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本当に世紀の誤審!?日韓W杯から20年、韓国でイタリア戦の“疑惑のジャッジ”はどう語られてきたのか?

金明昱スポーツライター
2002年日韓W杯のイタリア戦でゴールデンゴールを決めたアン・ジョンファン(写真:ロイター/アフロ)

 今から20年前の2002年日韓ワールドカップ(W杯)でベスト4に入った韓国代表。

 当時のメンバーは現役引退し、指導者の道に進んだホン・ミョンボ(蔚山現代監督)、ファン・ソンホン(U-23韓国代表監督)、チェ・ヨンス(江原FC監督)のほか、解説者として活躍中のアン・ジョンファンなど、“レジェンド”と呼ばれる彼らの存在感はやはり今でも大きい。

 韓国サッカー界の歴史に名を刻んだ英雄の栄光とともに、今も足元をくすぶり続けているのが、“疑惑のジャッジ”だ。

 日韓W杯決勝トーナメント1回戦で韓国はイタリアと対戦したが、その時の主審がエクアドル人のバイロン・モレノ氏。

 この試合では韓国の鬼気迫るプレーにイタリアは完全に手を焼いていたが、その要因はモレノ氏のジャッジにあると言われている。

 激しい当たりを流すシーンが目立ち、MFダミアーノ・トンマージのゴールは取り消され、さらには1-1で迎えた延長前半にペナルティーエリア内でMFフランチェスコ・トッティが倒されたシーンではモレノ氏はイエローカードを出した。

 故意に倒れたと判断されてトッティに出されたイエローカードは2枚目で退場となった。

 人数で有利に立った韓国は、これを機に試合を有利に進めると最後は今でも韓国で語り草となっている延長後半12分のアン・ジョンファンのゴールデンゴールで2-1で勝利する。

今年4月のイタリア紙でモレノ氏がまさかの“反省”

 今年4月、イタリア紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」に2002年日韓W杯で主審を務めたエクアドル人のバイロン・モレノ氏のインタビューが掲載された。

 そこでモレノ氏は、韓国対イタリアの試合を回顧し「あの場面は反省している。戻れるなら韓国の選手にレッドカードを出しただろう」と語っていた。

 しかし、モレノ氏は日韓W杯当時、「トッティのレッドカードは最も批判された事件の1つ」として長らく批判の矛先が向けられつつも、「韓国の選手が先にボールを取っている。トッティはファウルの真似をしてつまずき、転んだ」といたって自身の判定の正当性を主張していた。

 しかし、20年経ってジャッジが間違っていたことへ反省を口にした。何度もこのことについて聞かれ、主張を押し通すことが心のどこかで引っかかっていたのだろうか。

韓国はイタリアの論調が気になっていた?

 この20年で韓国ではこの“疑惑の判定”はどのように語られてきたのだろうか。

 過去の韓国でのニュースを調べてみると、とにかく海外メディアがどのように報じているのかを伝える報道が多かった。

 2019年3月にスポーツ総合サイト「SPOTVニュース」は、日韓大会でイタリア代表監督を務めたジョバンニ・トラパットーニ氏が現地紙「フットボールイタリア」で回顧したコメントを掲載。

「韓国戦は審判のせいですべて起こったことだ。いいジャッジを期待したが、モレノは不公平だった。イタリアを悲しませた。“もしも”があるならば、違う審判で日韓W杯で決勝トーナメント1回戦を戦いたい」

 また、2018年10月の「スポータルコリア」は、トッティの自伝の中にあるコメントを引用し、「私を止めにかかった韓国の守備が、私の体に当たってPKを確信した。それにもかかわらず、審判はペナルティではないカードを出した。私の人生において戦う理由がない試合だった。私たちはあまりにもたくさんの試合で不正された。審判が我々の試合を盗んでいった」と否定していることを伝えている。

 また、この件については、守備の名手パオロ・マルディーニも痛ましい過去と振り返っており、「2002年日韓W杯があるならまた韓国と戦いたい。私はどんな審判にも怒りを示したことはないが、あの時ばかりはそうはいかなかった。心の中にあるよくない言葉を口にした」との批判を韓国メディアが伝えている。

 この件について、イタリアには今もしこりが残ったままなのがよく分かる。

韓国では“被害者”と主張するイタリアが、日韓W杯で敗れたことをどのように受け止めているのかは、気になっていたのは間違いない。

FIFAが認定した“世紀の10大誤審”

 また、2004年の韓国での報道にはこんなものもあった。

 国際サッカー連盟(FIFA)が創立100周年を記念して「FIFA FEVER」というDVDを作ったのだが、そこで「世紀の10大誤審」のなかに2002年日韓W杯が6位から9位まで4つも入っていたことだ。

 6位 2002年日韓大会 韓国vsイタリア:トンマージのゴールがオフサイド。

 7位 2002年日韓大会 韓国vsイタリア:トッティがシミュレーションを取られてイエローカード2枚目で退場。

 8位 2002年日韓大会 韓国vsスペイン:モリエンテスのゴールがファウルの判定でノーゴール。

 9位 2002年日韓大会 韓国vsスペイン:ホアキンのクロスがゴールラインを割っていたとして、モリエンテスのゴールが取り消し。

 これには大韓サッカー協会(KFA)とメディアが反論。KFAは「問題のDVDは外部業者が意図的に入れた可能性が大きい。しかしこのDVDがFIFAの名前で制作されただけに、FIFA側の解明と遺憾の意を伝えることにした」と発表。

