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ランの可能性を追求し邁進する、若き生産者「Tobase Labo・とばせ農園」中川裕史さん

今村ゆきこライター/エディター
「Tobase Labo・とばせ農園」の代表・中川裕史さん(中川裕史さん提供)

地元タウン誌で14年働いていた私は、ブレインの方々からいただいた情報をきっかけに、たくさんの生産者のみなさんと知り合うことが出来た。それは、フリーランスになっても続いている、本当にありがたいことだ。

今回ご紹介する方もその一人。「Tobase Labo・とばせ農園」の代表・中川裕史さんは、ここ1年ほどで、ありとあらゆる方からお名前を聞く、若き生産者。熊本・宇城にある戸馳(とばせ)という小さな島で、パッションフルーツやアボカド、バニラビーンズの栽培にチャレンジし、生まれ故郷に新しい特産品を作る取り組みを行っているのだ。アボカド?バニラビーンズ!? どちらも、熊本県産はかなり希少だ。故郷の未来のため、小さな島で奮闘する中川さんに、その想いを伺った。

「誰も出来ないことをしたい」。漠然とした夢が具体的になった

三角半島と橋でつながる戸馳島(筆者撮影)
三角半島と橋でつながる戸馳島(筆者撮影)

中川さんが暮らす戸馳(とばせ)島は、熊本・天草の玄関口にある小さな有人島。島には、洋ランや柑橘の生産で生計を立てる農家が多く、洋ランの生産量No.1 を誇る「洋ランの島」とも呼ばれている。中川さんも、そんな農家の家に生まれ育った。

「祖父母が柑橘。両親が洋ランを始めました。ただ、我が家の場合、苦労することが目に見えているから…と、親から後を継がなくていいと言われていたので、私自身も、全く別の道に向かっていたんです」。高校卒業後は、理学療法士になるために専門学校へ進学。成績も良かったが、「自分がやりたいことはこれじゃない」と考えるようになり1年で中退。「漠然とですが、誰にも出来ないことをしたいという夢がありました。理学療法士は、それではないと感じたんです」。両親の手伝いをしながら日々を過ごす中、「当時、“農業×○○”というのは、まだ少ない時期で、“ラン×○○”でいろいろと出来るんじゃないか? そう考えるようになり、両親に後を継ぎたいことを伝えました」。

農業の「の」の字からのスタート。最先端の農業を学ぶため渡米し、1年半、語学・農業研修+「カリフォルニア州立大学デービス校」の農業経営短期コースで学びを深めた。いきなり海外⁉ 英語もまともに話せない状況にもかかわらず渡米した。「とにかく規模がデカイし、機械化が進んでいる点に驚きました。ただ、日本での経験もほとんどない状態で渡米したので、比べようがなかったんですが(笑)。オレゴンのナーセリーでの14カ月の研修中で、何より学んだのはボスの人間性。コミュニケーションの大切さを学びました」。

ナーセリーに掲げられた看板。「1週間で100%の働きをしよう!」という意味。働き方・考え方がユニークで感動したと言う(中川裕史さん撮影)
ナーセリーに掲げられた看板。「1週間で100%の働きをしよう!」という意味。働き方・考え方がユニークで感動したと言う(中川裕史さん撮影)

「繁忙期には50人ほどが働くナーセリーですが、ボスは、その一人ひとりと握手し“ありがとう”と伝えるんです。それは、“自分はみんなに支えられているんだ”という想いのあらわれで、こうしたスタッフへの気づかいを学びました」。社会経験の少ない中川さんにとって、このボスの行動は、自分自身の心構えにも大きく影響し、スタッフへの気づかいにつながっているという。

温暖化など島の環境変化も見据えて鉢植えで栽培しているアボカド(筆者撮影)
温暖化など島の環境変化も見据えて鉢植えで栽培しているアボカド(筆者撮影)

帰国後、2018年6月から、「ラン×○○」が動き出し、アボカド、パッションフルーツの栽培がスタート。すぐに動き出せたのは、カリフォルニアでの2カ月間で、事業計画の組み立てまで行っていたからだ。日本人の食文化・風土・流通を考え、まずはアボカドに注目。キッカケは、休暇で訪れたハワイでの経験だった。

「ハワイのファーマーズマーケットで、見慣れない果物に出会ったんです。話を聞くと、全部アボカドっていうじゃないですか。日本で流通しているのはせいぜい1種類だけ。世界には1000品種ほどがあると知り、衝撃を受けました」。

手入れや収穫など、全て手作業で行われる(筆者撮影)
手入れや収穫など、全て手作業で行われる(筆者撮影)

