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三遠ネオフェニックス好調の一因はB1最年少ヘッドコーチの好采配にあり

青木崇Basketball Writer
ヘッドコーチとして着実にステップアップしている藤田(写真:中西祐介/アフロスポーツ)

試合が始まると、すぐに上着を脱いでワイシャツ姿になる男。

三遠ネオフェニックスのヘッドコーチを務める藤田弘輝は、暖房設備のない寒い体育館の試合であっても、上着を着続けて采配を振るうことがほとんどないくらい熱い指揮官だ。B2の福島ファイヤーボンズを2年連続でbjリーグのプレイオフに導いた実績を評価され、今シーズンからハワイ大ヒロ校卒業後にプロ選手としてプレイした古巣のヘッドコーチに就任。bjリーグからB1でプレイするチームの多くが苦戦する中、三遠は川崎ブレイブサンダースをすでに3度破るなど、10勝6敗でB1中地区2位につけている。

1986年4月16日、アメリカ人の父と日本人の母との間で生まれた藤田は、B1の指揮官の中で最年少の30歳。ヘッドコーチの仕事は3年前、突然やってきた。アシスタントコーチとして群馬クレインサンダーズに入団して半年もしない2012年12月14日、信州ブレイブウォリアーズ戦に敗れた直後にライアン・ブラックウェルが解任され、翌日の試合を前にヘッドコーチ代行の仕事を託されたのだ。その時の心境は、2013年1月にインタビューした際、次のように話している。

「まず寝られなかったですね。ビックリしましたけど、いろいろ考えて吹っ切れましたし、いいチャレンジかつ個人的にも経験かなと思い、頑張るしかないなと。自分がヘッドコーチだったらということで、(信州への)対策をまた練り直さなければなりませんでした。ライアンのプランでやろうとしていたので、いろいろ考えながらしているうちに朝が来てしまったという感じでしたね」

シーズン途中でのチームを指揮することは、経験のあるコーチでも決して容易なことではない。選手の多くが年上という状況でのコーチングは、26歳の藤田にとって葛藤の連続だった。そんな中で心がけたことは、ポジティブさと真剣さを感じさせるような采配。ヘッドコーチ代行としての成績が11勝22敗に終わったといえ、群馬での経験は「中学、高校の時から身体能力に長けていないと自分でわかっていましたし、バスケットを見ることが大好きだったので、自然とそういう気持が出てきました。そのときからですかね、意識して試合を見るようになっていたのは」という藤田に、ヘッドコーチを仕事にするという決意をより強くさせた。

2012-13シーズン終了後、bjリーグの新規加盟チームとなった福島からの要請を受け、初代ヘッドコーチに就任。自身が求めるチーム作りをしやすい環境を得た藤田は、1年目こそ21勝31敗と負け越したが、2年目に30勝22敗と成績を伸ばし、イースト6位でのプレイオフ進出に貢献した。三遠は昨シーズン終了後、2015年にbjリーグ制覇に導いた東野智弥が日本バスケットボール協会の技術委員長就任に伴って空席となったヘッドコーチとして、将来性が楽しみな藤田を後任として招聘したのである。

B1開幕早々に昨シーズンのNBL王者の川崎にホームで連勝した三遠は、アウェイでの富山グラウジーズ戦も連勝。特に10月2日の2戦目は、2Q終盤から3Q中盤にかけて23-2の猛攻にあい、16点のリードを奪われた。選手たちがレフェリーのコールにイライラして流れが悪くなる中、藤田だけは我慢し、冷静に試合を見ていた。ディフェンスを1-3-1のゾーンに変える指示を出すと、富山のリズムは徐々に失われていく。その間の3分強だけ起用された大ベテランのシューター、大口真洋がリバース・レイアップを決めたことで三遠は勢いづき、18連続得点を含む28-1の猛攻で一気に逆転。藤田が行ったゲーム中でのアジャストが、勝負の行方を大きく変えたのである。

バイウィーク明け最初のサンロッカーズ渋谷との試合、三遠はゾーン・ディフェンスの攻略に苦戦したことと、相手の新外国人チャド・ポスチュマスに18点、9リバウンドとインサイドを支配されたのが要因で18点差の完敗。「効率よく18点も取られると厳しいので、ポストではプライドを持ってディフェンスし、チームの約束事をエクスキュート(遂行)してほしい」と試合後に語った藤田は、翌日の試合で11リバウンド奪われたといえ、7点に限定させる対策を用意。選手たちが仕事をやり遂げられるように指揮したことで、65対60で雪辱という結果を出したのだ。これこそが、ヘッドコーチに求められるアジャストメント。藤田が指揮官として着実にステップアップし、自信をつけてきている証と言える。

群馬時代に藤田の下でプレイした経験のある岡田慎吾は、「自信ももちろんそうですけど、内容も群馬のときと比べものにならないくらい質の高いものを求めていますね。群馬のときよりも細かいです」と語る。昨シーズンまで仙台89ersで采配を振るっていたアソシエイトヘッドコーチの河内修斗も、「お互いにヘッドコーチだった時代から週に3、4、5日、何かあったら相談しあっていた仲なので、その話し合いが毎日になって、練習になってというところに変わってきている。彼の考えは元々知っていたので、しっかりサポートできるようにしていきたいなと常に思っていますし、素晴らしいバスケットをしていると思います」と高く評価する。

ヘッドコーチとしての自信をもっと身につけ、それを裏付ける実力を伴うことが必要なことを藤田は重々承知している。その一方で、「いいチームのコーチをさせてもらっているなという感じはあります。選手もチームのシステムをやろうとして、エクスキューション(遂行)しようとしてくれていますし、河内修斗さん、鹿毛誠一郎さん、荻野創さんという優れたコーチ陣が周りにいるので、すごくやりやすい環境です」と、福島時代よりも恵まれた環境があることへの謙虚さも忘れていない。そんな姿勢は、デューク大でNCAAトーナメント制覇5回、オリンピックで3大会連続でアメリカを金メダルに導いた名将、マイク・シャシェフスキー(コーチK)をロールモデルにしているところから来ている。

「B1は楽しいです。チャレンジですけど、楽しいです」

三遠での1年目についてこう話す藤田は、憧れのコーチKに少しでも近づけるように、バスケットボール漬けの日々を過ごす覚悟がある。ここまでのコーチング・キャリアを振り返ってみると、日本を代表する若き名将になるための道のりを、着実に進んでいると言っていいかもしれない。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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