小異を捨てて大同につけ〜研究費(科研費)要求増額署名に思うこと
科学技術振興機構(JST)が開催した日本の研究力低下に関する緊急シンポジウム。前回記事では東大薬学部の後藤由季子教授が孤軍奮闘したことを書いた。
日本の研究は再浮上するのか?JST緊急シンポでみた懸念と希望 (榎木英介)
シンポジウム後のX(旧ツイッター)では、多くの研究者が後藤教授に喝采を送っていた。その中で言及された、日本の研究者を支えている科学研究費助成事業(科研費)増額の署名活動が近頃開始された。
日本の未来のために、 科学研究費助成事業(科研費)の増額を求めましょう! (change.org)
なぜ科研費なのか。署名ページでは以下のように述べられている。
幅広い分野の国内の学会が署名活動に参加し、所属会員の総数は100万人を超えるという大規模なものだ。各種メディアも取り上げており、後藤由季子教授がインタビューに答えている。
研究力支える科研費「倍増を」 100万人超所属の学会が署名開始へ (朝日新聞)
【5分解説】学会連合が科学研究費の「倍増」を求める理由 (Newspicks)
学会連合有志、科研費の倍増求め署名活動 競争激化、円安追い打ち
だが、署名活動への研究者の反応は鈍い。いや、むしろ否定的な反応が目立っているように感じる。実際、呼びかけの学会の会員総数が重複を含め100万を超えるにも関わらず、署名数は2万5千だ(2024年7月12日現在)。
反対の理由は?
Xてみられた意見で多かったものは「科研費ではなく(国立大学への)運営交付金の増額のほうがより重要であり、そちらを訴えるべきだ」「科研費を増やした分、運営交付金が減らされてしまうのでは」といったものだ。
確かに運営交付金は2004年の国立大学の法人化後、この20年間減額もしくは停滞傾向にあり、その増額が日本の研究の復活に不可欠なのは多くの識者の意見が一致するところだ。
科研費の増額の代償として運営費交付金が減らされる懸念は理解はできる。
だが、署名呼びかけ文にあるように、科研費もその総額は長らく横ばいだ。科研費に対しては、一部の与党議員から科研費に関するデマも流布され続けており、ネガティブなイメージは一部で浸透してしまっている。
「学術会議が科研費4兆円を再配分」は誤り。「4兆あれば科学立国できる」ネットは嘆き (ハフポスト)
杉田水脈・衆院議員が逆転敗訴 研究者への名誉毀損を認定 大阪高裁 (朝日新聞)
いっぽう、運営交付金についても財務官僚などから否定的な声が目立っているのが現状だ。
異見交論44(上)国立大学は納税者への責務を果たせ 神田眞人氏(財務省主計局次長)(読売新聞)
つまり、科研費か交付金かの二者択一を選べる状況ではなく、現状このままではどちらも増える見込みはない「ジリ貧」なのが現状だ。
なお、今回の署名活動が科研費を増やすために運営交付金を削るような訴えではないことは、呼びかけ文にもはっきりと明記されている。
小異を捨てて大同につけ
署名が政治利用される心配は分かるが、それは署名が数十万を超えるなど一定の数を集まってから懸念すべきだろう。
このままでは、科研費の増額を研究者は望んでいないという印象を与え、いずれの増額にも否定的な政治や行政サイドの一部に「言質」を与えてしまうのではないだろうか。
また、学会は研究者の集団であり、大学に限らず多様な所属の人たちの集まりだ。多様な分野、多様な所属機関からなる研究者の総体としてまとまった訴えをするのに、科研費のような幅広い分野を助成する基礎研究費増額の訴えをするのは理にかなっている。
研究者は国立大学だけにいるわけではないのだ。
国立大学の運営交付金増額の訴えであれば国立大学協会、私学助成であれば日本私立大学協会が動くのが筋であろう。実際、そういった声明は既に出されている。
国立大の財務「もう限界」…国立大学協会が異例の声明 (国立大学)
「国立大学協会声明 -我が国の輝ける未来のためにー 」の発表について
こうしたなか、学会が科研費増額の署名活動をするな、運営交付金増額を訴えるべき、と反対論を展開するよりも、国立大学の側では交付金増額の訴えをより組織的に展開していこうなどと役割分担するなど、より建設的な方向へともっていった方がよいのではないか。
問題はトップダウン型競争的研究費
こういった予算増の訴えに対しては、財務省は予算は新しくつけているではないかといった反論の声が出たりする。しかし、それは本当に日本の研究に役立っているのか。
日本の基礎科学研究の苦境を中国上海から積極的に意見を発信している復旦大学の服部素之教授に意見を聞いた。
上海の日本人研究者が見た「日本の大学の危機」(東洋経済オンライン)
>>科研費や運営交付金などが伸びない中、新しい研究費が次々と立ち上がっているという声もありますが、いかがでしょうか?
確かにこの10年で、内閣府などを中心として多数のトップダウン型の研究費が立ち上がった。だが、それらの中には疑問視されているものも少なくない。
日本の科学技術行政は法人化以降の20年、特定の研究者や研究機関に予算を集中投下する「選択と集中」を突き進んできたが、その目利きに問題はなかったのだろうか。
目利きには専門性が必要とされる。だが、政治家はもちろんのこと官僚にも博士などの専門人材は少なく、財務省のような強い権限をもった「上級官庁」ほど博士がむしろ少ないのが現実だ。この点日本は他国に後れを取っている。
そうであるならば、目利きに疑問符がつく政官主導で研究方向を誘導するよりも、研究者の自由な発想に基づく科研費のような、同業研究者の評価で予算配分を決めるボトムアップ型の研究費をより積極的に支援したほうが良いのではないだろうか。
もちろん千に三つと呼ばれる研究の成功確率を考えたら、目利き不要な運営費交付金のような基盤的な資金を増額することも重要なことは言を俟たない。
前述のように、一部政治家、官庁のアカデミア不信、科研費嫌悪は強い。そういった状況に対して少しでも影響を与えるには、数の力、多数の声が必要だ。学会連合らによる今回の科研費増額の署名運動が数十万の署名を集めたら、それは大きな影響力になる。