1シーズンだけだが、ソフトバンクホークスでプレーしている。また、セインツと対戦した徳島インディゴソックスは、このシリーズの最終戦に、アメリカ3Aでのシーズン後加入した日本人元メジャーリーガー、多田野数人(のち日本ハム)を先発させるなど、けっこう見どころの多いシリーズだった。

試合前のホームラン競争に参加したセインツの主砲、ブキャナン(元ダイエー)
試合前のホームラン競争に参加したセインツの主砲、ブキャナン(元ダイエー)

独立リーグの国際戦略に基づいて行われた日米交流戦

 一方の独立リーグ、ルートインBCリーグも、2012年シーズン後に日米野球を実施している。ヨーロッパやコロンビアからも選手を獲得するなど、国際戦略においてリーグを主導していたとも言える石川ミリオンスターズは、この年の7月、公式戦の合間を縫ってハワイ遠征を敢行、ノースアメリカンリーグのマウイ・イカイカと交流戦2試合を行った。

 そして、シーズン後、今度はマウイ球団を招いて金沢で2連戦を行ったのだが、この交流戦は翌年も継続され、石川と信濃グランセローズが太平洋を渡り、前年限りで解散したノースアメリカンリーグの後継リーグとも言えるパシフィックアソシエーションに転籍したマウイと、オーナーを同じくするハワイ・スターズの2チームと試合を行っている。BCリーグ側はこれをエキシビション扱いにしたが、パシフィックアソシエーション側は、リーグの公式戦に組み入れていた。

 このシリーズでは、第1戦で石川の先発投手としてアメリカ人のスティーブン・ハモンド(のちオリックス)が登板し、第2戦には、アメリカでのシーズンで4勝を挙げた日本人女性投手、吉田えり(現エイジェック女子野球部兼任監督)がマウイの先発マウンドに登り、石川打線をきりきり舞いさせた。また、最終回には、メジャーにも挑戦した当時の石川監督、森慎二(元西武、2017年逝去)がこの日限定の「現役復帰」登板を果たすなど、このシリーズもまた今から思えば、見どころの多かったものだった。

(写真は全て筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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