先住民がノルウェーの人種差別に踏み込む「居心地の悪さ」、音楽業界に今起きる変化「再教育」
ここ数年、サーミの音楽は爆発的に増え、その素晴らしさは多くの人に知られるようになった。トロムソ国際映画祭では、今年サーミをテーマにした9つのプロジェクトやクリエイターがリリースされた(これは過去50年間でなかった規模だ)。
新しい時代のサーミ作品には誤解・誤表現・ステレオタイプがほぼなく、「先住民のクリエイターたちが自分たちのストーリーを実際に語り、ふさわしい観客に届くために必要なリソースや場所を手に入れる時代がきたのかもしれない」と司会者は語る。
国際音楽祭オスロ・ワールドでは、注目急上昇中の「サーミ・ポップ」について話がされていた。
今の若者は最も誇り高い世代
なぜ今、この変化は起こっているのか?
登壇者の間では「サーミのアーティストの間で変化が起きているのか」それとも「音楽業界や観客がやっとサーミ文化を理解し、評価する準部ができ始めたのか」と問われた。「その両方」だと、エッラ・マリエ・ハエッタ・イーサクセンさんは感じている。彼女は今のサーミ世代を「最も誇り高い世代」と表現した。
エッラさんはサーミ人の俳優、アーティスト、人権活動家であり、若い世代の中で特に際立った存在だ。筆者はよく「ノルウェー版グレタ」と紹介している。
エッラさん「これは、私たちの民族に強要された『恥に対するアレルギー』のようなものかもしれません。恥を撃退する最善の方法は『プライド』であり、私たちはそれを積極的に行っています。このことがサーミにもっと広い場所を要求させるのでしょう。空間に入って、『ねえ、聞いてよ。言いたいことがたくさんあるんだ』と」
「サーミの才能は常にそこにあった」と、音楽の才能が今になって急に芽生えたわけではなく、これまでは発見・評価されてこず、今になってやっと才能のための空間が作られているのだとエッラさんは考えている。
ヨイクは音楽という以上に、「失いつつある伝統」
「ヨイクの伝統は、最も美しい表現方法であると同時に、ある種の、そう、音楽ではないけれど、音楽にもなりうるもので、私たちが失いつつある伝統なのです」
この言葉は筆者にとって「衝撃」だった。サーミの独特の歌唱法で「心の声」とも言われる「ヨイク」は「音楽」であり、最近の取材では「アクティビズム、社会運動をする際のツール」なのだなと理解していたのだが、エッラさんの「そもそも音楽というよりも失いつつある伝統」という、「音楽」とさえ彼女が必ずしも考えているわけではないことは新鮮だ。
最大のジレンマは現存する「差別」構造
サーミ人として、ノルウェーの音楽業界で活動する倫理的なジレンマは「山ほどある」そうだ。ノルウェー音楽業界が「サーミ音楽の価値」に目覚めるまでにこれほどまでの時間がかかった原因は、「差別」だとはっきり指摘した。
「差別こそがジレンマです。そもそも私はサーミ音楽で生計を立てることができている『最初の世代』かもしれず、ノルウェーがやっと目を覚ましたのは、サーミがお金を稼ぎ始めたからだと感じています。まず国際社会がサーミ文化の価値を認め、ノルウェーの産業が利用しとうと動きだした」
「私がもし遠くへ行き、ヒットを飛ばし、大きなフェスに参加したいとしたら、じゃあ私は。自分の人生のキャリアの半分をこのインフラ構築のために費やさないといけないのでしょうか?自分でレーベルを立ち上げ、マネージメント・プログラムを始め、自分のブッキング・エージェントを雇い、『教育』しなければいけません」
「ノルウェー音楽界を内部から変えるために、18歳だった私は難しい決断をしなければいけませんでした。これまでノルウェー人アーティストしか在籍していなかったレーベルと仕事をする最初のサーミ世代のひとりになる、という決断を」
「しかも、『教育的な部分』もやらないといけません。これまでに私と何年も一緒に仕事をしてきた人を、私は絶対に手放さないでしょう。ブッキング・エージェントとして彼が経験したジレンマの数々を私は知っています」
民族衣装は見世物じゃない、ガクティ・ゲート
