生涯 野球小僧!沢村賞投手・井川慶(元阪神タイガース)の現在地【前編】
■3ヶ月ぶりの練習を再開したわけは…?
「コロナ、大丈夫でした?」
ニコニコと柔和な笑顔を見せながら、挨拶とともにこう問いかけてきた。いつもそうだ。まず相手を気遣うというスタイルは変わらない。
これが井川慶だ。
彼にとって古巣である兵庫ブルーサンダーズが練習するグラウンドに来て、「久しぶりなんですよ~」と言いながらウォーミングアップをした後、ブルペンを使っての投球練習を行った。
ブルーサンダーズの橋本大祐監督は阪神タイガースでのドラフト同期で、心安い間柄であるため、練習場所を借りにやって来たのだ。
新型コロナウィルスの感染拡大の影響で自粛していたため、トレーニングもろくにできていなかったという。しかし急遽、ピッチング練習を再開したのには、わけがある。
「炎の体育会TV」というテレビ番組のオファーがきた。マスクをかぶって顔を隠し、野球に長けた芸能人と対決するという人気企画だが、かつて同番組の依頼を受けられなかったこともあり、今回は快く引き受けたのだ。
しかし、本番まで時間がない。出るからにはいい加減なことはしたくないという性格だ。真剣勝負に応えようと約3ヶ月ぶりに体を動かした。
アスリートとはいえ、これだけ休んでいては使える体に戻すことは、そう容易ではない。「しんどい…」「歳だぁ…」と言いながら、しかしそれでもやはり投げる球は見事だ。
受けたブルーサンダーズの小山一樹捕手は「マウンドが近く感じる!」と感嘆していた。ほかの選手たちも集まり、「すげぇ!」「回転が違う!」「伸びてくる!」と騒然となった。
4日間の突貫練習だ。立ち投げから始めて3日目に座らせ、最後の日には打者との対戦も行った。
■炎の体育会TV
番組は生放送だった。「マスク・ド・ピッチャー」に扮して、ティモンディのたかぎしさん、ゴールデンボンバーの樽美酒研二さん、J SOUL BROTHERSのELLYさんと勝負した。
たがぎしさんはスライダーで見逃し三振に、樽美酒さんは135キロのストレートで遊ゴロに、ELLYさんはこの日の最速137キロで空振り三振に斬った。
さらに“泣きの1打席”で俳優の岡田健史さんとも対決することになり、高めのストレートで一飛に仕留めた。
もしかすると視聴者は、ちょっぴり体型が気になったかもしれない。自粛生活の間にかなり増量したという。「お腹が邪魔なんですよね、ピッチングするにしても。減らしたいんだけど…」と笑う。
しかし、やや筋肉が落ちたとはいえ現役時代に75cmを誇った自慢の太ももは健在で、独立リーガーたちも目が釘づけになっていたが、番組内でも出演者を魅了していた。マスクをかぶっていても、その太ももで正体はバレバレなのだ。
そして、NPBでプレーしていたころと変わらないフォームから繰り出されるキレのある球に、対戦相手は野球少年のように興奮が抑えきれないようだった。
井川投手自身も久々の“真剣勝負”を楽しみ、心地よさそうに汗を拭っていた。
■“引退”は表明しない
そんな井川投手が近況や今の思いなどを語ってくれた。時折、懐かしい話も交えながら。
では、前後編2回に分けて紹介しよう。
「運動していた自分でも、3カ月くらい休んだらもう…気持ち悪いくらい動けない」。そう言って苦笑する。
ブルーサンダーズでの練習を終えると、息子と一緒に六甲アイランドのランニングコースに出かけて一周走る。ちょうど5キロあるそうだ。
「子どもはチャリだけど。それが終わったら娘を塾に送って、その間にジムでトレーニングして、帰ったら娘を迎えにいって、お風呂に入って飯食って、子どもとちょっと遊んで寝る」。
ここ最近のルーティーンを明かす。イクメンパパである。
現在、どこのチームにも所属はしていない。かといって、引退したわけでもない。まだまだ選手としてバリバリやりたいという願望があるのか。
「いやぁ、そこまで高めようとはしてないけど…まぁ“引退”って、言っても言わなくても一緒かなっていう。そこが一番と、あとイベントとかで体動かしたいんで、投げられる姿を見せたいんで」。
