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倉本聰脚本『やすらぎの郷』は、ゴールデンを凌駕するシルバータイムドラマ!?

碓井広義メディア文化評論家

高齢者による、高齢者のための、高齢者に向けたドラマ

倉本聰さんが脚本を手がける『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)が始まりました。放送は平日の昼、12時半からの20分枠です。現在のテレビを支える“大票田”でありながら、どこかないがしろにされている高齢者層。このドラマは、高齢者による、高齢者のための、高齢者に向けての、まさに「シルバータイムドラマ」です。では、高齢者しか楽しめないかと言えば、まったくそんなことはない。その辺りが“倉本ドラマ”の強さです。

物語の舞台は、海辺の高台にある「やすらぎの郷」という名の老人ホーム。ただし住人たちは単なる高齢者ではありません。かつて一世を風靡した芸能人や作り手であり、“テレビに貢献してきた”という共通点を持っています。しかも演じるのは倉本さんの呼びかけに応じた浅丘ルリ子さん、有馬稲子さん、八千草薫さんといった本物の大女優たちであり、ノスタルジーに満ちた“虚実皮膜”の人間模様が展開されていきます。

主人公はベテラン脚本家の菊村栄(石坂浩二さん)。第1回では認知症だった妻(雪吹ジュンさん)を亡くした菊村が描かれました。徘徊を繰り返し、夫が誰であるのかも判らなくなった妻の死を、介護からの解放と感じた菊村は、「ホッとした自分が情けなかった」と自分を責めたりします。きれいごとだけでは済まされない人生の断面が、何気ない台詞に刻まれています。

倉本流「テレビへの思い」

また第2回では、東京を離れることを親友であるディレクターの中山(近藤正臣さん)に打ち明けました。自分も入りたいものだと言い出す中山。それは無理だと答える菊村。実は、テレビ局にいた経験のある人間を除外するのが、ホームの創立者の方針だというのです。その理由は、「テレビを今のようなくだらないものにしたのは、テレビ局そのものだからさ」。ドラマとはいえ、この痛烈なテレビ批判、テレビ局批判は倉本さんならではのものです。

しかもこの台詞、シナリオ段階と少し違っています。元々は、「テレビを今みたいに駄目にしたのは、そもそもテレビ局そのものだからさ」でした。放送された完成版では、テレビ局の“罪”をより強調する形に改訂されていたのです。

このシーンを見ていて思い浮んだのは、1974年の秋から翌年3月まで放送されたドラマ『6羽のかもめ』(フジテレビ系)でした。その最終回の“劇中劇”で、近未来の日本政府はテレビ局が国民の知的レベルを下げることを理由に(台詞では「これ以上の白痴化を防ぐために」)、テレビ局は廃止、家庭のテレビは没収とする「テレビ禁止令」を出します。

ドラマの終盤、山崎努さんが演じる放送作家が酒に酔った勢いで、カメラに向かって自分の思い、その憤りをぶつけました。

「だがな一つだけ言っとくことがある。(カメラの方を指さす)あんた!テレビの仕事をしていたくせに、本気でテレビを愛さなかったあんた!(別を指さす)あんた!――テレビを金儲けとしてしか考えなかったあんた!(指さす)あんた!よくすることを考えもせず偉そうに批判ばかりしていたあんた!あんた!! あんたたちにこれだけは言っとくぞ!何年たってもあんたたちはテレビを決してなつかしんではいけない。あの頃はよかった、今にして思えばあの頃テレビは面白かったなどと、後になってそういうことだけは言うな。お前らにそれを言う資格はない。なつかしむ資格のあるものは、あの頃懸命にあの情況の中で、テレビを愛し、闘ったことのある奴。それから視聴者――愉しんでいた人たち」

この『6羽のかもめ』の放送から42年。テレビは中身の「質」より、ビジネスの指標である「視聴率」で評価することをずっと続けてきました。その間、置き去りにされたのがシニア世代の視聴者です。今回、倉本さんは彼らの(そして自身の)“声なき声”に応えたのです。

ドラマを通じて“思うところ”を存分に語る

そういう意味で、『やすらぎの郷』の特色の一つは、倉本さんがテレビ界や社会に対して“思うところ”を、ドラマを通じて存分に語る「場」になっていることです。たとえば第3回には、倉本さんがこよなく愛する「煙草」のことが出てきました。

家を離れる菊村を見送ろうともしない息子が、「煙草は程々にしときなよ」と気持ちの入らない声をかけます。これにカチンとくる菊村。「俺と煙草のつき合いはお前とのつき合いより余っ程長いンだ」とした上で、「煙草が体に悪いことぐらい、云われなくたって判ってる。現に俺はもう肺気腫がすすんでるンだ! けどな当節、俺にとって一番体に悪いのは、そこら中に書かれた“禁煙”ってあの文字だ。あの文字が俺のストレスを・・」と怒りをあらわにしました。

昨今の“禁煙ファシズム”ともいうべき風潮は、倉本さん自身、最大のストレスなのです。だから、老人ホーム「やすらぎの郷」は喫煙可能な施設になっています(笑)。

そして第5話の見所は、何と言っても石坂浩二さんと浅丘ルリ子さんの“再会”シーンです。ご存知のように、2人は実生活で30年間も夫婦でした。結婚のきっかけは、倉本さんが書いたドラマ『2丁目3番地』(日本テレビ系、1971年)での共演。夫婦役が本物になっちゃった。

結婚から46年、また離婚から17年。元夫婦が「倉本ドラマ」で再び共演しているわけです。さらに、結婚前に石坂さんの恋人だった加賀まりこさんも出演者の一人になっています。本人・元ヨメ・元カノの3人がバーのカウンターに横並びとなり、石坂さんをはさんで座っている光景は、大人のドラマらしい、なかなか味わい深いものでした。

82歳の脚本家の果敢な挑戦

今週から、老人ホーム「やすらぎの郷」における、菊村の生活も本格化していきます。それはドラマの中で生きる“懐かしの有名人”たちが抱える、様々な問題の表出も始まるということです。過去への執着、現在への不満、残り火のような恋情や性欲、病や死の恐怖、芸術や芸能への未練といった葛藤。さらに家族との関係や財産(遺産)の問題さえ発生するかもしれません。超高齢化社会のタブーも含む”最前線”を、独自のリアルで描くドラマとして目が離せません。

倉本聰脚本『やすらぎの郷』は、生きるとは何かを問う人間ドラマであると同時に、テレビと真剣に向き合ってきた82歳の脚本家による果敢な挑戦でもあるのです。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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