ある日、エッラさんは、演奏前に「自宅に戻って、民族衣装に着替えるように」指示された。この「舞台上でサーミの民族衣装を着るように期待される現象」は、サーミの人にとって「売り物されているような」屈辱感がある。
「だから私はとても頭にきて、ノルウェーの新聞社に行き、『この人たちはクソだ』と暴露したんです。私のチームではこれを『Gákti gate』(ガクティ・ゲート、※サーミの民族衣装)と呼んでいます」と語るエッラさん。この騒動は有名で、「私たちはショーウィンドーじゃない」という声明は、ノルウェーの音楽関係者や観客にとってハッとする出来事だっただろう。
文化の盗用には常に気を配って
エッラさんの観客はどのような言動をノルウェー人がするとサーミ人を傷つけたり、「文化の盗用」になってしまうのか気にしている傾向が強い。
彼女のコンサートでたまに見かける「現象」がある。それはエッラさんが歌い始めると、サーミ人の観客も一緒に歌い踊り始める。だが、サーミ人ではない白人のノルウェー人たちは「ためらって」いるのだ。自分たちが一緒に踊ったら「文化の盗用」になるのではないかと。
そこでエッラさんは「みんなも歌って、これは文化の盗用じゃないよ!」と「許可」を出す。すると安心してノルウェーの観客たちも音楽に乗り始めるのだ。
音楽業界は誰もが教育を受け直さなければいけない
英国の音楽業界でアーティストのマネージメントや英国のテレビ番組でコメンテーターとしても働くStephen Buddさんは、「音楽業界の関係者は自分たちがどれだけ学ぶ必要があるのか理解していない」と、自分の特権を自覚し、自分を教育する努力をしなければいけないと話した。
エッラさんは自身が尊敬するサーミの先輩としてマリ・ボイネさんを常に話題にあげる。マリ・ボイネさんの時代は以下に今よりも思い負担がかかっていたかを感じ、「自分のサーミ世代はいかに恵まれているか」も再認識させられると。
人種差別に踏み込むのは居心地が悪い
「私は今でも、ノルウェーや社会の大多数との経験で『人種差別に踏み込む居心地の悪さ』を感じています。差別の中に入っていくのは、とても居心地が悪いんです。そういったものを取り除くには長い時間もかかります。すべての部屋に行って、『どんな人種差別的な構造が今ここに影響を及ぼしているのか』をみんなに知らせなければならない」
だからこそエッラさんは「音楽業界でも物事が徐々に良くなっているよね」という「そんな満足感に陥ってほしくない」と考えている。「そうすることで、自分ができたかもしれないことを止めてしまうことにもなるからです」
「自分たちの教育」はそう単純な話ではない
エッラさんの話を聞くほど、ノルウェーの音楽業界ではまだまだ差別構造の解体が必要なのだと感じる。
「自分たちを教育する」対策が何度か話題に出たが、ノルウェー政府傘下の音楽輸出機関「ミュージック・ノルウェー」はすでに行動に出ている。同社はノルウェーの圧倒的多数のアーティストが国外で活躍する際の手助けをしているために、業界の構造を変えるなら重要なリーダーシップを発揮できる。
2024年に向けてのミュージック・ノルウェーの計画と目標は、まさに「自分たちを教育する」ことだ。
先住民や他国の音楽を「奪って」金儲けに利用することを防ぐためにも、先住民アーティストが差別構造にこれ以上踏み込まなくてもいいようにするためにも、白人男性という「特権」ばかりの音楽業界全体がゼロから自分たちを教育し直す必要がある。
そして教育には時間がかかることを覚悟しなければいけない。内在化された自分の差別や偏見に向き合い修正していくことは非常にエネルギーがいるからだ。
筆者も北欧の先住民を取材することが増えて、ジャーナリストとして自分を再教育する必要をとても強く感じている。自分の内在化された偏見や差別が言動に出ないことが「ない」なんて、誰にも言いきれないからだ。自分の言動で誰かを傷つけてしまわないように、学びをアップデートして、自分とも向き合わなければいけない。
ノルウェーの音楽業界がいかに再教育をしていくのか、取材はこれからも続けたいと思う。