そう説明する。つまり井川投手の中では特に区切る必要もなく、ただ“野球人”として、なんらかの形で野球に関わっていたいというスタンスのようだ。
「自分の知ってることや技術を教えられる」と、野球教室やイベント、テレビ出演などで伝えていきたいと考えている。
「でも子どもたちには野球に限らず、スポーツっていうか外で体を動かしてほしい。イベントに来て野球がおもしろいなと思ってくれた子は野球を続けてもらったらいいし、合わないなと思ったら違うスポーツでも、自分が好きなものを見つけてほしい」。
好きなスポーツを楽しんでほしいと、子どもたちに説く。
■阪神タイガースに対する思い
昨年は平成最後の日の甲子園球場で、試合前のファーストピッチセレモニーに登場した。バッテリーを組んだのは、矢野燿大監督だ。
「古巣だし、注目されてる球団だし、監督もコーチ陣も現役のときに一緒に戦った仲間なんでね。やっぱり注目して見てるし、すごく頑張ってほしい」。
その日、阪神タイガースOB会長の川藤幸三氏から12月のOB会参加の誘いを受け、退団以来初めて出席したという。
このようにタイガースに関わることが増えてきているようだが、現在、古巣に対してどんな思いでいるのだろう。
「やっぱ現役でやってるときはね、阪神がどうのこうのってそこまでね。勝つか負けるかとかね、もっといい球投げるとか、そういう自分中心で、あんま周りは見ていなかった。見ようとも思ってなかったし。でもやっぱこう、今は周りが見れるようになってきたっていうか、必要とされればお手伝いできればと思う。ただ、コーチとか監督とか内部には入りたくないけど(笑)」。
指導者願望はまったくないという。それはタイガースに限らずだ。
「外からね、応援できればなって感じ」。
いかにも井川投手らしい。
■自分自身は耐えられても…
振り返っても、井川投手が在籍していた当時は、今よりもっとヤジも激しかったし、メディアで厳しく叩かれることも多かったように思う。
茨城県という関西とは“異文化”の地から18歳でやってきて、さぞかしつらい思いもしたのではないかと察する。
「そんなつらいって感じは正直なかったけど、あることないことなんで書かれんのかなぁっていう感じと、あと、甲子園で投げてても『応援はされてないなぁ』という感じはしましたね、ヤジが。ピッチャーの場合はどうしてもね、抑えて当たり前だから」。
自分なりに受け止めてはいたし、そこまで気にはならなかったという。
「それを気にしてるくらいじゃダメなんだなという感じで、自分はあまり気にしてなかったほうだけど、周りが気にすると家族まで来るじゃないですか。自分ひとりなら全然平気なんだけど、周りまで巻き込んでしまうっていうのがあった」。
自分だけでは済まないのが、つらいところだ。
■虎のエースとして君臨
阪神タイガースでは2度のリーグ優勝に貢献した。2003年には20勝を挙げ、投手にとって最高峰の栄誉である沢村賞にも輝いた。この年は12連勝や4戦連続完投勝利など、圧倒的な強さを誇った。「エース」と称され、数々のタイトルも手中に収め、オールスターゲームにも選ばれた。
すると、井川投手の中にあるものが芽生えはじめた。メジャーへの憧れだ。
「2002年くらいから意識するっていうか、行ければなぁっていう目標ですよね。1シーズン投げてみて感じがわかって、もちろん2002年に行けるとは思ってなかったけど、もっと高いレベルがあるならそこでやってみたいなと思って」。
その後、思いは高まる一方だったという。
「2003、2004年と過ごすうちに、同じバッターじゃないですか。やっぱりモチベーションが保てなくなってくるし、狙ったタイトルも獲れだして、1シーズンも放れるし、思うようにいくようになったんで、若いうちに行ければ行きたいなと」。
ただただ向上心ゆえだった。5年連続2ケタ勝利を達成すると、強い希望であったメジャー挑戦を認められ、ポスティングでニューヨーク・ヤンキースに入団することとなった。2007年、いよいよ海を渡った。
■タイガースとの環境の違い
