「熊本に恩返しがしたい」。熊本を愛し、古町の魅力を伝え続ける瑠璃さん
熊本に、変幻自在、さまざまな顔を持つ女性がいる。それが、瑠璃さんだ。
ある時は、着物を粋に着こなし、城下町・古町を案内するまち案内人。またある時は、フランス語の発音指導者、角打ちのスタッフ、声楽家のマネージャー…。熊本のあちらこちらで活躍する彼女を、一言で表現するのは難しい。
「あえて言うならカメレオン? みなさんのお役に立つため、いただいた要望にチャレンジし七変化していきたい」。そう話す瑠璃さん。多くの人を惹きつける彼女の魅力から、私たちを前向きにしてくれるヒントが見えてきた。
東日本大震災で被災。熊本でのミラクルの連続に涙があふれた
建築家の父と声楽家の母のもとに生まれた瑠璃さん。母の実家でもある熊本で生まれ、東京で生活しながらも、熊本への里帰りが楽しみで仕方なかったという。縁の深い熊本に戻ったのは、2011年の東日本大震災がキッカケ。母と二人、一時的に熊本に避難し、ホテルにたどり着くと…、スタッフが全員並んで出迎えた。「えっ!?」と驚く二人にスタッフが、「お泊まり予定のお部屋に水道トラブルが起きてしまい、さらに、満室のため宿泊できない状態です。東京で怖い思いをされて当ホテルにおいでいただいたのに、お部屋をご用意できず、本当に申し訳ございません」。そう謝罪され、別のホテルを用意してくれたということ。ただトラブルで別のホテルを用意した。という話だけではなく、「安心を提供できずに申し訳ない」という自分たちへの温かい心遣いに、二人は、2泊目以降は、当初宿泊予定だったホテルに戻り過ごしたという。
「他にも、露店をされているおじさんに、『避難してきたんだろ。これでも食べて』と、商品の“やきいも”をいただいたり…。熊本の人たちは、何てやさしいんだろうと感動しました」。そう語る瑠璃さんの目には、涙が浮かんでいた。
声楽家の母のマネージメントをしながら、小学校でフランス語の補助教諭をしていた毎日。元々、コミュニケーションをとることが好きだったこともあり、東京での暮らしの中でも、何気に道で出会った人に話しかけることがあったが、その都度、変わり者という目で見られてしまった。「とにかく人が多い東京は、みんな、自分が生きていくことに必死な印象でした。それがちょっと怖かったんです。補助教諭の契約も満了するタイミングだったのでフランスに行こうかな…と考えていたところ、熊本に導かれるように戻ることになったんです。生まれた川に戻るシャケのように…。熊本で産んでくれた母に感謝しました」
熊本での暮らしの中で起きるミラクルの連続に、「この人たちと生活を共にしたい」と強く感じるようになり、これまでバラバラだったピースがハマったと言う。
着物好きが出会いを生み、まち案内人としての日々がはじまる
元々、着物が好きだった瑠璃さん。熊本の城下町・古町で商店を営みながら、まちづくりを行う『上村元三商店』の上村元三さんに出会い、その活動の幅を広げていく。「まち案内がしたい!という気持ちは、当初はなかったのですが、元三さんに『着物で遊ぼう!やりたいことは何?』と尋ねられ、ここで働きたい!と伝えて働かせていただくことに。一生熊本で暮らしたい!と言ってはいたものの、友だちもいなかったんですよ」
古町は、加藤清正公が熊本城の築城と共に作った城下町で、現在も、その風情と人情が残る地域。古い町屋を活かした商店も多く、観光スポットとしても知られている。「古い町ほど、よそ者はなかなか受け入れてもらいにくいのですが、親戚のゆかりの地域だったこともあり、町の人たちにすんなり受け入れていただけました。観光スポットと言っても、人々の暮らしもあり、整いすぎていない古町は、歴史が残るポテンシャルの高い地域だと思います。そのことに気づいた時に、もっと知ってもらいたいと思い、まち案内人の修業をスタートしたんです」。
時間や興味のあるものなど、お客さんのニーズはさまざま。密にコミュニケーションをとりながらオーダーメードで行う古町のまち案内はリピーターも多く、熊本県内のお客が半数という。
まち案内は順調かと思いきや、瑠璃さんが古町に関わりはじめて10年、大きな壁に直面しているという。2016年の熊本地震によって倒壊したり、耐震性の見直しによって存続が危ぶまれている町屋が多く景観が変わる恐れがあると言うのだ。さらに、町づくりに関わる人の高齢化や後継者不足、コロナ禍も大きく影響してしまった。
「悔しい思いもありますが、そうは言っても『でくるしこ(できる分でいい)』です。この古き良き場所。気持ちがタイムトリップできる古町を世界中の人に知ってもらいたい。その気持ちは変わりません」。
いつも根っこにある「父の教え」。物事を多面でとらえることが大事
10歳の頃、父親を亡くした瑠璃さん。「物心ついた頃から、長く一緒にいられないことがわかっていたので、父から大人が知る学びを多く教えられていました。だからこそ、早く大人にならなければいけないと考えていました」。バルセロナのガウディや日本の町屋を研究していた建築家の父親は、「常に本物を見なさい。物事を多面で捉えなさい」と教えたという。幼少期から建築美の素晴らしさに触れてきたからこそ、古町の町屋の魅力に人一倍感じることができたのだろう。
現在は、縁が繋がり、熊本の陸の玄関口「熊本駅」の前にある「徳永酒店」の角打ちで働いている瑠璃さん。観光客だけでなく単身赴任などで居場所を求め訪れる人も多く、古町の魅力を伝えるには、絶好の場所で働けているのだ。
「150年以上の歴史のある酒屋での出会いは、大きく、インプットもアウトプットもできて、まち案内にも移住された方や単身赴任の方の心のサポートにも活かせているんです」。
他にも、新たに動き出したプロジェクトもあるようで、「私自身の経験を、熊本に移住してきた人たちのお役に立ててもらおうと、移住者のサポートケアのプロジェクトを遂行中です。熊本市UIJターンサポートデスクの方々に協力してもらいながら、まだ個人レベルですが、今後は、より多くの方の心の支えになれるようになれればと考えています」。
さらに、「恐縮なのですが…」と続ける瑠璃さん。「熊本城復旧基本計画検証委員会の公募委員という大役を仰せつかり、これからの熊本城の復旧復興に微力ながら携わることになりました。城下町の未来を考えるには、熊本城の復旧復興は大前提。日々、勉強です。私の活動の原動力は熊本への還元。さらに素敵な熊本への官と民の架け橋になるべく、熊本愛溢れる熱い想いで奮闘していきます」。
幅広いジャンルで活躍する瑠璃さん。「根っこは全てがつながっているんです。祖父が、人づくり・町づくり・人があっての町だと教えてくれ、父から町屋の魅力、母からは社会人としての姿勢を学び、実は、家族やご先祖様の敷いたレールに乗っているんだと思います。私の向かう未来は、みんなが照らしてくれているんです。幸せの価値観は、自分次第。そう考えると、とても幸せです。これからも流れに身を任せ、柔軟な私でいたいですね」。
瑠璃さん
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