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『下剋上球児』の問いかける本当の下剋とは

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:2019 TIFF/アフロ)

お得意の逆転ドラマ『下剋上球児』

『下剋上球児』はなかなか熱いドラマだ。

TBS日曜劇場、お得意の人生逆転ドラマでもある。

タイトルもわかりやすく「下剋上」と入っている。

下にいるものが上に行くお話だ。

三重県にある弱小の公立高校野球部が舞台である。

その弱小高が強くなっていくところが、わかりやすい下剋上である。

これがいわば「表」の下剋上。

そして、もうひとつ下剋上がある。

主人公はニセ教師だった

主人公の野球部監督・南雲脩司(鈴木亮平)は、高校の教師をしていたが、教員免許を持っておらず、資格を持たないニセ教師であった。

露顕しないうちに教師を辞めようとしていたが、熱心な教師でもあったので、いろいろと周りに引っ張られて辞められず、野球部の監督まで引き受けてしまう。

でもこのままではだめだと、自首する。(4話の終わり)

野球部を辞め、高校教師も辞任し、みずから警察へ出頭した。自分は教員免許を持っていないのに教師を務めいたと自分で言った。

不起訴処分になるが糾弾される

自分から名乗り出たということもあってだろう、不起訴処分になった。

不起訴となったので、罪は犯しているものの、それは問われない、ということになる。前科はつかない。

でもニュースになったので、世間中の人が知ることとなった。

噂されるし、ときに面と向かって糾弾される。

免許を持ってないのに教壇に立っていたのだから仕方がない。

再就職もなかなかむずかしい。

社会的には抹殺されかかる。

ニセモノだけれど人一倍熱心な教師だった

しかし、彼はニセ教師時代、じつに熱心に指導をしていた。

本当の教師ではないからということも影響して、品行不良な生徒にしつこいくらいに声をかけつづけ、まっとうな道に戻したり、いろんな生徒に声がけしている。

生徒の言っていることをとりあえず否定しない、というところも生徒には受けていた。信頼の厚い教師であった。

どうせすぐ辞めるんだから、できることは存分にやっておこうとおもったまでだ、とあとで述懐しているが、動機が何であれ、人の心を動かす存在であったことには変わらない。

誠心誠意の人であった。

立場がニセモノであっても、その言動がホンモノなら人は心動かされる。

間違ったことをやらかした人間は抹殺していいのか

彼がニセ教師だとわかったあと、糾弾するのは彼をよく知らない人たちだ。

そっちのほうが声が大きい。

彼を直接知る人たちは、そこまで激しく非難しない。

一緒に野球部を指導し、部長をやっていたのが山住香南子先生(黒木華)である。

事前に彼女には教員免許を持ってないことを告白していた。

不起訴になったあと、南雲は山住に「怒ってないんですか」と聞く。

すると「がっかりはしましたよ、でも……怒る理由はおもいつかんのです」という。

このセリフがドラマの大きなポイントだとおもう。

間違ったことをしていたのは残念にはおもうけれど、近くにいた者として、非難する気持ちにはなれない、というのだ。

それが正直な気持ちだし、それに従って行動するまでだ、ということだ。

これがこのドラマの真のテーマであり、問いかけでもある。

間違ったことをやらかした人間は、それだけで抹殺していいのか。

困ってしまうが助けたいともおもう

もちろん日常の言動も大事だ。

いつも姑息な言動を繰り返し、自分だけ利益を得ようとしているような人間が、犯罪行為を犯したら、ああ、やっぱり、とおもわれるだけだ。

誰も助けようとしない。

日ごろの行いが、小さな善の積み重ねで、どう見ても善き人だとおもえる人が、犯罪を犯してしまうと、みな困ってしまう。でも助けたいとおもう。

それがふつうの人の心だろうとこのドラマは訴えて、そこが熱い。

人を社会的に抹殺してはいけない

罪を犯したら、償わないといけないが、有用な人ならばその人じたいを抹殺してはいけない。

言葉にせずに、このドラマはそこを訴えている。

これもまた下剋上になぞらえている。もうひとつの下剋上だ。

ただ、人として社会で上にいきたいと南雲は考えていないので、底辺には居続けたくない、人の役に立ちたい、と考えているばかりだ。

それはつぶしてはいけない。社会の損失だ。

だからまあ、下剋上というよりは、無理にいうなら下剋というあたりだろう。

学校に呼び出される南雲

7話で熱いシーンがあった。

南雲脩司は、すでに不起訴処分が決まり、罪人ではないので、一般人という立場であった。

弱小野球部のみんなは、南雲に野球部に戻ってきてほしい。

彼に指導してもらうと、きちんと強くなるし、それに楽しいからである。

学校側に話はしてあると監督・横田先生(生瀬勝久)に言われて南雲は復帰する。でもそれはウソだった。