 総合ニュースサイトの「ジョイニュース24」(2004年11月)はすべての“疑惑の判定”を検証したうえで、「W杯ベスト4は私たちが成しえたもの」と言い切っている。

 当時、現場ですべてのシーンを見たという韓国記者はこう主張している。

「世界的な判定員暴論が提起されてとても困惑した。当時、韓国メディア全体が、このような混乱に翻弄され、我々の主張を堂々と伝えることができず海外がどのような反応をしているのかを確認するしかなかった。まさにこの点が“敗北”だ。W杯を含む欧州選手権などの大きな大会では、毎回、誤審の波紋が起こる。そしてこれは、サッカーファンの口から出ては、いずれ記憶の中の一つとして忘れ去られていく。しかし、私たちは自分たちの声を大にすることができず、周囲の目だけ見ていたことが、波紋の火種となったのだ。『FIFA FEVER』が選定した10大誤審のうち、8つが欧州の国が違う大陸のチームから被害を受けた事例という点は、欧州中心の排他的な視点が感じられる部分だ」

 つまり、正当に勝ち取ったW杯ベスト4であるから、もっと堂々と主張すべきという論調で、欧州のチームが、他の大陸チームに敗れた場合の判定に“誤審”が偏りがちなのも一考すべきと主張している。

 確かに欧州の強豪チームが、アフリカやアジアのチームに負けた場合は何かしらケチがつくことが多いような気もする。のちに主審のジャッジのせいにすることは、いくらでも可能だからだ。

誤審による韓国ベスト4入りを認める論調も

 とはいえ、韓国内でも日韓大会のW杯ベスト4が、主審のジャッジによってもたらされたと見ているメディアがあったのも確かだ。

 2021年5月に掲載された地方紙「全南日報」に「誤審騒動」というタイトルの記事が掲載されていた。内容はこうだ。

「スポーツの世界で審判の誤審はよく見られること」と前置きしつつ、「我が国で開催された2002年日韓W杯は、ポルトガルやイタリア、スペインなど伝統の強豪が、誤審の犠牲になった悪名高き大会だった。主催国の韓国がベスト4まで進出するまで、審判の誤審による力が大きかった。2006年ドイツW杯のベスト16で対戦したイタリア対オーストラリアの試合や1982年スペインW杯のスペイン対ユーゴスラビアの予選も“審判の助け”が勝敗を分けたスポーツ史上、とても恥ずかしい競技だった。『これはサッカーなのか』というファンの非難も日常だった。人間の錯覚がある限り、誤審は自然な現象だ」

 韓国のW杯ベスト4も誤審による力が働いた側面を認めつつ、サッカーの試合では誤審はつきもので自然なことと伝えていた。

“悪童”がマルディーニの頭を蹴った理由

 最後はJリーグの大宮アルディージャでもプレーした元韓国代表のイ・チョンスの話だ。日韓W杯のイタリア戦で、イ・チョンスがマルディーニの頭を蹴ったシーンはかなり衝撃で、筆者も今でも忘れていない。

 この話について、イ・チョンスは様々な番組で真相について答えている。

 現役引退を表明した2015年にJTBC「ニュースルーム」に出演し、マルディーニの頭を蹴ったシーンについて振り返り、「あえて蹴ったのか、知らずに蹴ったのかという質問ですが、正直に言えば、あえてやりました。すでにこれは明かした事実ですが、あの時の状況を見ればボールがなかった。マルディーニが目を大きく見開いていた姿を今でも思い出します」と語っている。

 そこでなぜそのような行動に出たのかという理由についても、何度も番組で語っている。

 昨年6月にはSBSのラジオ番組でこう語っていた。

「あの時のイタリア代表がタフなのは当然で、フェアプレー精神を持っているなら相手をリスペクトする部分も必要なのですが、自分たちのほうがサッカーがうまい、オマエたちは下手くそという態度が見られたんです。当時、僕はベンチにいました。ある先輩(チェ・ジンチョル)は試合中に血が出ていました。僕も一番年下の後輩として、何かやり残したいという思いでピッチに入りました。それがゴールだったらよかったのですが、このようなシーンが歴史的に残ってしまいました」

 そのあと、イ・チョンスはマルディーニに向けて何度も謝罪したと発言している。

「今もとても申し訳なく思っています。YouTubeでもこの時のことを何度も謝りました」。

 “悪童”の愛称がつけられるほどやんちゃな一面を持っていたが、今では解説者やテレビ番組出演で活躍中だ。

 いずれにしても韓国では、20年前の日韓W杯でのベスト4が“誤審”と騒がれ続けるとはいえ、それを成し遂げた選手たちの姿と多くの国民を熱狂させたのは事実で、今もその栄光は色褪せていない。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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