武豊、16年前のアイルランドでの今は亡き名手との思い出と、この秋の期待
フランスからアイルランドへ
広く報道されている通り、レジェンド・武豊がアイルランドへ行ってきた。22日の競馬後に日本を発ち、僅か4日後の26日には帰国。まさしくとんぼ返りの弾丸ツアーで、最大の目的は凱旋門賞(GⅠ)でタッグを組むアルリファー(牡4歳、愛ジョセフ・オブライエン厩舎)とコンタクトを取る事。バリードイルまで脚を伸ばし、エイダン・オブライエン厩舎のディープインパクト産駒オーギュストロダンとも対面してきた。
意外な事にバリードイルに行くのは「今回が初めて」(武豊)だったが、アイルランドには過去に2回行き、1度はレースに乗った事があった。唯一のレース騎乗は2008年の事。今回は当時のエピソードを振り返ってみたい。
この当時、毎年のように夏はフランスに滞在していた武豊。08年もかの国のドーヴィルにいる時に、アイルランドでの騎乗依頼が舞い込んだ。
8月13日、ドーヴィルのホテルを出発したのが朝7時。シャルルドゴール空港まで約2時間運転した後、飛行機で約1時間半をかけてアイルランドのダブリン空港に降り立った。空港に到着した時は小雨が降り、8月とは信じられないくらい寒い気候。そこからアイルランドの競馬学校に立ち寄った後、午後2時にゴーランパーク競馬場に入った。
車から下り、踏み出した足は泥地化した土の中にめり込む。空は相変わらずの厚い灰色の雲で覆われ、冷たい雨が降り注ぐ。ヘルメットや鞍の入ったスーツケースを引っ張って、競馬場の門をくぐる。
「すごい田舎ですね」
たった1鞍に乗るためにここを訪れた武豊が苦笑してそう言った後「でも……」と続けた。
「乗せてもらえる機会をいただければどこへでも行きますけどね……」
僅か4日前の8月9日にはイギリス、アスコット競馬場でシャーガーCに参戦していた。そして3日後の16日にはフランス、ドーヴィル競馬場で行われる騎手招待レース・エルメス杯に出場する予定だった。その間隙を縫うようにしてのアイルランド入り。ゴーランパーク競馬場で武豊を見つけて目を見開いたのはマイケル・キネーンだった。
「何故、こんな場所にいるんだ?!」
笑みと驚きの表情で、武豊に握手を求めて来た。
「何故?!」
その理由を改めて問うと、日本の第一人者は言った。
「日本だけで乗っていたら経験できない事が沢山あります。ここの競馬場だって、日本では考えられないコースで、また1つ勉強になりました」
向こう正面はまるで中山競馬場の障害コースのバンケットのよう。一旦下る3コーナーは馬群が完全に消えるほど凹んでおり、4コーナーへ向かうあたりから再び上ってくる。直線の外側には置き障害が設置されたままになっている。
「大外へ持ち出したら障害を飛越しないといけないですね」
寒空の下、馬場を歩きながら笑いつつ、そう言った。
今は亡き名手と
レースは残念ながら8着に敗れた。しかし、レース前、場内の放送では盛んに“日本からスーパースターがやってきた!”と紹介され、現地のファンにも取り囲まれてサインをねだられた。レース後には、ジョッキールームへ戻ろうとすると、1人のジョッキーに呼び止められた。彼は『家に飾りたいから一緒に写真を撮ってください』と言い、日本のスーパースターと並ぶと、私にツーショット撮影のシャッターを切ってくれるように頼んで来た。ちなみにこのジョッキーは当時売り出し中で、後に9度もアイルランドのチャンピオンジョッキーに輝くパット・スマレン騎手だった。
レジェンド、秋の期待
帰り際にはまたしてもキネーンが「帰るってどこへ帰るんだい?」と聞いて来た。「今晩はダブリンで一泊してから、明朝、フランスへ」と答えると「日本じゃないのか?!」と笑っていた。
それから16年が過ぎた。キネーンは引退し、スマレンにいたっては20年9月、膵臓がんで僅か43歳の生涯を閉じてしまった。一方、アイルランドでアルリファーの手応えを確かめた武豊は今週末、土曜は中京で、日曜はGⅠのスプリンターズS(オオバンブルマイ)等、中山で騎乗すると、10月2日には大井で乗った後、再びヨーロッパへ。来週末は凱旋門賞に騎乗し、その約1カ月後にはアメリカでブリーダーズCに乗る予定だ。まだまだ元気に世界を飛び回るレジェンドが、この秋、また新たな勲章を手にする事を期待したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)