南雲が監督していることを知って、学校に呼び出される。

横田先生は、言いそびれてて、と言い訳する。ちょっとかっこ悪い。

失敗した人間の背中、蹴りつづけて楽しいですか

でも、この先の校長室での横田先生は、見ものであった。

南雲の野球部監督復帰に難色を示す学校側に対して、横田先生はキレる。

「失敗した人間の背中、いつまでも蹴りつづけて、楽しいですか」

「楽しかないよ」

「そんならいますぐやめてください。あんたらいっぺんも失敗したことないいうんですか……」

横田先生はどんどんヒートアップしていく。

彼らを甲子園に連れていきます

「南雲先生……(もう先生でないことをおもいだして)…南雲脩司は、自分の背中を子供らに見せようとしてます。みっともない、情けない背中です……それを蹴飛ばして、何が教育者や!」

この啖呵は学校側の胸に届く。

校長(小泉孝太郎)は「越山高校の評判を回復していただきたい、最低でもベスト8を目指していただきたい」と言葉をかける。

南雲は「いえ、優勝を目指します、彼らを甲子園に連れていきます!」と宣言して、めちゃかっこいい。

越山高校野球部の反撃が始まる

ここから弱小だった越山高校野球部の反撃が始まる。

逆境にあった南雲脩司を、それでも彼の側に立って守った人たちがいたから、この反撃が生まれた。

そして、それを生んだのは、南雲脩司のもともとの生きる姿勢だった。

おれのなかではずっと先生です

ニセ教師だとわかったとたん、多くの人は離れていった。まあ、当然といえば当然だ。

でも信じてる人たちはいた。

野球部の生徒だ。

リリーフ投手として育てていた根室くんがやる気をなくしていたとき(これは5話の話)、南雲の家を訪ねてきたので、声をかける。

「先生にそう言われたら、なんか頑張れる気がしてきましたわ」というので「もう先生じゃないよ」と返す

「……おれのなかではずっと先生です」とまっすぐ言う。まっすぐさに心打たれる。

弟が信じる人のことを信じとります

そのすぐあと、根室くんの行方がわからなくなり、電車の車庫で寝ているのが見つかる。南雲が見つけだした。

親がいない根室くんを迎えに来たのは姉であった。

根室に、遅くなるならうちに泊まれと声をかけたあと姉に「僕とかかわると弟さんが非難を受けるかもしれませんけど」と断る。

姉(山下美月)は先生をまっすぐ見返して言う。

「私、弟が信じる人のことを、信じとります」

力強く言い切る姿に、ぐっと来るシーンであった。

なんでお前が泣いてんねん

実際に根室を家にときどき泊めてやっていると、あるとき、根室の同期とひとつ上の部員たちがみな南雲の家に勝手にわらわらと入ってきた。

これはまだ5話なので、不起訴になったが、野球部には復帰してないころの話である。

そのままみなでわいわい飯を食う。

ひさしぶりに部員たちと話をして、みんなが元気そうなのを見て、また中学のとき将棋部でひよわだった椿谷くんが、上をめざしたい、というのを聞いて、南雲はつい、泣き出してしまう。

でも部員たちは、みんな、見て見ぬふりをする。それが熱い。

足の速い久我原くんだけ、静かにもらい泣きしてしまい、捕手の壮磨が「なんでお前が泣いてんねん」と久我原にだけツッコむところが、笑けてきて、泣けてきた。

嘆願書にあったある名前

南雲が不起訴処分となったのには、2000人近く集まった嘆願書の力も大きかったらしい。

いつもぼんやりしている感じの「打撃が得意」な楡くんがおもいつき、根室くんたちと協力して集めてまわった。

この効果は大きかったとおもいますと弁護士も認めていた。

弁護士から嘆願書の束を見せられたとき、南雲の目が止まる。

「越前恵美」の名前があった。

かつて高校赴任した当初、パパ活をしている不良少女だったのを南雲がしつこくつきまとって更生させた女子生徒である。たぶんいまはまっとうに働いているのだろう。

その一行も文字だけでいろんなことを語っていて、ここも熱かった。

南雲は名前を見てるだけで一言も発しないので、ぼんやりみていたら気づかないシーンであった。そういうさりげないところもいい。

言葉にせずに見せていくドラマ

いまや社会的弱者となった彼を、いろんな人が助けてくれる。

人を助けた人は、また人から助けられる。

言葉にするとお坊さんの説教じみてしまうが、このドラマが強く訴えているのは、たとえばそういうことである。

だから説明的な言葉はない。

見てる者も言葉で理解するわけではなく、その空気だけを吸い込んでいくばかりだ。

いいドラマである。

ただの逆転ドラマではないのだ。

人の心の通い合うさまを、その熱さを言葉ぬきで見せるドラマである。

残りが楽しみでしかたない。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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