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【JAPAN-NESS ジャパンーネス】 ポンピドゥーセンター・メッスで日本の建築大回顧展開催

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
坂茂氏が設計したメッスのポンピドゥーセンター(写真はすべて筆者撮影)

フランスのメッスといえば、サッカーファンにとっては、日本代表ゴールキーパー川島永嗣選手所属のクラブチームの町としてお馴染みだろう。フランスの東、ロレーヌ地方に位置するこの地にはパリの国立近代美術館、ポンピドゥーセンターの分館があり、来年の春まで日本をテーマにした数々の催しが予定されている。先日その幕開けとなる「ジャパンーネスー1945年以降の日本の建築と都市計画ー」展が始まった。

パリからTGV(フランスの新幹線)で約1時間半。駅を出て間もなく目の前に現れるポンピドゥーセンターの建物は日本人建築家、坂茂氏によるもので、2010年のこけら落としにはかなりの話題になった。開館記念の坂氏の記者発表には私も駆けつけたが、同じ日本人として大いに誇らしかったことを思い出す。漂う雲のような、あるいは富士山を彷彿させるようでもある威容を見せる建物は当時、何もない土地にポツンと出現したような格好だったが、あらためて訪れてみると周囲には新しい街ができて風景は様変わりしていた。7年経ってすっかりこの地方都市の顔になったセンターを舞台に今回日本建築の大回顧展が行われるというのはなんとも感慨ぶかい。

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展覧会にちなみ、マストには日仏の国旗が翻る
展覧会にちなみ、マストには日仏の国旗が翻る

展覧会の立役者はポンピドゥーセンターの建築部門のチーフであるフレデリック・ミゲルー氏。二十数回の来日経験を持ち、日本の名だたる建築家たちと深い信頼関係を気づいてきた人物で、2014年に金沢21世紀美術館で開催された「ジャパン・アーキテクツ 1945-2010」も彼が監修している。今回のメッスでの展覧会はそれをさらに拡大したもので、設計図、プロジェクト模型などがそれぞれの時代のテーマに沿って展示され、戦後から現在までの日本建築の潮流をダイナミックに総覧できるようになっている。

フレデリック・ミゲルー氏
フレデリック・ミゲルー氏

最初のコーナーの印象が強烈だ。

入るなり、目の前にヒロシマの焦土をテーマにした磯崎新氏の写真作品が広がり、どこかで聞いたことのある音…。

暗い部屋に目が慣れると同時に、その音が「玉音放送」だと気づく。

壊滅的な国土、天皇の人間宣言。

日本人なら躊躇しかねない表現方法を大胆に形にしている。それまでの概念を根底から覆す稀有な歴史体験こそが、その後の日本建築を語る大前提だというミゲルー氏の強いメッセージがここでひしひしと伝わって来る。

丹下健三氏の広島平和記念資料館、東京オリンピックの国立競技場、そして大阪万博の数々のパビリオンなど、時代時代を象徴するモニュメントを始め、実際には日の目を見なかった都市計画の模型なども多数展示されていて、建築家の斬新な発想の系譜がとても興味深い。

Arata ISOZAKI, Re-ruined Hiroshima 1968
Arata ISOZAKI, Re-ruined Hiroshima 1968
昭和28年銀座の街並みを写真で記録した本
昭和28年銀座の街並みを写真で記録した本
都市計画モデル「東京計画1960」丹下健三 水上都市がイメージされている
都市計画モデル「東京計画1960」丹下健三 水上都市がイメージされている
東京空中都市計画(1960-63)模型 磯崎新 
東京空中都市計画(1960-63)模型 磯崎新 
東京オリンピック競技場建築のための模型
東京オリンピック競技場建築のための模型
大阪万博のコーナーでは当時のカラフルな資料映像が
大阪万博のコーナーでは当時のカラフルな資料映像が
「狭小住宅」を象徴する、東孝光「塔の家」(1966)の模型
「狭小住宅」を象徴する、東孝光「塔の家」(1966)の模型
山下和正「顔の家」模型(1974)パリ・ポンピドゥーセンター所蔵
山下和正「顔の家」模型(1974)パリ・ポンピドゥーセンター所蔵
伊東豊雄「東京遊牧少女の包(パオ)」
伊東豊雄「東京遊牧少女の包(パオ)」
藤森照信「高過庵」模型(2003-04)パリ・ポンピドゥーセンター所蔵
藤森照信「高過庵」模型(2003-04)パリ・ポンピドゥーセンター所蔵
保坂猛「ほうとう不動」。現代建築と風土が一体となった例はスライド映像で展開
保坂猛「ほうとう不動」。現代建築と風土が一体となった例はスライド映像で展開

