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移民・難民危機再び:政治抗争のコマとしての中東の人民

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2021年夏以降、ポーランドやリトアニアとベラルーシとの国境に「大量の」移民・難民が「押し寄せ」、国境を接する当事国だけでなくEUやロシアをも巻き込む広範な外交危機が生じている。本来、ヨーロッパやロシアの国際関係は筆者の関心領域ではないのだが、国境地域で進退窮まっている人々のうち、少なからぬ者が中東出身者であるとなると無関心ではいられない。

 この件に関し、AFPが国境で野宿するイラク出身者の数名を取材した記事を発信した。この記事によると、過去3カ月に数千人の若者がクルド地区を離れ、うち1600人がベラルーシへと向かったそうだ。「クルディスタン難民協会」の推計によると、現在ベラルーシの国境地帯には同国に観光査証で入国した約4000人のクルド地区出身者がおり、そこには子供、女性、高齢者も含まれるとのことだ。取材に応じた者のうち一人は、イラクのクルド地区のアルビルでタクシーの運転手をしていた者だ。同人によると、ポーランドとベラルーシとの国境での立ち往生は悲劇的な困難だが、それでも「望む場所に行き、社会的公正・平等の下で暮らし、将来が保証されうる生活」はアルビルで暮らすよりもマシだそうだ。同人は、クルド地区では雇用機会が社会の有力者によって独占されており、(同人やその兄弟のように)クルディスタン民主党やクルディスタン愛国同盟のような社会を牛耳る有力政党に入党していなければ公的分野での任用の道は閉ざされると不平を述べた。イラクの中でも治安や経済状況が安定していると信じられているクルド地区にも、権威主義や汚職が人民の将来を閉ざす状況が広まっているようだ。

 やはりイラクのクルド地区の主要としてあるスライマーニーヤ出身の男性は、経済状況と安心感の欠如を理由として、ベラルーシを経路として選択した今回も含めEUへの密航を4回試みているそうだ。同人は、うち続く危機や戦乱によりクルド地区でもイラクでも安全だと感じることができず、息子・娘により良い生活を保証するために移住を希望すると述べた。

 クルド地区からの密航希望者の中には、病気治療を希望して密航を試みた末に、死亡した者もいる。しかし、ベラルーシ経由でのEUに密航した者が多数おり、そうした先行者たちは後続の密航希望者たちにトルコを経由する海路での密航よりも安全で短時間で済むとの情報をもたらしている。越境移動の成功者たちが、後続の者たちを次々と招き寄せるという構図は、既存の越境移動のモデルと同様である。

 しかしながら、移民・難民が「(密航を含む)越境移動をする/しない」や、「どの経路を選ぶか」について主体的な判断をすること抜きには、彼らがどこかに移動するという現象は生じない。たとえ戦争・紛争によって判断の暇もないまま故郷を追われた人々だとしても、彼らも逃亡・避難生活のいずれかの段階で「この先どうするか」について情報を集め、よりよい場所を求めて、或いは故郷への帰還を求めて越境移動か残留かを決定する。つまり、ベラルーシが移民・難民を「送り込んでいる」としても、別に同国がイラクに募集団を派遣してイラク人らを集めるのではなく、イラクからベラルーシへの航空機の運航や入国で便宜を図ってより安全で安価な経路を求める密航希望者を誘導する、という手段をとるだけで十分だということだ。また、ベラルーシがどんなに一生懸命誘導政策を講じても、同国を経由する経路の効率が悪ければ中東の人民はそれを利用しない。ベラルーシを経由してEUに密航を図る者のうちイラク人が多いという問題については、2021年初春から国際問題と化しており、EU諸国当事国となりうる諸国とイラク政府との間には首脳レベルでの協議が幾度も行われている。そのせいもあって、バグダードとアルビルにあるベラルーシ名誉領事館観光事務所は閉鎖された。今後、それでもなおイラク人(主にクルド地区の者らしいが)がベラルーシ経由でのEU入りを希求し続けるとなると、イラクの人々の間でベラルーシ経由での越境移動を円滑にするネットワークが構築されていることを意味するだろう。

 筆者は、長年シリアを中心に中東諸国の人民の越境移動に関する調査に取り組んできた。そこで明らかになったのは、越境移動を行う者たちは移民であれ難民であれ、彼らの人生をかけ、持てる能力の限りを尽くして越境移動を成功させようとする移動の当事者の姿である。それ故、今般の問題のように移動の過程で死亡したり困難にさらされたりする人々を「カワイソー」ネタとしか認識しないことや、越境移動を国際関係を語るネタとのみ捉え移動を試みる者たちを「どこかの政府のコマ」のようにみなすことは状況の理解にも問題の解決にも役立たないと考える。特に、越境移動をする者たちはモノではなく、その価値においてどんなえらい政治家・官僚・ジャーナリストに劣るものではないので、依然としてこの種の記事で「大量の」移民・難民という表現がまかり通っていることは残念でならない。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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