しかしアメリカでは思うような活躍をすることはできなかった。2012年に帰国し、オリックス・バファローズに入団した。実は何球団か誘いがあったという。
「オリックスさんにはだいぶ前から誘っていただいて、すごく動きも早かったんで。岡田(彰布)監督に出してもらってアメリカに行かせてもらったんで、岡田監督のところに戻るのがベストかなと思った」。
同じ日本球界とはいえ、まったく違う環境に驚いた。
「阪神とは全然違うなと。プレッシャーがそんなない。注目度が違うっていうか。阪神だったらファームでも普通に(新聞に)載るじゃないですか。それがまったくないんで、のびのびだった(笑)」。
違う環境のチームに所属できたことは貴重な経験だが、その順番がよかったと振り返る。
「阪神が最初でよかったと思う。これがスタンダードになるじゃないですか。でもオリックスからスタートだったら…(笑)。西(勇輝)も…いや、西は大丈夫かな、性格上。でもたぶんギャップは感じたと思う」。
自身とは逆パターンの後輩のことを思いやる。
■肉体改造?をして兵庫ブルーサンダーズへ
バファローズには4年間在籍した。その最終年、2015年のことだ。
「6月くらいにはもう今年で終わりだっていうのを言われて…」。
あまりにも早い戦力外通告だったが、井川投手は冷静に受け止めた。
「そりゃそうだなと。戦力にもなってなかったし。体のコンディションもあまりよくなかったので、辞めようかなと思った」。
しかしここで、ある考えが浮かんだ。
「どうせ辞めるんだったら体だけシェイプアップしよう、太った姿で辞めたくないなと(笑)。それで肉体改造…っていっても、単純にシェイプアップなんだけど。トレーニングコーチやトレーナーに相談して、これまでのトレーニングを一から見直してやったら、145(キロ)くらいまでスピードが出るようになった。あれ?と思って(笑)」。
幸いにも肘も肩も元気だ。そこであと1シーズンはどこかでプレーしたいと考え直したという。狙いは独立リーグだ。
そこで縁があったのが、関西独立リーグの兵庫ブルーサンダーズだった。ちょうどタイガース時代のトレーニングコーチだった続木敏之氏が野手コーチとして在籍していたのだ(2017年は監督)。
ただ、即契約とはならなかった。
「すぐやろうと思ったけど、2カ月休んだらもう体が動かなくて。1年間リハビリしてから契約した。1年という約束で」。
バファローズを退団した2年後の2017年、2年ぶりの公式戦マウンドに上がった。そして11勝0敗、防御率1.09という圧倒的な力の差を示し、勝利数、防御率、奪三振数(94)のすべてでタイトルも獲得した。
■若手選手の生きた手本に
現在、「引退はしていない」が、どこにも所属していない井川投手。ブルーサンダーズの橋本監督はいつでもウェルカム状態で待ってくれており、チームのユニフォームも用意してくれた。
はたして井川投手は再びブルーサンダーズに入団するのか。
「もし入団会見を開いたら5度目だ(笑)。阪神、ヤンキース、オリックス、ブルサン、2度目のブルサン」。そう言って楽しそうに笑う。
スケジュール的に難しいのか。しかし橋本監督も井川投手には“自由出勤”を認めている。そうまでして入団を熱望するのは、若手にもたらされる多くの恩恵があるからだ。
現にこの4日間の井川投手の練習参加で、選手全員が刺激を受けていた。正捕手の小山選手は「投げる球の音に驚いた。伸びやキレも力感以上に感じたし、高さとコースの投げ分けの精度が精密で、受けていて楽しかった」と、バッテリーが組めたことに感激していた。
打席にも立った小山選手はさらに「思っているよりも早くタイミングをとらないと遅れる」と、手元で伸びてくることを実感したという。
準備にかける時間や丁寧さからはじまり、実際のボールのキレやコントロール、持っている知識、さらには醸し出すオーラ…など、井川投手だからこそ授けてもらえる有形無形のさまざまなものを“生きた手本”として、若いチームは欲しているのだ。
井川投手が今後どうするのか気になるところだが、次回は井川投手の中で今も大切にしているできごと、今も持ち続けている思いに迫る。
(【後編】へ続く)
(撮影はすべて筆者)