ところで、これほどの規模の大回顧展が日本本国ならまだしも、フランスで開催されて果たして成功するのだろうか?

そんな疑問を持たれる方もいらっしゃるに違いない。

だがおそらくそれは杞憂で、多くのフランスの人たちの注目を集めるに違いないと私は思っている。

というのも、昨今フランスの建築コンペを勝ち取るのが軒並み日本人だという事実がすでにあり、彼らの目覚ましい活躍の背景を知りたいと思うのは当然の流れだろう。

ミゲルー氏は語る。

「フランスと日本、この二つの国の関係は特別です。フランスの二大億万長者のふたりとも、お気に入りの建築家が日本人だというのはまさに象徴的」

たしかに。フランソワ・ピノー氏は安藤忠雄氏、ベルナール・アルノー氏はSANAA(姉島和世氏と西沢立衛氏)にパリで現在進行中のビッグプロジェクトを託している。

もっともこの特別な関係は今に始まったことではなく、戦前にル・コルビュジェに師事した日本人建築家たちについても展覧会では紹介されており、さらにその次の世代の建築家たちのフランス文化への造詣の深さに、ミゲルー氏は実際の交流の中で感銘を受けたという。

さらに逆の流れとして、哲学者ロラン・バルトが日本を旅して綴った『表象の帝国』(1970年)が、日本の建築文化をフランス人が意識するきっかけになったとも指摘する。そういった長年の蓄積の上に、日本人建築家たちのフランスでの華々しい現在があると言えるだろう。

当のミゲルー氏が果たしてきた業績は大きい。設計図や模型などの文化的価値にいち早く着目し、日本の近現代建築の貴重な資料をポンピドゥーセンターに所蔵することに尽力してきた彼のパッションがあったからこそ、金沢、そして今回のメッスでの大展覧会が現実のものになった。

ポンピドゥーセンター所蔵の安藤忠雄「光の教会」セメント模型とミゲルー氏。
ポンピドゥーセンター所蔵の安藤忠雄「光の教会」セメント模型とミゲルー氏。

ところで準備中の展覧会場を巡りながら解説してくれる途中で、彼はこんなこともふと口にした。

「建築史的に注目に値する住宅にしても自治体の建物でも、2年後に再訪してみたら建て替えられていたりする」

スクラップアンドビルド。壊しては新しくする絶え間ない繰り返しがあってこそ日本の建築は発展し、新しいモニュメントも続々と誕生したと言えるが、裏を返せば、よほど条件が整わない限り貴重な建築遺産が日本で存続してゆくことは難しい。ここが歴史的建造物を手当てしながら使い続けるフランスとは大きく違うところだろう。

どちらが良い悪いというつもりはない。だが、文化大国フランスでここまで注目される日本の建築家たちの足跡が、現物では無理だとしても、自国で体系的に資料として残せたら貴重な財産になるのではないだろうか。

ミゲルー氏という外国人の見識と行動から、またあたらめて母国日本の豊かさに気づかされたような気がした。

会期は来年1月8日まで。

10月20日からは「Japanorama」と題して、1970年以降の日本アート展も並行して開催される。

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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