フェラーリのシートを掴んだモナコの貴公子、シャルル・ルクレール。初めての鈴鹿で奇跡を起こせるか?
30回目の記念大会となる鈴鹿サーキット(三重県)の「F1日本グランプリ」。アロンソの引退、ライコネンのフェラーリでのラストランなど今年のF1日本グランプリには見納めとなるトピックスが多い。そんな中で、特集の第3弾は鈴鹿を初めて走るシャルル・ルクレール(ザウバー)に注目。フェラーリのシートを掴んだ若きライジングスターの来日が非常に楽しみだ。
ビッグチャンスを掴んだ20歳
セバスチャン・ベッテル、キミ・ライコネンのワールドチャンピオンがコンビを組む名門「フェラーリ」がついに大きな決断を下した。キミ・ライコネンに代わって、実質的ジュニアチーム「ザウバー」から今季F1にデビューしたばかりの新人、シャルル・ルクレールを来季からレギュラーに起用すると発表したのだ。ルクレールはデビューイヤーであるにも関わらず、アゼルバイジャンGPで6位入賞を果たし、高い評価を得た。とはいえ、シンガポールGPまででF1実戦経験が僅か15戦のルーキーである。名門「フェラーリ」がこういった実績が少ないドライバーを起用するのは異例中の異例である。
ルクレールの「フェラーリ」への昇格を推進していたのは今年7月に急逝したフェラーリのCEO、セルジオ・マルキオンネ。実業家であり、フェラーリの立て直しに尽力したマルキオンネの影響力は大きく、故人の意思が尊重される形でシャルル・ルクレールの起用が決まった。
ルクレールはフェラーリの若手育成プログラム「FDA(フェラーリ・ドライバー・アカデミー)」の出身。2009年から数多くの若手ドライバーがフェラーリのバッヂを付けてF1を目指したが、ルクレールはFDAから初めてのフェラーリF1ドライバーに就任する。
例が少ないフェラーリの若手起用
「フェラーリ」はF1世界選手権が始まった1950年から参戦を続けている唯一のチームで、レーシングドライバーなら誰もが憧れるF1のアイコン的存在である。しかし、その分、ドライバーたちが味わう重圧は大きい。1990年代から2000年代にミハエル・シューマッハを中心とした黄金時代もあったが、成績不振から政治的ゴタゴタが長く続くことも多く、歴代ドライバーたちの中には苦渋を舐めてきた選手も多いのだ。
歴史的にも若手ドライバーを起用するケースは少なく、1990年代以降ではジャン・アレジが1年半という短いF1キャリアの後に「フェラーリ」のレギュラーシートを掴んだ例があるくらいで、F1での実績が少ないドライバーの起用は、あったとしてもテストドライバーからの代役出場に留まり、引き続きレギュラーを務めることはほとんどない。
アレジの例は非力なエンジンのマシン(当時、ティレル)で優勝争いをしたことが評価につながり、表彰台経験を経ての起用であった。そういう意味では表彰台にまだ登っていないルクレールの起用、しかもまだ結果を残せる状態にあるキミ・ライコネンとリプレースしての起用は今までにない選択と言える。アレジの再来となることができるだろうか、興味深い。ルクレールの実力は他のドライバーたちも認めるものであり、次世代のワールドチャンピオン候補として大きな期待がかけられている。
ルクレールは鈴鹿初走行
今年の「F1日本グランプリ」ではフェラーリ昇格が決まったシャルル・ルクレールが鈴鹿サーキットで初めてレースをする。
ルクレールは2016年にGP3でチャンピオン、2017年はF2(旧GP2)でチャンピオンを獲得してF1昇格を果たした、まさに理想的なステップアップの道を辿ったドライバーだ。そういったステップアップカテゴリーでの華々しい経験に加え、2016年は「ハース」で、2017年は「ザウバー」でF1の金曜・フリー走行でテストドライバー出走している。しかしながら、これまで鈴鹿で走行するチャンスはなかった。
全く初めての鈴鹿でフェラーリ入りを決めた逸材がどれだけのパフォーマンスを発揮するかを世界中のファンが注目している。ドライバーの実力が如実に結果となって現れる「ドライバーズサーキット・鈴鹿」でどれだけの速さを見せるのだろうかと。
過去にはセバスチャン・ベッテルがBMWザウバーのテストドライバーとして鈴鹿を初走行していきなりの速さを見せた例もあるし、ダニエル・リカルドもテールエンダーのHRTで鈴鹿を初めて走った時、チームメイトを上回る速さをしっかりと披露した。現在は精巧なシミュレーターでトレーニングをしているため、初めて走るコースというハンディキャップはほとんどないに等しい。未来のトップドライバーたちは大抵、鈴鹿ではいきなり印象的な走りを見せてくれることが多く、何かしらの逸話を残していくものだ。
ルクレールはF1レギュラーとなった今季のフランスGP、イギリスGP、ドイツ GPで予選Q3(上位10台)に進出。いくらフェラーリの支援が増えたとはいえ、2年連続でコンストラクターズランキング最下位の「ザウバー」でトップ10に入り込んでくるのは凄い。F1日本 GPでもQ3進出となれば予選から大いに盛り上がるだろう。
ビアンキを想い、挑む鈴鹿
モナコ生まれのF1ドライバー、シャルル・ルクレールは爽やかで温厚な、育ちの良さを感じる好青年だ。ただ、モナコ出身と言えども、ルクレールはリッチな環境でチャンスを掴んできた富豪ドライバーではない。父親はレーシングカートコースの管理人という一般的な家庭だった。F1モナコ GPのコースとなる道路を横断しながら学校に通い、父のコースでレーシングカートのトレーニングをする少年時代だったという。
そんなルクレールには子供の頃から兄のように慕ってきた先輩がいる。FDAの先輩でもあり、FDAから初めてのF1ドライバーになったジュール・ビアンキである。ビアンキは2014年のF1日本グランプリで不運な事故に遭遇。後にフランスの病院へ転院した翌年、帰らぬ人となってしまった。ビアンキは当時、将来のフェラーリ入りが有力視されていた。
事あるごとにビアンキへの思いをインタビューで語っているルクレールはビアンキが最後にレースをした鈴鹿サーキットをF1日本グランプリで走る。志半ばでこの世を去ったビアンキが成し遂げられなかったフェラーリのレギュラードライバー。その夢を掴み、ワールドチャンピオンへの道を突き進むルクレールは初めての鈴鹿で奇跡を起こせるだろうか。