石原慎太郎著『天才』に書かれたロッキード事件の大ウソ
反田中の急先鋒であった石原慎太郎元東京都知事が田中角栄元総理の人生を一人称で書いた『天才』(幻冬舎)を出版した。タイトルが示す通り田中角栄という政治家を先見性に満ちた「天才」と評価し、戦後の日本を切り拓いた天才がロッキード事件によって葬り去られた事を惜しんでいる。
2011年3月に東日本大震災が起きた時、「津波は天罰」と発言して物議をかもした石原都知事は、同時に「こんな時に田中角栄がいたらなあ」とも発言し、私に「おや」と思わせた。
田中批判で名を売った人がようやく田中を理解するようになったのかと思ったが、おそらくこの本を書くために田中について調べていた時だったのだろう。『天才』の後書きで石原氏は「東京都知事としてやれなかった事がいろいろあるが、もし田中角栄が健在で相談をしていたらやれたかもしれない」という趣旨を述べている。
ロッキード裁判の一審判決が秋に予定されていた1983年初頭、私はTBSの「報道特集」で「田中角栄とは何か」という番組を制作した。系列局を動員してそれぞれの地元にいる50人以上の自民党国会議員を取材し、刑事被告人でありながら自民党最大派閥を率いる田中角栄という人物像をインタビュー構成で浮き彫りにしようとしたのだ。
「百年に一度の天才」、「私の太陽」、「金だけの人」、「天性の人たらし」など様々な答えが返ってくる中、当時衆議院議員だった石原慎太郎氏には私が直接インタビューした。石原氏の答えは「バルザックの人間喜劇だな」で、いささか木で鼻をくくった言い方だった。
当時の石原氏は日中国交回復に反発する自民党右派の団体「青嵐会」の幹事長として反田中の急先鋒であったから、いささかなりとも田中の政治を認める訳にはいかない姿勢があった。それが政治家としての晩年を迎え、まるで逆の見方に変わったのである。
私は角栄氏を密着取材した政治記者の一人として、石原氏が『天才』を書いた事を嬉しく思い、また良く調べてあるとも思うが、ただ一点、ロッキード事件については全く誤った理解の上に書かれている。それを正さないとせっかくの著作が無意味になる。
石原氏は「田中元総理が独自の資源外交に乗り出したため、アメリカという支配者の虎の尾を踏んで怒りを買い、虚構に満ちた裁判で失脚に追い込まれた」との見方に立っている。そして「当時の自分は田中に対するアメリカの策略に洗脳された一人だった」と書いた。
この「虎の尾を踏んだ」説を展開したのは田原総一朗氏で「中央公論」の1976年7月号に掲載された。情報元は中曽根康弘氏と言われる。この説に立てばロッキード事件は田中を失脚させるためのアメリカの謀略になる。しかしそれは全くの大ウソと言って良い。
私はロッキード事件を事件発覚直後から取材し、東京地検特捜部が捜査を終了させた時まで検察担当をしていた。またその後アメリカ議会を10年余取材してロッキード事件が起きた頃のアメリカ政治についても調査した。
ロッキード事件は1976年2月にアメリカ議会上院の多国籍企業小委員会で発覚する。アメリカの軍需産業であるロッキード社が世界十数か国に秘密代理人を置き、賄賂を使って航空機の売り込み工作を行っていた事実が暴露された。
つまり日本だけがターゲットにされたのではなく欧州、南米、中東、アジアの国々などの秘密代理人の名前が公表された。代理人はいずれも反共主義者で、その代理人から政府高官に巨額の賄賂がばらまかれていた。日本の代理人は右翼民族派の領袖児玉誉士夫である。そこには25億円余の工作資金が流れ込んでいた。
児玉と最も親しい関係にあったのは中曽根康弘氏である。共通の秘書を抱えていた。そして中曽根氏は四次防の時の防衛庁長官としてロッキード社の対潜哨戒機P3Cオライオンを導入していた。しかし事件発覚直後に児玉は入院し、ロッキード社との通訳を務めた人物も急死する。その後に児玉も病院で亡くなり、児玉ルートは闇に消えた。
なぜアメリカ議会がロッキード事件を暴露したか。実はその2年後に今度はアメリカの証券取引委員会がやはり軍需産業のグラマン社を告発する。こちらは早期警戒機E2Cの日本売り込みに、日商岩井を経由して岸信介、福田赳夫、中曽根康弘、松野頼三に秘密資金を提供していた。
つまりこの時期のアメリカは自国の軍需産業と世界の反共人脈の不適切な関係を断ち切ろうとしていたのである。ベトナム戦争に敗れ、ニクソン大統領の秘密工作が暴かれたウォーターゲート事件の直後に起きたのがロッキード事件である。アメリカ政界は反共主義から脱皮しようと政治改革に取り組んでいた。透明性が政治にとっての最重要課題になり、情報公開法が作られ、議会のテレビ中継も初めて認められた。
従ってロッキード事件は田中を狙ったものではない。アメリカがターゲットとしていたのは自国の軍需産業と世界の反共人脈の癒着である。それを田中逮捕に持ち込んだのは三木武夫総理で、石原氏が『天才』で書いているように三木は田中を目の仇にしていた。当時中曽根氏は三木を支える幹事長で、都合の良い事に稲葉修法務大臣も中曽根派であった。そこから田中追い落としのシナリオが作られたと私は見ている。だから田中は最後まで無罪を主張した。
ロッキード事件で秘密代理人として名前を公表されたオランダの女王の夫も、西ドイツの国防大臣もイタリアの副大統領も誰も逮捕されたりしていない。ところが日本だけは検事がアメリカに派遣され、ロッキード社の幹部を刑事免責にしたうえで調書を取り、それを証拠として田中元総理を逮捕した。
『天才』で石原氏は知り合いのアメリカ人記者が刑事免責をした証言を適用した日本の裁判に疑義を示していたと書いているが、アメリカは田中を逮捕し、有罪にした日本の司法を驚いていたと思う。少なくもキッシンジャーは田中逮捕に反対していた筈である。田中が有罪判決を受けた後、キッシンジャーは目白の田中邸を2度も訪れて情報交換を行っている。
ロッキード事件でただ一人有罪判決が確定した政治家は中曽根派の佐藤孝行衆議院議員だが、この人物は中曽根派の中で異様な力を持つ存在になる。毎回の閣僚人事で中曽根氏は真っ先に大臣候補に推薦する。まるで借りを返す義理があるかのように私には見えた。
そして角栄氏は中曽根氏を総理に就任させ、さらに大勲位の勲章まで取らせるシナリオを書き、代わりに自らの無罪を勝ち取ろうとしたのである。それが途中で病に倒れてしまい、最高裁が刑事免責の調書を証拠として認めないと判断したのは角栄氏の死後であった。
検察担当記者としてロッキード事件を取材し、その後政治記者として田中角栄氏を密着取材する事になり、さらにアメリカ議会を取材した私が知る情報はそういうものだが、子息が現職政治家である石原氏には知っていても書けない事があるだろう。しかし「アメリカの虎の尾を踏んだ」という大ウソを書く事はしない方が良い。ウソをホントと思わせる事は後世にとってよろしくない。