ヤンキースのジャッジが抜いた61本塁打。その記録に”注釈”が付いていたワケを思い出させる名作映画
ニューヨーク・ヤンキースのアーロン・ジャッジ(30歳)が今季62号本塁打を放ち、1961年に同じヤンキースのロジャー・マリス(当時27歳)が樹立したアメリカン・リーグ記録を更新──。その報に接し、思い出した映画がある。
1961年のマリスと”盟友”マントルを描いた映画『61*』
2001年にアメリカでテレビ用長編映画として放送された『61*(シックスティワン・アスタリスク)』である。マリスの61本塁打は、1998年にセントルイス・カーディナルスのマーク・マグワイアによって塗り替えられるまではれっきとしたメジャーリーグ記録だったのだが、実は1991年まで注釈が付けられていた。その注釈を意味するのが、タイトルの「*」だ。
映画は1961年のマリスと、共にルースの記録に挑んだ“盟友”ミッキー・マントル(当時30歳)、「MM砲」(英語ではM&M Boys)と呼ばれた2人の友情や、それぞれの葛藤などを軸に描いている。当然、なぜマリスの記録に「*」が付いているかにも触れている。
「コミッショナーの権限により、今シーズンから154試合を過ぎて達成した記録は別扱いで認めるものとする」
映画のセリフを引用するなら、当時のコミッショナー、フォード・フリックがそう宣言したのは、マリスとマントルがどちらもルースの記録を更新するペースでホームランを量産していた1961年6月のことだ。理由はルースが60本塁打をマークした1927年は年間154試合制で、この1961年は現在と同じ162試合制になっていたからだ。
互いに支え合った「MM砲」
映画でも「コミッショナーはベーブのゴーストライターだ」というセリフがあるように、フリックは記者だった時代にルースと深い親交があった。それゆえ、ルースの記録が破られることを快く思っていなかったことが「宣言」の背景にあったと言われている。
前年のMVPながらまだヤンキース移籍2年目の“外様”で、真面目すぎる性格ゆえにマスコミやファンの受けが良くなかったマリスと、三冠王になったこともあるチーム生え抜きのスーパースターで、陽気な性格からマスコミにもファンにも愛されたマントル。一見すると正反対ながら、2人は互いに支え合いながら“ルース超え”に挑戦する。
だが、マントルはシーズン終盤に54本塁打でリタイア。一方のマリスはマスコミには揚げ足を取られ、ファンからは嫌がらせを受けながらも、152試合目で58本に到達する。続く2試合で2本打てばタイ記録として認められるところだったが、不発に終わる。
それでも155試合目で59号、159試合目でルースに並ぶ60号。10月1日の最終戦、「ルースが建てた家」と呼ばれる本拠地・ヤンキースタジアムのライトスタンドに61号を叩き込み、マリスは注釈付きながらついに“ルース超え”を果たした。
「*」が取れたのはマリスの没後6年
この映画の監督は、コメディアンから転じて俳優として長いキャリアを誇り、熱狂的なヤンキースファンとしても知られるビリー・クリスタル。マリス役はスティーブン・スピルバーグ監督の戦争映画『プライベート・ライアン』における狙撃兵役が印象的なバリー・ペッパー、マントル役は最近ではSF映画『アンチ・ライフ』に出演したトーマス・ジェーンが演じている。
ペッパーは2019年まで東京ヤクルトスワローズでプレーしたデービッド・ブキャナン(現韓国サムスン・ライオンズ)に似た風貌で、ジェーンもそこまでマントルにそっくりなわけではないのだが、映画が進むにつれて2人ともどんどん実際のマリス、マントルに見えてくる。
ちなみに、マリスの記録から注釈が取れたのは1991年のこと。51歳の若さでこの世を去ってから、6年近い月日が流れていた。映画の終わりにナレーションでその事実を伝えているのが、60年近くにわたってヤンキースの場内アナウンスを担当したボブ・シェパードで、本編でもヤンキースタジアムのシーンでそのアナウンスを聴くことができる。シェパードは2010年に99歳で他界しており、見返すとこのシーンだけでも目頭が熱くなる。
1961年にマリスが打ち立てたシーズン61本塁打の記録を、その61年後にヤンキースの後輩ジャッジが破る──。何となく「61」という数字に因縁めいたものを感じてしまうのだが、既にメジャーリーグ記録ではなくなっていたとはいえ、ジャッジにも相当なプレッシャーがあったことだろう。
安易に昔は良かった良くなかった、今のほうが良いとか良くないなどと言うべきではないと思う。それでも映画で描かれていたようなマリスに対する嫌がらせや、1974年にルースの通算本塁打記録を抜いたハンク・アーロン(当時アトランタ・ブレーブス)が受けた脅迫の類いが今回はなかったのであれば、その点では間違いなく今の時代のほうが良い。久しぶりにこの映画を見返して、あらためてそう思った。