「今」に繋がる密度濃い二本立て! 宝塚歌劇月組『フリューゲル -君がくれた翼-』『万華鏡百景色』
月組公演『フリューゲル -君がくれた翼-』『万華鏡百景色』の二本立ては共に、見る側の私たちにとって、いつもより近い世界を題材とした作品である。そのためか、ただ夢に酔うだけでは終わらない。だが、その感覚が心地良い二本立てだった。
『フリューゲル -君がくれた翼-』は、冷戦下、東西ドイツがまだ分かれている時代、「ベルリンの壁」が崩壊する直前の東ベルリンを舞台にした物語である(ベルリンは東ドイツにあったが、ベルリンもまた東西に分かれていた)。東ドイツ人民軍の大尉として忠勤に励むヨナス(月城かなと)は、国策によりコンサートに招かれることになった西ドイツの大スター、ナディア(海乃美月)を警護する役目を任されることに。最初は全くソリが合わない二人だが、様々なアクシデントを乗り越える中で、次第に心の距離を近づけていく。
筆者も東西ベルリンが壁で隔てられていた時代を知っているし、個人旅行で、西ベルリンから「ベルリンの壁」を越えて東ベルリンに行ったこともある(旅行者だけは行き来することができたのだ)。通常、タカラヅカ作品の舞台は、フランス革命期のパリであったり、世紀末のウィーンであったり、時代も場所も身近ではないことが多い。だから、自分が肌感覚で知っている時代や場所での物語がタカラヅカの舞台上で展開していることに、最初は不思議な感覚があった。
だが、最初は全然わかり合っていなかった西のナディアと、ヨナスたち東側の人々が、少しずつ心を通わせ、やがて危機に際して力を合わせるまでになる。知っている時代なだけに、最初は両者を厳格に隔てていた国境のラインが、次第にぼやけてくる過程を、息をのんで見つめてしまった。
月城演じるヨナスは、一見、いかにも仕事一筋の真面目な軍人だが、内面に母親とのことで葛藤を抱えており、アフガニスタンの戦場で命を救われた体験もある。クールな軍服姿とあふれ出る温かい人間味とのバランスが絶妙だ。そのヨナスを翻弄し、変えていくのが海乃演じるナディアだ。堅物だったヨナスの殻を破らせていくパワーに溢れている。
時代錯誤なまでに社会主義を盲信するヘルムート(鳳月杏)は、内面にはらむ狂気を感じさせる。「マネージャー」として東に乗り込んできたルイス(風間柚乃)は、ユーモラスな雰囲気を常にたたえながら、実はタダモノではないところをうかがわせる。この他、様々な人たちが様々な立場で奮闘するさまが目に付く作品である。
ありえなさそうな設定もあるが、それでも人と人との温かい絆が織り重なって、やがて政治体制さえも大きく揺り動かしていくという経緯は、実際にベルリンの壁が崩壊してドイツ統一が成し遂げられているだけに、「歴史というものは、このようにして動いていくものなのかもしれない」という希望を感じさせる。そして、実際にベルリンの壁が崩れていく場面では、「歓喜の歌」の大合唱の中、廻り舞台を効果的に使って東側と西側それぞれの民衆たちが心を合わせていくさまを見せ、圧巻だった。
巨大な歴史のうねりの中での一人ひとりの力を信じたくなる。その意味で、この作品はやはり「とてもタカラヅカらしい」のかもしれない。
いっぽう、ショー『万華鏡(ばんかきょう)百景色』の方のテーマは「東京」だ。江戸時代から現在まで、東京で繰り広げられる様々な光景を切り取って見せる。江戸の花火師と花魁の儚い恋に始まり、明治の「鹿鳴館」の物語、大正時代のモガとモボ、そこに芥川龍之介が現れ「地獄変」をテーマにした場面が展開する。そして、戦後の闇市の喧騒、満員電車に揺られる現代の人々…と、切り取られる景色はバラエティに富んでいる。
まるで短いストーリーをつなぎ合わせてオムニバス形式で見せるお芝居のようだ。一つひとつの場面の密度が濃く、こだわり抜いた美意識が感じられる。タカラヅカのショーの基本構成は踏襲しつつも、予定調和的な単調さを感じさせることがない。
印象的だったのが娘役だけによるロケットの場面。いつものロケットのようにフレッシュな可愛らしさを強調するのではなく、凛とした自己主張を感じさせたのが清々しかった。白と黒の衣装の人が互い違いに並び、「市松模様」を表現した最後のパレードの場面も斬新で目を引く。
まさに、万華鏡をくるくる回してのぞき見る景色がどんどん変わっていくような、めくるめくショーである。そして、この作品の延長線上に「今」があるのだと思うと、これまた不思議な気分にとらわれるのだった。