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DeNAの大物ルーキー・度会隆輝はいつも、いいネタをくれます

楊順行スポーツライター
2022年、社会人野球表彰での度会隆輝(後列右端・撮影/筆者)

 横浜DeNAにドラフト1位で入団した度会隆輝が話題だ。13日のフリー打撃では、69スイングで13本の柵越え。15日には日本ハムとの練習試合が予定され、三番で起用されるのだとか。相手の新庄剛志監督は、ヤクルトでプレーした父・博文さんと同学年。幼少期からあこがれの人だった。

「守備もうまいですし、メジャーリーグでのプレーも見ていた。マジでスターですよね。プロ野球界を新しくした方だと思いますし、お会いできるのは光栄です」

 思えば度会は、社会人野球のENEOS時代から、こちらにとってはなかなかいいエピソードを教えてくれたものだ。在籍した3年間に、2度ほどじっくりと取材したときの会話を思い出してみる。

 最初は2年目、2022年のシーズンを迎える前だった。まず聞きたかったのは前年の都市対抗、1回戦。JR東海に1点リードした4回1死で打席に立つと、戸田公星のフォークを右翼席へ運んだ。戸田といえば、当時で社会人15年目。フォークボールの屈指の使い手として知られていたが、高卒ルーキーがその宝刀をへし折ったのだ。

「戸田さんとは、3月の東京スポニチ大会でも対戦があったんです。だから、フォークがすごいのは知っていました。初回にはそのフォークに凡退したんですが、次はミスショットしない感触があった。ホームランは実は、真っ直ぐを待っていたんです。それでフォークに反応できたので、自信になりました」

オドロキの対応能力

 ハキハキと、明るく話すコミュニケーション力も高い。恐るべきは、その対応能力だ。横浜高1年時にも、中学時代はおもにセカンドながら、「外野はできるか?」という打診に、出場機会を得るために「はい」と即答。すると、ほとんど未経験ながら無難にこなすのだから大したものだ。そういえば小学生時代には、ふだんはリトルリーグの硬式球でプレーしながら、ヤクルトジュニアでは軟式球を苦もなく打ち返した。インパクトの衝撃でへこむ軟式球は、硬式のようにボールの下にバットを入れてはポップフライになってしまうというのに……。

 取材仲間に聞いた話を思い出す。高校を卒業し、ENEOSに入寮する日にたまたま取材に行っていたというのだが、まだ18歳、社会人の猛者に交じると頼りなく見えたという。ところが、バットを持ってグラウンドに出ると、ロングティーの打球が何度もセンターのフェンスを越えていったのだ。周囲の先輩たちも、これには目を丸くしたとか。

 高校までの金属から、社会人では木のバットに変わっても「しなりを生かすのは自分に合っている」と、2月下旬にはすでに大学生相手の練習試合で3安打している。

「チームで一番飛ばすし、スポニチ大会前には"四番もありますよ"と報道陣に売り込んだほどです。実際に試合でも結果を出すんですから、大したもの」

 とは、その時点で都市対抗3回優勝の名将・大久保秀昭監督だ。だからこそ、2年目を迎える度会に、大久保監督は高い要求を課した。「練習試合を含めてシーズン打率4割、ホームランは15本」……。これに対して、度会はこういっていたものだ。

「3年でプロに行くには、2年目はステップの年。大口になるかもしれませんが、1年目の収穫を生かし、チームを引っ張っていく気持ちです。度会の打席なら安心できる、という存在になりたいですね」

 実は21年には、父・博文さんが球団スタッフを務める東京ヤクルトが日本シリーズを制し、その2日前には兄・基輝(現JPアセット証券)が中軸を打った中央学院大も、神宮大会で優勝している。その年、コロナ禍で冬開催だった都市対抗では、

「家族のなかで、"あとはオマエだぞ"といわれていました(笑)。今年こそ自分が日本一になりたい」

 そして実際ENEOSは、度会の2年目だった22年の都市対抗を制するのである。MVPにあたる橋戸賞、新人賞にあたる若獅子賞、そして打撃賞と賞を総なめにした度会は、お立ち台で絶叫したものだ。

「絶対やってやるって決めてましたぁ! 最高で〜す!!」

 印象的なのは、東京ガスとの決勝だ。0対4と4点を追う劣勢の6回、度会の3ランで追撃態勢に入ると、一気に流れが変わって2本のソロアーチで鮮烈に逆転、度会はこの大会を通じて打率.429の4本塁打、11打点と、文句なしの活躍ぶりだった。

よっぽど活躍しないと目立たない

 昨23年のシーズン前、2度目の取材ではこんなふうに振り返っている。当時、たまたま目にした記事が強く印象に残っていた。「2年目に活躍できる選手こそ本物」。PL学園から日本生命を経て中日入りし、メジャーでも活躍した福留孝介氏の言葉だった。度会も氏と同じく、高卒でENEOSに入社している。

「その通りだ、と思いました。1年目はルーキーで脚光を浴び、3年目はドラフトイヤーで注目されますが、節目じゃない2年目は、よっぽど活躍しない限り目立たないですよね」

 その2年目の度会は、福留氏が手にしていない橋戸賞まで獲得したから、それこそ「よっぽどの活躍」だった。都市対抗決勝で、益田武尚(現広島)から放ったスリーランは、初球ストレートが外れたあとの2球目。なんと、変化球を待ちながら149キロの速球に反応したという。ふつう、ストレートを待ちながら変化球には対応できても、逆となるとなかなか難易度は高い。度会はいう。

「初球は抜け球だったんですが、151キロのいいボール。あの試合、ENEOSの打線はけっこう低めの落ち球に打ち取られていたので、次は低めの落ち球を意識していたんです。そこで真っ直ぐに対応できたのは、ベストのパフォーマンスに近い。1年目だったら打てていなかったでしょうし、すごく成長を実感できた一打です」

 2年目の活躍で、「本物」を証明したというわけだ。そして……。

「個人の数字より、まずはチームの都市対抗連覇。それに貢献できれば、自然に成績はついてくる。これは大口になりますが、22年にいただいたベストナイン、最多本塁打、最多打点に首位打者を加えた四冠が今年の目標です」

 と臨んだ3年目。さすがに2年目のように賞を総なめというわけにはいかなかったが、3球団の競合のすえドラフト1位でプロへ。そうそう、2度目の取材ではこんな話も聞いた。

「たまたまイチローさんと出会う機会があったんですよ。そのとき、"都市対抗のインタビュー、よかったね。プロ向きだね"と声をかけられたんです。見ていてくれたんだ、と感激しました」。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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