12年目の「3.11」 パリ日本文化会館で記録映像上映会。福島の地酒を味わいつつ聞いたこと。
2023年の「3.11」。パリ日本文化会館の大ホールで震災の記録映像上映が行われました。
「映像記録 東日本大震災 発災からの3日間」と題したこの上演会は入場無料。
NHKが膨大な映像から2021年に制作した2本の番組「発災からの3日間」「1年の苦闘」、それぞれおよそ50分の映像が大画面で紹介されるというものです。
日本に住んでいれば、おそらく嫌でもこうしたたくさんの映像を目にすることになるでしょう。いっぽう、フランスでは発災直後こそ衝撃的な津波の映像がトップニュースとして流れ、原発事故の経過があらゆる角度から繰り返し報道、解説されました。けれども、干支も一巡りする12年目の記念日ともなると、あまり話題にも上らなくなり、「3.11」のことを思い出さなかったという人が大半なのではないかと思います。
そんな中でのこの上映会。300人収容の席は半数くらい埋まっていて、フランス人の姿が多いという印象でした。
冒頭では、福島県知事・内堀雅雄氏のスペシャルメッセージとして現在の「Fukushima」の状況についてのスピーチが映されました。福島県内全ての自治体において住民の居住が可能になったこと、そして、県産の農産物輸出が昨年に過去最高を更新したことなどが紹介されました。
記録映像はいずれもフランス語の字幕付き。上映中、会場のあちらこちらからは啜り泣くような声も聞こえ、前編後編の間でも途中退席する人の数はごくわずか。多くの人が静かにその映像に見入っています。
上映後、フロアの一角では、福島県二本松市の「大七酒造」のお酒が振る舞われ、そこで感想を語り合ったり、アンケートに答えたりする姿が見られました。
アンケートの主なものは次のとおりです。
【フランス人】
「大震災を忘れずにいるとともに、犠牲者を追悼する機会となった」(50代女性)
「素晴らしいイベントだった。歳月が経とうとも、追悼の営みがずっと続くよう希望する」(20代女性)
「とても強烈で価値あるイベントだった」(50代女性)
「このようなイベントが必要だと思う」(60代女性)
「震災を忘れずにいることが大切だ」(60代女性)
「日本人が災害にあっても強く、たくましいことがわかった」(60代男性)
【日本人】
「日本人の勇気、へこたれない気持ちを感じた」(60代女性)
「12年後も人々にとって意識されることは大切な事と思います。当時フランスにおりましたので、この苦難、哀しみを同時に体験しなかったことに何か申し訳ない気もしています」(60代女性)
「日本に居るよりも震災を考え直す機会が持てるこの企画は素晴らしい」(60代女性)
会場で、前の席に座っていた女性と目が合い、(いかがでしたか?)と、私は話しかけてみました。
すると女性は開口一番、「私たちの国の指導者にもぜひ見せたい映像だわ。フランスもご承知の通り、原発の国ですから」と言いました。
聞けば、彼女はこの上映会のことを事前に知っていたわけではなく、本を探しに来館。そしてたまたまこの上映会があることがわかり、時間があるので観てみようかという、ごく軽い気持ちで参加したそうです。
「映像はとても素晴らしかったけれども、原発事故についてのその後のこと、具体的に放射線量がどうなっているのかとか、そういう問題にまでは言及してなかったわね。実のところどうなの?」
確かにこの記録映像は、純粋に被災の様子を伝え、被災地の人々の思いや暮らしの変化を追うのが主眼。政府やTEPCO、被災地の人々の健康状態についての言及はほとんどなく、問題の核心をつくディスカッションを常としているフランス人にとってみれば、その点で物足りなさがあるのかもしれません。
ちなみに、最後に名刺交換をして知ったことですが、このフランス人女性は、デザイナーで自身のファッションブランドをもつAnne WILLI(アンヌ・ウィリー)さん。彼女のブランドのファンは日本にも少なくないはずです。何を隠そう、私自身もその一人でした。
「ツーリズムの映像みたいに思えた」
そう語ったのは、彼女の隣にいたフランス人男性。
一瞬、とても意外な言葉だと感じましたが、その方の言わんとするところは、問題提起的なものがなかった代わりに、被災した状況であっても、風景や人々の心根の美しさが強く伝わってくる映像だったということ。
その感想に触発されて、アンヌさんは特に美しいと感じた場面を反芻しています。それは、津波で荒野となり、夜ともなれば真っ暗になってしまう田園を、一台だけ復興した七夕の山車が大きな盆提灯のように進んでゆく光景であり、震災から1年の追悼で、浜に響き渡る読経の合唱。そして、原発から30数キロメートルの場所で、先祖代々の田んぼを続ける若い父親と小学生の息子のシーンです。
少年の半袖シャツから出た腕にはバッタが2匹止まっていて、それに触れながら少年はこんなふうに言うのです。「僕も続けます。こんな生き物がいる田んぼなんですから」と。
アンヌさんはその場面から受けた感銘をこう語りました。
「あの映像を見たら、彼らが故郷を離れることはできないことは十分に理解できます」
私は、12年前のことを思い出していました。
震災当時、福島県の実家の家族たちをどうやったら逃がすことができるのだろう、と、パリで真剣に考えていたことを。結局のところ、そんな私の一人相撲は数日で幕を下ろし、ありがたいことに、家族は今も元気に故郷で暮らしています。
とはいえ、震災からしばらくの間、いえ、もしかしたら今でも、(どうしてそんなところに住み続けられるのか?)と考えている欧州人の友人が一人二人ではないかもしれない。その問いに対して、自分自身の気持ちの部分では納得していても、彼らを完全に納得させることができる、感情論とは別の、いわゆるエヴィデンスに裏付けられた論理的な説明を私はいまだにできていないと思います。
そうした歯痒い気持ちを抱え続けている私にとって、「理解できます」というアンヌさんのキッパリとした言葉は、肩にそっと添えられた手のようで、共感を寄せてもらったように思えました。
そして彼女はこのようにも語りました。
「人間とはなんと愚かで、なんと素晴らしいものでしょう。チェルノブイリのこととか色々なことがありながら、人間は歴史から十分に学ばずにこうした悲しいことが繰り返されてしまう。けれども、そんな中でもたくましく生きる人がいる」
確かにその通りです。
コロナ禍、ウクライナでの戦争、トルコ、シリアでの地震と続く世界。
それ以前の東日本大震災の記憶がやや遠いものになりつつある海外だからなおのこと、今回の上映会のようなイベントが継続されてゆく意義の大きさをあらためて実感しました。