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ヤクルト飯原、「折れない心」が生んだ涙の決勝弾

菊田康彦フリーランスライター
飯原の決勝弾の舞台となったヤクルトの本拠地・神宮球場(写真:アフロ)

「ホントにあの……ここに立てて幸せです」

4月30日の読売ジャイアンツ戦で決勝の逆転2ラン本塁打を放ち、本拠地・神宮球場でお立ち台に上がった東京ヤクルトスワローズの飯原誉士は、言葉に詰まりながらそう話すと目を潤ませた。

今年でプロ11年目。2年目の2007年から2年連続で規定打席に達し、3度目の規定打席到達を果たした2010年にはチーム2位タイの15本塁打を放ったが、その後は思うような成績を残せなかった。昨シーズンは5月に左ヒザ後十字じん帯の損傷で登録を抹消され、出場はプロ入り以来最少の18試合。チームは14年ぶりのセ・リーグ優勝を成し遂げたものの、自身はカヤの外だった。

今シーズンは春季キャンプも二軍、開幕も二軍。イースタン・リーグで4月半ばまで3割を超える打率をマークしながらも、一軍からはなかなかお呼びがかからなかった。それでもベテランの心が折れることはなかった。

「心だけは折れないようにって……とにかく良い状態でいないと(一軍に)上げてもらえないと思っていたんで、そこだけは。マインドコントロールじゃないけど、『良い状態、良い状態』って自分に言い聞かせて。気持ちで負けたらダーッと(落ちて)行きそうだったんで、そう思いながらプレーしてました」

待望の一軍昇格を告げられたのは、自身の33回目のバースデーだった4月26日。「冗談かと思いました」というが、翌日から一軍に合流すると、その夜の広島東洋カープ戦に代打で出場していきなりヒットを打った。その後も先発出場の機会はなかったが、代打での出番に備え、ベンチ裏での準備は怠らなかった。

「去年、ユウイチさん(現二軍打撃コーチ)が代打で出る時とかに、けっこう後ろ(ベンチ裏)で動いて準備してたんで、僕もしっかり動いて良い準備をして打席に入るっていうことを考えていました」

そんなベテランの姿を、指揮官も見逃さなかった。

「出番がない中、ずっと後ろで準備をしているのもわかってましたし、どこか良いところで使える場面はないかと探っていた。ベストな場面で良い起用ができたと思います」

真中満監督は試合後、そう振り返ったが、その言葉どおりこれ以上ないところで代打に送り出した。2対3と1点ビハインドの7回裏、同じくヤクルト生え抜きの12年目のベテラン、田中浩康が代打で二塁打を放ち、一打同点、一発が出れば逆転という場面。巨人の2番手、山口鉄也に2球で追い込まれながらもカウント2-2まで持ち込むと、5球目のチェンジアップをレフトスタンドに運んだ。

「折れない心」が生んだ飯原の2年ぶりのアーチは、そのまま決勝弾となり、ヤクルトはこれで3連勝。5つあった借金も2まで減り、勝率5割も見えてきた。

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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