なぜ日本で栽培が少ないのか? なぜ1種類しか輸入されないのか? 流通の動向を踏まえ、事業計画を考えた。帰国後、鹿児島・指宿のアボカド農家の指導を受け、300本35品種からスタート。出荷まで3〜5年かかることを考え、2年目から収入が見込めるパッションフルーツの栽培も並行して行った。「非日常のフルーツなので注目度も高いし、酸っぱいだけじゃなく美味しいパッションフルーツを作りたかったんです」。中川さんのこれらの計画性の高さは、本当に驚かされる。確かに、栽培するだけでは特産品にならない。しっかりと儲けてこそ、「自分たちもチャレンジしたい!」と人がついて来る。それだけ、中川さんは故郷のために本気だということだ。

人から人へ。縁がつながり、一躍有名人に

「アボカドは35品種植えて、3年後に出荷できたのは5品種のみ。とにかく、この島で何が育つかを知りたかったんです」。社名に掲げた「Labo(実験室)」の名前通り、まさに実験。もちろん、洋ランの仕事もしながら、アボカド、パッションフルーツの栽培を行う、休みもなく忙しい毎日を送っていた。

パッションフルーツは1200玉ほどが出荷された(筆者撮影)
パッションフルーツは1200玉ほどが出荷された(筆者撮影)

「パッションフルーツが実り、誰かに食べてもらおう!って思ったんです。PRのためというより、自分自身の自信のため。某ホテルの料理人に送ると“美味しい”というコメントをいただけて、本当に良かったです。それから、人から人へつながり、熊本市中心部での販売や、料理人やパティシエなど、さまざまな人につながっていきました」。パッションフルーツやアボカドを手にし、口にした人たちは、その味に感動し、中川さんの人間性に惚れ、次々と「戸馳のパッションフルーツが美味しいらしい」「珍しいアボカドを作っている農家さんがいる」「中川くんっていう青年が頑張っている」…噂が広がっていった。

廃棄をなくすため加工品にもチャレンジし誕生した「パッションフルーツバタージャム」。ハワイで出会った「リリコイ(パッションフルーツ)バター」に感動して開発することになったそう(中川裕史さん提供)
廃棄をなくすため加工品にもチャレンジし誕生した「パッションフルーツバタージャム」。ハワイで出会った「リリコイ(パッションフルーツ)バター」に感動して開発することになったそう(中川裕史さん提供)

2022年「戸馳島産バニラビーンズ」がここから生まれる!(筆者撮影)
2022年「戸馳島産バニラビーンズ」がここから生まれる!(筆者撮影)

2020年6月からは、なんとバニラビーンズにもチャレンジ。パティシエにとって、国産のバニラビーンズを使えることは、まさにロマン! 全国でも有名なパティシエが立ち上がり結成した「国産バニラプロジェクト」では、中川さんのチャレンジを後押ししている。「バニラビーンズはラン科。洋ラン農家として、この偶然は嬉しかったです」。バニラビーンズも絶賛、実験中。商品化するために欠かせないキュアリング作業を、最短で行える機械も導入予定という。

栽培方法だけでなく、花器にもこだわる(中川裕史さん提供)
栽培方法だけでなく、花器にもこだわる(中川裕史さん提供)

こうした中川さんの想いや活動は、人から人へ。そして、メディアを通して発信され、中川さんを通して、若い世代も「戸馳島」を知り、島で栽培されている「洋ラン」を知ることにつながっていった。「私たち20代は、洋ランに馴染みが少ないんです。あっても“開店祝いの高級な花”のイメージ。それでは、洋ランの需要は下がるばかり。さまざまな仕掛けと同時に、洋ランのアレンジやパッケージなども工夫し、身近な花として知ってもらいたいと考えています」。まずは、洋ランへの興味・関心を高めることが、次世代への継承に欠かせないステップ。これこそが、中川さんが願う「ラン×○○」なのだ。

フラワーシャワーは洋ラン! 戸馳ならではの演出も楽しみなフォトウエディング(中川裕史さん提供)
フラワーシャワーは洋ラン! 戸馳ならではの演出も楽しみなフォトウエディング(中川裕史さん提供)

2021年4月からスタートした戸馳島でのフォトウエディングサービスもその一環。美しいビーチでの撮影はリゾート気分もあり、非日常の中、かけがえのない時間と想い出を紡ぐことができる。次は何を計画しているのか? 中川さんのチャレンジは、まだまだ続く。

Tobase Labo・とばせ農園

熊本県宇城市三角町戸馳1184

TEL080-2694-5883

公式Instagram

ライター/エディター

1979年熊本県生まれ。地元タウン誌に約15年勤め独立。フリーランスのライター&エディターとして、「熊本のファンを増やす」ことを目的に、熊本の魅力的なヒト・モノ・コトを各メディアで発信。熊本第一号の温泉ソムリエ・温泉ソムリエアンバサダーとして、温泉の魅力発信も行う。趣味は温泉・キャンプ・DIYなど。現在は、保護センターから老犬を引き取り、タイニーハウスで田舎暮らしを満喫中。

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