犯罪予防のため、子どもに伝えたいこと なぜ弱い動物でも生き残れるのか? #子供 #防犯
子どもは動物が大好き。そのため、動物の生態から防犯を学ぶのはとても楽しい。ぜひ取り入れていただきたい教育手法だ。題して「動物のサバイバルに学ぶ防犯」。
弱肉強食の世界を生きる
アフリカの大草原サバンナでは日々、ライオン、チーター、ヒョウ、ハイエナといった肉食動物によって、シマウマ、インパラ、ヌー、イボイノシシといった草食動物の狩りが行われている。まさに「弱肉強食の法則」が支配する世界だ。
犯罪も「おやじ狩り」「おたく狩り」といったように、狩りによく例えられる。犯罪者がハンターで、被害者が獲物というわけだ。
ハンターは獲物のいそうな場所へ狩りに行く。草食動物が集まる水場は、肉食動物にとって格好の狩り場である。
ライオンが、ネコ科で唯一、群れで生活するのも、獲物が豊富な河川合流点を縄張りとして守るためだ。
とすれば、犯罪者も被害者という「獲物」がいそうな場所に現れるはずだ。
したがって、「人通りのない道」よりも、「人通りのある道」の方が危ないことになる。確かに、人通りのない砂漠には犯罪者は現れず、人通りのある街に犯罪者は現れる。
「犯罪機会論」では、犯罪が起きやすいのは「入りやすく見えにくい場所」であることが、すでに分かっている。
犯罪機会論とは、犯罪の機会を与えないことによって、犯罪を未然に防止しようとする犯罪学の立場。
そこでは、犯罪の動機を持った人がいても、その人の目の前に、犯罪が成功しそうな状況、つまり犯罪の機会がなければ、犯罪は実行されないと考える。
このアプローチは防犯の国際標準だが、日本では普及が進んでいない。
それはともかく、犯罪機会論を「人通りのある道」に当てはめれば、「人通りのある道」であっても、人通りが途切れれば、物理的に「見えにくい場所」になり、人通りが激しくなれば、心理的に「見えにくい場所」になる。
「心理的」が少し分かりにくいかもしれないが、「人通りの多い道」では、注意や関心が分散するだけでなく、「たくさんの人が見ているから、自分でなくても誰かが行動を起こすはず」という「傍観者効果」も生まれることを意味している。
このように、「人通りのある道」は危ない。
そうした道では、犯罪者は、人通りが途切れるタイミングを待っている。そのチャンスが訪れるまで、普通の人として自然に振る舞っている。人通りのある場所だけに、そこにいても周囲が違和感を覚えることはない。
アプローチのタイミングを計る犯罪者は、まるで草食動物の群れを見ながら、群れから離れたターゲットが現れるのを待つ肉食動物のようだ。
しかし、草食動物は、決して肉食動物のなすがままにはならない。
だからこそ草食動物は「弱肉強食の世界」でも、生き残ることができている。言い換えれば、サバンナは「適者生存の法則」が支配する世界であり、強者が必ずしも適者とは限らないのである。
とすれば、「犯罪弱者」である子どもが、草食動物のサバイバルから学ぶべきことは多いはずだ。
草食動物のリスク・マネジメント
南アフリカのリスク・マネジメント専門家ガート・クレイワーゲンは、著書『ジャングルのリスク・マネジメント:アフリカの草原から学ぶ教訓』で、すべての草食動物のサバイバルに共通する要素として「早期警戒」を挙げている。早期警戒が、近づいてくる肉食動物の早期発見につながるからだ。
そのため、草食動物は早期警戒に適した特徴を備えている。その特徴を生かした警戒態勢を敷き、警戒を怠らない。
例えば、キリンの目は顔の側面についているため、広い範囲を見ることができる。休息時は、それぞれのキリンが異なる方向を向くようにしている。
キリンに比べれば、スマホを見ながら歩いている人間は、何と無防備なことか。
一方、ゾウとサイは目が悪い。
しかし、においと音では、ゾウとサイの能力は抜きん出ている。2004年のインド洋大津波の際、スリランカでは、津波が襲来する1時間前に、津波が発生させた超低周波音をゾウが感じ、集団で高台に避難している。
それに引き換え、音楽を聴きながら歩いている人間には、いち早く異常を知らせる音を感じ取ることを期待できない。
ゾウは、人間には聞こえない超低周波音を使って会話もしている。驚くべきコミュニケーション能力だ。
ゾウは最大の陸生動物なので、ライオンに狙われる危険性はほとんどないがゼロではない。テレビ番組『BBCアース』で、ライオンのゾウ狩りの映像が流れたこともある。つまり、ゾウにとっても油断は大敵なのだ。
その意味で、ゾウのコミュニケーション能力は、サバイバルに大いに役立っているに違いない。
さらに、エモリー大学のフランス・ドゥ・ヴァール教授によると、ゾウには鏡に映った姿が自分だと認識する能力があるという。
この自己認識があれば、仲間に共感したり、仲間を援助したりする能力もあるはずだ、とドゥ・ヴァール教授は主張する。
大型アンテロープであるクーズーも聴覚が鋭い。
クーズーは、胴体の色と柄が、低木の幹枝とよく似ている。そのため、茂みに隠れるのが得意だ。しかし、そうしたカムフラージュの最中でも、警戒を怠ることはない。大きな耳を、回転式パラボラアンテナのように、前後に動かす。まるでレーダーを内蔵した動物のようだ。
ちなみに、サッカーのワールドカップ南アフリカ大会で、話題になった民族楽器ブブゼラは、クーズーの角笛が起源だ。
日本では、「防犯ブザーを鳴らそう」「大声で助けを呼ぼう」「走って逃げよう」とよく言われる。しかし、これらは、襲われたらどうするかという「クライシス・マネジメント」で、襲われないためにどうするかという「リスク・マネジメント」に比べ、子どもが助かる可能性は低い。
リスクは「危険」であり、犯罪が起きる前の話だが、クライシスは「危機」であり、犯罪はすでに始まっている。
例えば、学校で火災が発生したとき、火が燃え広がるのを防ぐために散水スプリンクラーを設置しておくのが「リスク・マネジメント」であり、みんなでバケツの水をかけるのが「クライシス・マネジメント」である。
犯罪機会論という「科学」は、最悪の事態を想定するので、追い込まれる前の「リスク・マネジメント」に結びつく。
反対に、「がんばれば何とかなる」という「精神論」は、行き当たりばったりなので、追い込まれた後の「クライシス・マネジメント」に結びつく。
草食動物の早期警戒は、もちろん「リスク・マネジメント」だ。
日本社会も、「クライシス・マネジメント」から「リスク・マネジメント」への転換が必要ではないだろうか。
(後編に続く。後編はこちら)