「忙しくても幸せ、暇でも幸せ」元北朝鮮代表FW鄭大世が語る引退後の人生と韓国での活動
「現役復帰するなんてあり得ないですよ。ピッチが恋しいと思うことも全くありません。ただつい先日、日本に仕事で戻っているときに僕の体を見たあるトレーナーさんが『チームにオファーするように言うわ』と言うので、僕はちょっと乗り気になりましたが(笑)」
韓国・ソウルのカフェで出会ったサッカー元北朝鮮代表の鄭大世は、そういって笑った。驚いたのはタンクトップから見える鍛え上げられた肉体。現役の頃、いやそれ以上で、またピッチに戻る気でもあるのかと思ってしまうほどだった。
鄭大世は2022年シーズンにFC町田ゼルビアでのプレーを最後に現役を引退し、現在は韓国を拠点に活動している。
「引退してやれなかったことをやろうとしたら、これがまた面白いもので今までやってたことでした(笑)」
日本ではABEMAのプレミアリーグ中継で、「ミトマってる」など三笘薫のプレーを造語で解説するなどでたびたび話題になるが、今はどのような活動をしているのかが気になっていた。
「引退後も毎日が充実している」
「今は本当に自由人。フリーマンですよ。現役を引退してお酒も飲むのかなと思ったら、現役の時よりも飲まない。というかお酒はもうまずくて飲んでられない(笑)。今は毎日のトレーニングが仕事のようなもので、韓国での生活はとても充実しています」
昨年までピッチの上に立っていた鄭大世は、引退後の生活拠点を生まれた日本ではなく、韓国に移した。まだ半年と間もないが、自由な時間を自分や家族のために使うことに幸せを感じているようだった。
日本サッカー界ではJリーグ屈指のFWとして、彼の名を知る人も多いと思うが、日本と韓国を天秤にかけた時、より自分に価値を見いだせる場所は、祖父母のルーツがある韓国と判断した。
ただ、それも納得がいく判断でもある。彼がプロサッカー選手として2010年の南アフリカW杯に“北朝鮮代表”として出場したことで、韓国では一気にその名が知れ渡った。日本で生まれた在日コリアンで、韓国籍だが北朝鮮代表。その肩書きだけでも韓国人からすれば、“珍しい存在”で、韓国Kリーグの水原三星ブルーウィングスに在籍したことでさらに彼のことを知る人は増えた。
現在、水原三星ブルーウィングスには元Jリーガーの安柄俊(アン・ビョンジュン)や韓浩康(ハン・ホガン)といった在日コリアンがプレーしている。さらには在日コリアンの中でも、韓国で第一線で活躍している格闘家の秋山成勲も数多くの番組に出演しており、その活躍ぶりには驚かされる。
鄭大世も「いや、秋山さんは本当に韓国ですごい人気で格が違う。僕なんかはほとんど知られていないです」と謙遜するが、彼はすでに韓国では1本のレギュラー番組に出演していた。
芸能人の女子選手を集めたチームの監督に
「芸能人の女子選手を集めて作ったいくつかのサッカーチームが試合で競いあう番組があるのですが、その1チームの監督を任されてます。毎週放送されていますが、監督とチームもたくさんあるのでテレビに出るのは月に1~2回くらいです。そのほかの単発の仕事が少しずつ入る感じです」
サッカーから離れていないことにはホッとしたが、番組の中とはいえ、いわば監督を務めるのは初めての事。新しい経験をして、「意外と自分に向いているのかな」とも思い始めているという。
「本当にこれはいい経験だなと思ってます。自分のこだわりをそのまま人に押し付けていいわけだから(笑)。だから僕はコーチ向きではない。うーん、でも分かんないな。監督向きかなとは思うけど、やるなら監督が一番楽しいなとは思います。向いてる向いてないは別にして」
選手時代とは違う感情がまた芽生えてきていることに新鮮味を感じているようだった。
「負けるとマジで落ち込むんです。逆に監督の立場だと人のせいにできないから。極端に言うと、選手の時は負けたら監督のせいにできたし、試合出れない時も監督のせいにできた。だからそういう人は監督になったら選手のせいにするかなと思ったんです。でも僕の場合は自分が悪いと思っちゃう。選手は頑張ってやろうとしてるから」
監督なら「すべて自分に原因があると思うタイプ」
この答えに「意外な一面かも」と伝えるとさらにこう続けた。
「選手が言うこと聞かないのは、自分の教え方が悪いし、選手が自発的にプレーできないのは自分の教え方が悪い。結局は監督をしたら、すべて自分に原因があるって思うタイプなんだなって思いました」
だからこそ、人を教える難しさや楽しさも感じている。
「僕は負けた時とか、選手を怒ることは絶対にしたくないんですよ。でも怒ることも必要なんだなって最近思い始めています。いい言葉だけ掛けても駄目だなって感じる。教えるのは本当に難しい。でも、僕は自分がコーチと一緒になりながら戦術的なことや、サッカーの基礎をめっちゃ教える。こういう状況ではこうしなきゃいけない、戦術的にフォーメーションを組んで、こういう状況はこう守って、逆に攻めてみたいな、そういうのを徹底して教えてるんです。素人ながら(笑)」
