今夜放送『リトル・マーメイド』。原作の童話『人魚姫』は、なぜあんなに悲しい物語になったのか!?
『リトル・マーメイド』の実写映画の公開を記念して、6月2日の「金曜ロードショー」では、アニメ版『リトル・マーメイド』が放送される。
これらの元になっているのは、アンデルセン童話『人魚姫』だ。
子どもの頃に読んだことのある人も多いと思うが、それは驚くほど切ない物語であった。
簡単に紹介すると、『人魚姫』はこんなお話だ。
深い海の底に人魚の国があり、その6番目の王女は「人魚姫」と呼ばれていた。
15歳になった人魚姫は、初めて海の上へ出る。
そして船に乗っていた王子を好きになるが、王子の船は嵐で沈没してしまう。
人魚姫は王子を抱え、必死で浜辺に泳ぎ着く。
そこへ、別の国の王女たちが通りかかった。
人魚姫が岩陰に隠れると、王女が王子を抱き起こし、王子はなんと、その女性に助けてもらったと勘違いしてしまう。
この勘違いが悲劇をもたらすわけで、筆者は「王子、しっかりしろ!」と言いたくなるのだが、物語の紹介の途中で自分の感情を交えてはいかんので、話の続きを記します。
その日以来、王子のことが頭から離れない人魚姫に、魔法使いが言う。
「おまえは人間になりたいんだね? だったら、足をあげよう。その代わり、声をもらうよ」。
魔法使いは、さらに条件をつける。
「もし王子が別の娘と結婚したら、おまえは泡になって消えてしまうことになる」。
なんと、失恋=死ということだ。あまりにも過酷な条件!
だが、人魚姫はこの条件を受け容れた。
希望どおり足をもらって王子にアプローチし、お城で暮らすことに成功する。
王子は人魚姫を妹のようにかわいがるが、「好き」とは思ってくれない。
彼は、自分を助けてくれた女性のことで頭がいっぱいだったのだ。
人魚姫は「あなたを助けたのは私」と真実を告げたいし、自分の気持ちも伝えたいが、声をなくした今、それもできない。
そのうち、王子は、自分を助けてくれた(と勘違いしている)王女との結婚を決めてしまう……!
結婚式の夜、人魚姫の姉たちが海面に現れた。
魔法の短刀で王子を殺せば、人魚姫は人魚に戻れるという。
人魚姫は、短刀を持って王子の寝室に入るが、大好きな王子を殺すことはできなかった。
人魚姫が短刀を投げ、海に入ると、彼女は泡になって消えていくのだった……。
つい長々と紹介してしまったが、この物語はやっぱり悲しすぎる!
本稿では、この悲劇について、空想科学で考えてみたい。
◆人魚とはどんな生物?
そもそも「人魚」とはどんな生物なのだろうか。
アンデルセンは、童話のなかでこう表現している。
「足というものがなく、胴の下は魚の尻尾になっているのでした」。
数多くの絵本やイラスト、アニメでもそのとおりに表現されている。
どれも腰骨ぐらいから下が魚で、そこはウロコにおおわれている。
「腰骨までは人間、腰骨から下が魚」の生物とは、どういう生態なのか?
人間は哺乳類で、魚は魚類だから、両者には大きな違いがある。
人間は子どもを産んで乳を与えるが、魚は卵を産む。
人間は空気中から酸素を取り入れる肺呼吸をし、魚は水中から酸素を取り入れるえら呼吸をする。
人間の背骨が前後に曲がるのに対して、魚は体を左右にくねらせて泳ぐ。
ぜんぜん違う生物なのだ。
人魚姫は貝殻などで胸を隠している印象が強いので、授乳で子どもを育てるのかもしれない。
人間が声を出せるのは肺があるからで、えら呼吸をする魚には声は出せない。
だが、人魚姫は魔法使いに「足の代わりに、声をもらうよ」と言われているから、もともと声が出せたのだろう。
いろいろと不思議である。
実は、人魚姫の下半身は「魚ではなく、クジラやイルカ、ジュゴンのようなもの」と考えると、これらの疑問は氷解する。
イルカやジュゴンは、人間と同じ哺乳類だから、子どもを産み、肺で呼吸し、体を前後にくねらせて泳ぐ。
クジラ(イルカやシャチも)に至っては声も出せる。
しかし、人魚姫の下半身にはウロコがある。
魚にとってウロコとは、体表を保護し、外敵や寄生虫から身を守り、音や水流の速さや温度を感知するセンサーの役目まで果たす、とっても大事な器官。
イルカやジュゴンは、もともと陸上に住んでいた哺乳類が、海に入って進化した動物だからウロコを持たないのだ。
ウロコの問題を考えると、やはり人魚は哺乳類ではなく、あくまでも「上半身は人間、下半身は魚」ということになるのだろうか……。
◆王子はイケメンだったか?
人間と魚の違いを考えると、人魚姫が足を得てお城で暮らしても、なかなかうまくいかなかったのは当然かもしれない。
その結果、彼女の優しい気持ちは、意中の王子には伝わらず、王子の幸せを祈って、泡になって消える……。
筆者は、人魚姫にひとつだけ言いたい。
王子を素敵だと思った、あんたの目は確かだったのか?と。
これ、安易に勘違いするような男に惚れたことを責めているのではなく、物理的な話だ。
人間や魚に物が見えるのは、目に入ってきた光が、目の表面の角膜と、その奥のレンズで屈折し、光を感じる網膜に集まるから。
屈折とは、光が「空気と水」など、種類の違う透明な物質の境目で折れ曲がることで、レンズでは厚いほど大きく屈折する。
人間と魚の違いは、人間の角膜が空気に接し、魚の角膜が水に接していること。
水と角膜との境界では、屈折がほとんど起こらないため、魚の目のレンズは、光を充分に屈折させられるように、厚くなっている。
これまで海底で暮らしてきた人魚姫も、目のレンズは厚いはずだ。
そんな人魚姫が、地上に出てきたらどうなるか。
角膜が空気に触れるため、そこでも屈折が起こる。すると光は屈折しすぎて、網膜より手前に集まってしまう。
これは、人間でいえば「近視」という状態だ。
つまり、人魚姫は、地上では分厚いメガネでもかけない限り、大好きな王子の顔さえよく見えなかったはずなのだ。
つまり、近くでよ~く見たら、優しいあんたが好きになるほどのイイ男じゃなかったかもよ!
……などと言っても、自分の命を捨ててまで王子を守った人魚姫は喜ばないだろうなあ。
せめて天の国で幸せになってください。
筆者も、自分を助けてくれた人を間違えたりしないように、人を見る目を磨こうと思います。