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検査は賢く利用してこそ〜検査室の片隅から

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
新型コロナウイルスの検査をもっとしてほしいという要望が高まっているが…。(写真:アフロ)

感染拡大

 新型コロナウイルス(SARS-CoV2)による感染症(COVID-19)の拡大が止まらない。

 3月20日、大阪府は第9回大阪府新型コロナウイルス対策本部会議を開催し、大阪府、兵庫県の状況について以下のように述べた。

大阪府、兵庫県の全域において

感染源不明(リンクなし)症例が感染世代(5日程度)毎に増加。

1人が生み出す2次感染者数の平均値が兵庫県で1を超えている。

 見えないクラスター連鎖が増加しつつあり、感染の急激な増加が 既に始まっていると考えられる。

試算では、19 日までの間に患者 78 人(うち重篤者 5 人)

次の 7 日間(20~27 日)に患者 586 人(うち重篤者 30+9 人)

次の 7 日間(28~ 3 日)に患者 3,374 人(うち重篤者 227 人)

 感染者報告数がこれから急速に増加し、来週には重症者への医療提供 が難しくなる可能性あり。

出典:大阪府・兵庫県における緊急対策の提案(案)

 私は兵庫県の病院に勤務しており、その影響を肌で感じている。守秘義務があって多くのことは言えないが、通常の医療が行えない危機感を感じている。

新型コロナウイルス感染が拡大し、兵庫県内で少なくとも4病院が外来診療や入院患者の受け入れを休止している。

出典:神戸新聞 3月17日記事

検査・検査・検査

 世界的な感染拡大を受けて、WHO(世界保健機関)のテドロス・アダノム事務局長が発した会見が大きな話題となっている。

Once again, our key message is: test, test, test.(もう一度いう、我々の根幹のメッセージは「検査・検査・検査」だ)。

出典:WHO Director-General's opening remarks at the media briefing on COVID-19 - 16 March 2020

 この言葉が報道されたことで、日本の新型コロナウイルス検査が少なすぎることへの苛立ちの言葉を述べる人が、私の周りにも多くいる。

 なんで日本は検査しないのだ、検査はもっとできるはずなのに。何か裏があるはずだ、と考える知人も多い。

 検査室の片隅に仕事場があり、PCR検査を研究として行った経験がある私としては、決してそんなことはないんだよ、と言いたいところではあるが、私とて今回の新型コロナウイルスの検査の全容を知っているわけではないので、ここではその件については触れない。

 ここでは、検査の一部とされることも多い病理診断を通して、検査を考える際に知っておいて欲しいことを書きたい。

検査は絶対ではない

 当たり前ではあるが、検査結果は絶対ではない。

 理解している人も多いと思っているが、残念ながら医師でさえ誤解している人が多い。

 患者さんにできものができた。がんだと思ってそこに針を刺して細胞をとってきた(生検と言います)。なのに、病理診断(病理検査)の結果はがん細胞がないと出た。

 これはおかしい、何を見ているのだ、ボンクラ病理医め

 こうしたことは結構ある。

 なんでがんだと思ってとってきたのにがんがないのか。病理医が馬鹿なのか。

 それを完全に否定はできないものの、多くは実際にがん細胞が標本中にないことだ。その理由には以下のようなものがある。

  • 針を刺した場所がずれていた
  • 針を刺した場所は正しかったが、たまたまがん細胞がない部分をとってしまった
  • 針を刺してがん細胞を取ることはできたが、標本作成の過程でなくなってしまった
  • がんかがんではないか、判断が難しい

 病理診断は様々なプロセスを経て標本が作成される。

 上記によれば、がん細胞をとった後のプロセスは

  1. 【 切り出し 】
  2. 【 固定 】
  3. 【 脱灰 】
  4. 【 脱水(脱脂) 】
  5. 【 脱アルコール 】
  6. 【 パラフィン浸透 】
  7. 【 パラフィン包埋 】
  8. 【 薄切 】
  9. 【 伸展 】
  10. 【 染色 】
  11. 【 封入 】

 と多数の過程がある。そのどこかでがん細胞が消えてしまうこともあるし、ミスもある。

 がんだと思ったのに結果が思ったものとは違う、ということは起こりうるのだ。

免疫染色してくれ、の誤解

 さらに誤解が多いのは、病理組織標本を特殊な方法で色を付ける免疫組織科学染色(免疫染色)や特殊染色だ。

 例えばある種のウイルスの存在は、免疫染色で感染細胞に色をつけて可視化できる。

 ただ、免疫染色が有用なのはあくまで「ウイルスが感染したっぽい細胞」がいるときだけであり、それがいないのに免疫染色をしても意味がない。何故なら、なんらかの原因でウイルスではない組織に色がついてしまうことが稀ではないからだ。あくまで「ウイルスが感染したっぽい細胞」に色がついたときだけ、免疫染色に意味があるのだ。

 しかし、標本を作る前から「ウイルスの免疫染色をしてください」と依頼してくる医師がいる。

 こうなると、明らかにウイルスなどいないと思われる標本に免疫染色をせざるを得なくなる。無意味でお金だけかかる。

 意味がないことを説明してもトラブルになることさえある。

検査を賢く利用するには?

 「ボンクラ病理医め!」と怒鳴り込む医師は、こうした病理診断の限界が分かっていない。

 本当に優秀な医師は、病理診断含め検査の限界を知っており、検査はあくまで補助手段であることを理解して、様々な検査を利用している。

 だから、たとえ一つの検査が思った通りでなくても、他の検査結果や患者さんの症状を見て、決断をし、治療をする。

 そうでない医師は逆に、患者さんの症状や他の検査が合っていないくても、一つの検査結果を根拠に手術などの大きな治療をしてしまうことさえある。

 病理診断は特に、他の検査よりは治療決定の根拠となる可能性が高いので、日々の診断に細心の注意を払っている。言葉が一人歩きし、過剰な治療がなされてしまった経験を多くの病理医はもっている。

 話を戻すと、みるべきは患者さんであり、検査結果ではない。それが病理診断であろうと、PCR検査であろうと同じだ。

 医師でさえ完全に理解しているとは思えない検査を、医療関係者でない人が誤解したとしても責める気は全くない。

 症状がない人からも広がると言われる新型コロナウイルス。見えない敵を可視化するレーダーとして検査は欠かせない。だが、そのレーダー網に引っかからない敵も多い。このレーダーは敵がいるかもしれないという方向に向けないと、なかなか敵は見つからない。闇雲に空にレーダーを向けても、鳥や雲を敵と誤認してしまうことも多い。

 どんな検査にも限界があることを理解して、賢く検査を利用することが重要だと理解していただけたら幸いだ。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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