F1で最も特別な存在、キミ・ライコネンがフェラーリドライバーとして最後の鈴鹿に挑む!
鈴鹿サーキット(三重県)での開催が今年で30回目を迎える「F1日本グランプリ」(2018年10月7日決勝)。今年は30回記念のイベントということもあり、多くのレジェンドドライバーが来場することもあって、久しぶりに観客増が期待されている大会だ。そんなF1日本グランプリの見所を特集する。第1弾はフェラーリでのラストランとなるキミ・ライコネンに注目しよう。
フェラーリから来季、古巣ザウバーへ
彼の決断は「引退」ではなかった。去就が注目されていた2007年のF1ワールドチャンピオン、キミ・ライコネン(フェラーリ)が9月11日に今季限りでフェラーリを離れることを発表。彼はF1ドライバーとして現役続行を決断し、選んだ移籍先はF1デビューを果たした古巣でもある「ザウバー」だった。
ザウバーは現在、フェラーリ製のパワーユニットを搭載し、同じフィアットの影響下にあるアルファロメオのスポンサードを得て、フェラーリのジュニアチームとして機能している。若手ドライバーの育成があまり得意ではなかったフェラーリだが、今季はFDA(フェラーリ・ドライバー・アカデミー)出身のシャルル・ルクレールがザウバーで大活躍中。テールエンダーからの脱却に貢献したルクレールは来季からライコネンに代わってフェラーリ入りすることになった。
結果として、トレードのような形でライコネンが来季からザウバーに乗る。いくら復調してきているザウバーとはいえ、優勝を狙えるチーム体制ではない。数々の伝説を残してきたワールドチャンピオンのこの決断には噂があったとは言え、世界中のファンが驚いた。ニュースが届いたその日、世界中の多くのファンがルクレールのフェラーリ入りよりも、即座に発表されたライコネンのザウバー移籍の一報をSNSで発信した。やはりライコネンの人気、そして存在感はF1の中で特別なのだ。
8シーズン在籍したトップチーム「フェラーリ」での彼の走りは鈴鹿では見納めとなる。
多くの女性ファンを虜にしたライコネン
ライコネンの存在はデビューから特別だった。2001年にザウバーの代表、ペーター・ザウバーの大抜擢でF3やF3000などのステップアップカテゴリーを経験せずにいきなりF1にデビューした。キャリア不足から彼には4戦限定発給のスーパーライセンスが与えられ、その実力を見極められたが、デビュー戦からいきなりの6位入賞を果たし、最高位4位を2度獲得。翌年からトップチームの「マクラーレン・メルセデス」へと移籍した。
そこから彼はトップドライバーとしての道を駆け上がっていくわけだが、当時、特に日本で注目されたのは彼のルックス。青い目に、ハリウッドスターばりの整った顔立ち。あまりにイケメンすぎるライコネンの存在はモータースポーツを普段から見ない女性にとって、気になる存在となっていく。そして、当時、落ち込んでいたF1人気の回復を狙い、F1中継番組に人気モデルの山田優が起用され、イケメンのライコネンを推していたことも、日本でのライコネン人気を加速させたと言えるだろう。
ただ、彼の人気を決定づけたのはルックスでも若さでもなかった。紛れもなく彼の魅せる走りだった。マクラーレン移籍の2002年、オーストラリアGPでいきなりの3位表彰台を獲得。佐藤琢磨のデビューイヤーで盛り上がった日本GPでも3位表彰台に登ったのだ。翌2003年にはミハエル・シューマッハを脅かす存在となり、ドライバーズランキング2位に。決勝レースでの速さ、レース展開の巧みさが光り、コース上でなかなかオーバーテイクが見られなくなっていたF1で彼のワクワクさせる走りは魅力的であった。
伝説の2005年日本GP
そんなライコネンの最高のレースが見られたのが、鈴鹿で開催された2005年の日本GPだ(当時。マクラーレン・メルセデス)。この時代のF1では、予選で1台ずつコースを占有してタイムアタックする「1ラップアタック方式」が採用されていた。この年、5勝を飾っていたライコネンは予選アタック前に雨が降ったためタイムアップできないという不運に見舞われ、グリッドは17番手に沈む。
しかし、決勝レースでは怒涛のオーバーテイクショーを披露。レース終盤にはトップ争いに加わり、最後のピットストップで一旦首位の座をあけ渡すも最終ラップの第1コーナーでジャンカルロ・フィジケラ(ルノー)を豪快に抜き去って優勝。スタートから16台抜きの優勝という離れ業をやってのけた。