将来的にはJリーグの舞台に、指導者として帰ってくる――まだ先の話だろうが、そんな姿が少し想像できた。
「結局どこに行っても一長一短」
最近は生活の拠点を韓国に置くことで、日韓両国の良し悪しに気づくことも増えたという。
「改めて再び韓国に来て思うのは、いい意味で自分のことしか考えない所かな。お互い干渉しないのでマナー違反も基本的に気にしないのを見ると、自分もやっていいんだって思えて肩の力が抜けて楽になります。ただ素直に感情を言葉で発するだけで、道を歩いてて文句を言われたり舌打ちとかされる時は、いやーな気分が何日か尾をひきますが(笑)。でもその感情も“人間味”だと今は受け入れてます。昔は文化の違いを受け入れられずストレスを抱えることも多かったけど、道端で喧嘩してる人を見ても情に厚いからそうなるんだよねーって逆にほんわかします。家族ができて年齢と共に視野が広がり、受け入れる心の余裕もできました。『みんな誰かの子供であり、親である』と考えれるようになったら急に世界が温かく見えてきました。ドイツでの生活も経験してますが、結局どこ行っても一長一短です。いいところに着目して死ぬ時、後悔しないように幸せな日々を過ごしたいです」
Kリーグでプレーしていた時代では見えなかった景色が色々と見えてきているようで、現在の鄭大世は、自分が置かれた境遇についてこう捉えている。
“社会的な成功”と“人生の成功”は別
「20代とか30代前半なら、今の状況を絶対に焦ってると思うんです。今もそんなに仕事もないから『やばいやばい、俺、爪痕を残さなきゃいけないのに全然仕事が来ない、どうしよう』って。引退して韓国でもう一花咲かせてやろうと思って来てるのに、全然仕事がないって昔だったら思っていた。でも今は“社会的な成功”と“人生の成功”は別っていうのがよく分かってきたんです。お金の価値と同等に健康と時間の価値に気付いてくると、逆に暇な時間があって、自分がやりたいことをできる時間が多いことの幸せをすごくかみしめています。忙しくなったら幸せだし、暇でも幸せ。もう今は何やっても幸せな状況に感謝しています」
プロサッカー選手は引退してから先の人生のほうが長い。セカンドキャリアを充実させるためにたくさん考えていることがよく分かった。
「現役の時は取りあえずサッカーの成功だけを追い求めてたから、苦しかったことが多かったです。常に成功する欲を追い求めていて、欲は追えば追うほど喉が渇くものです。飢えるからこそずっと苦しい。自分がサッカー選手であることの幸せもあるけれど、今はどう自分が生きていくべきか。自分が死んだ時にどう後悔のしない人生を歩むのか。それを逆算で考えた時に、時間のゆとりがあることがめちゃくちゃ大事だと思いました。そうしたゆとりを家族との時間に使えて、生活できてるのは幸せなことですよね」
今は色々なことに挑戦しながら、自分なりの幸せの形を作っていくところなのだろう。「とりあえず今は40歳までゆっくり休みながらいきたい、って言っても39歳なのであと8カ月くらいですね(笑)」。
指導者としてJリーグに戻る可能性は?
聞きたかったのはその先の話だ。鄭大世は投資家としての一面もあることもたびたび日本のメディアで報じられているが、これから軸となる仕事をしていく必要性も感じている。それが一体、何なのかが気になった。
「できることからやろうと思ったとき、一つはサッカースクールです。これはプロサッカー選手だった自分ができること。そうやってできることで地盤を少しずつ固めていきたい考えはあります。韓国でのテレビの仕事も楽しいですが、例えば5年後はどうなっているか見えないですし、日本での活動もどうなっているか分からないですから」
そこで聞いてみたのが指導者としてJリーグに戻る可能性についてだ。前述した韓国のレギュラー番組での“監督”としての活動が、一つの刺激になっているのは間違いないと思ったからだ。
「監督という職業は自分には合ってるかなとも思います。いずれそこに挑戦していくのだろうという想像もできますから。今も全力でクロスフィットをしていますが、やっぱりたくさんの人と接していると楽しいんですよ。指導者として多くの選手と接するのもきっと楽しいと思います。選手としての立場だと自分が常に結果を出さないといけないし、自分の人事を相手に委ねなきゃいけない。それが僕にはかなり苦痛だった。ただ、指導者の道をいずれ歩むにしても、そう簡単な世界ではないですから、機が熟したときに挑戦できればいい」
「やるならどのチームで?」と聞くと、「ベストは川崎フロンターレか清水エスパルス」と即答だった。プロデビューした思い入れの強い川崎、エースFWとしてJ1昇格へ導いた清水。その思いはやはり譲れないが、もちろんまだ見えない未来の話である。
個人的にはいくつもの壁を乗り越えてきたプロサッカー選手時代の“喜怒哀楽”の話もとても好きだったが、年を重ねるごとに充実した人生を謳歌する今の姿もまたいいものだと思った。
どのように生きていくのか――その答えを見つける作業に楽しさを見いだしているようで、生き生きした表情がとても印象的だった。