動画:2005年F1日本GP(F1公式YouTube/外部サイトで視聴可能)
このレースは過去29回の鈴鹿・F1日本GPの中でも最も見応えがあったレースと言え、F1の歴史に残る名レースの一つである。当時のF1はピットストップ時の給油があったため、コースサイドで観戦しているファンには順位変動や展開が分かりづらいレースだった。しかし、後方から次々に順位をあげ、ミハエル・シューマッハらと格闘しながらトップ争いに加わったのだ。コース上で目に見えて速いライコネンの走りは今考えても驚異的で、「神がかった」という言葉はまさにこういう時のためにあると思えるオーバーテイクショーになった。
タービュランス(乱気流)の影響も大きく、コース幅が狭いクラシックサーキットの鈴鹿ではオーバーテイクが難しいと言われていたが、キミ・ライコネンはその定説を覆した。ドライバーの実力が如実に結果に現れる「ドライバーズサーキット」と呼ばれる鈴鹿。その定説が21世紀のレースにも当てはまると証明したドライバーである。
F1になくてはならない存在
アグレッシブな走りの一方で、キミ・ライコネンの謎めいた存在感は彼のもう一つの魅力でもある。記者会見や今は義務化されたレース後のインタビューでも多くは語らず、クールに振る舞う姿はお馴染みだ。
レース中継で流れる、レース中のピットとの無線会話もたびたび話題になる。怒りや感情をむき出しにし、放送に適さない言葉にビープ音が入ることも。あまり感情を表に出さないライコネンだが、裏腹に無線交信では実に言葉数が多い。最も有名な無線は2012年のアブダビGPで後方のマシンとの差を伝えようとするスタッフに対し、「Just leave me alone, I know what I’m doing」(ほっといてくれ、俺は自分がやっていることは分かっているんだ!)と冷たく言い放った無線だろう。この無線はTシャツにもなって販売されたほど人気が高い。
その一方で、近年はファンサービスに参加する機会も増えてきており、鈴鹿のF1日本グランプリ前夜祭にも出演し、フレンドリーな一面も見せてくれるようになってきた。
そして、世界中のF1ファンが驚いたのが昨年12月にキミ・ライコネンがインスタグラムの公式アカウントを開設したことだ。これまで偽アカウントやファンアカウントは多数あったが、プライベートをあまり表に出さないライコネンが突然、息子のロビン君や家族と遊ぶ姿をアップロードしたりし始めた。インスタグラムには休日のオフショットに加え、フツーのオジさんがアップしそうな普段着姿の自撮りショットや可愛いイチゴ屋でイチゴを買う姿など、ファンなら思わずクスッと笑ってしまうライコネンらしからぬ写真が出てくる。「アイスマン」のニックネームで知られるクールな立ち振る舞いとは正反対の、素のライコネンがそこには見える。
何かをやってくれそうな存在
閉ざされ、謎めいているからこそ、彼の言動が気になってしまうのかもしれない。そういう意味でもライコネンはF1で誰も真似ができない特別な存在だ。
F1デビューからすでに16シーズン目。無名の新人としてデビューしたライコネンは今や現役最年長F1ドライバー。続行を決めた来シーズンはついに40歳を迎えることになる。
途中、2年間F1を離れ、WRC(世界ラリー選手権)やアメリカのNASCARにも参戦した異色のキャリアの持ち主ながら、38歳という年齢で今季は9回表彰台に登るトップドライバー。フェラーリの地元、イタリアGPではポールポジションも獲得し、優勝目前まで行った。
そんなライコネンは来季からトップチーム体制を離れてしまう。ワールドチャンピオンを獲得したドライバーは自動車メーカーで最も良い体制、すなわちワークスチームで華々しくキャリアを終えるのが通例だ。しかし、古巣ザウバーでも驚くべき走りを見せてくれるのではないか、世界中のファンがそう期待している。過去には1996年にワールドチャンピオンになったデイモン・ヒル(当時ウィリアムズ)がその後、弱小チームのアロウズで2位表彰台、ジョーダンで優勝したような例もある。
とはいえ、現在のパワーユニット規定で奇跡を起こすことはそんなに簡単なことではない。40代を目前にしたトップドライバー、キミ・ライコネンが2005年に激走した鈴鹿サーキットで表彰台に登れるか、はたまた優勝できるか(実現すれば、鈴鹿で13年ぶり)。引退するわけじゃないのに、キミ・ライコネンの走りから目が離せないF1日本グランプリになりそうだ。