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庶民の台頭こそが中国を変える:中国を見つめ直す(12)

麻生晴一郎ノンフィクション作家

これまでの取材活動では一貫して庶民を著名な人物以上に優先してきた。最初に世に出した著書『北京芸術村 抵抗と自由の日々』は主に現代アーティストの王慶松を取材したもので、今、彼は国際的に大変有名な人物になっているが、ぼくが取材した頃は普通のカメラフイルムを買うカネもない無名の出稼ぎ画家であり、まさか彼が今のように著名になるとはゆめにも思ってなかった。

初めて中国に行った1980年代後半以来、この国で驚いたのは社会主義体制などではなく、コネもカネも知名度もない人間がいかに粗末な扱いを受けているかということだった。このことは今も基本的に変わらず、一介の農民の権利や尊厳などは、役人はもちろん、社会からもほとんど顧みられない。中国がどのような体制の国を目指すにせよ、この点が変わらなければ何も変わらないと思い始めた。同時にやはり一介の個人の権利や尊厳を尊重しているとは言いがたい日本社会において(ブラック企業などがその一例である。もっとも、日本社会における日本人の扱いと中国社会における中国人の扱いでは雲泥の差があるが、程度の問題は抜きにして)、中国の政府や著名人ではなく、庶民に注目しながら中国の動向を追い続けることには、なにがしかの意義があるのではないかとも考えた。

市民活動家が警察に連行される現場を取り巻く村民たち。彼らが声を出し始めている
市民活動家が警察に連行される現場を取り巻く村民たち。彼らが声を出し始めている

4月13日午後5時、山東省無棣県テイ口鎮李家山子村の村民・李淑華は、四川省綿陽市フウ城区の捜査チームから夫・李松山の遺体を受け取ってほしいとの電話を受けた。彼女たちが同16日に綿陽市公安局を訪れて担当者から聞かされたのは、李松山には強盗・警官襲撃の疑いがあり捕まえようとした中で警官に射殺されたとのことだった。疑問に思った家族が質問書を提出したが、警察から回答はなく、李家山子村ではこの件に関する公安・法執行機関の公正・明確な説明を求める声が上がっている。(「中国維権動態」2016年5月22日号より)

中国がどれだけ民主化しているかを把握する上で、一介の庶民がどのような扱いを受けているかは大きなバロメーターになるはずで、その意味で今の中国は民主化の面で前進してきたとは言いがたい。相変わらず、カネもコネもない庶民の生命は安く、闇から闇に葬られる事態が多発している。ただし、そのような中で自らや他人の権利を守るためにあえて立ち上がる無名の「普通公民」が出ていることに注目している。彼らが立ち上がるところにこそ真の意味での中国人の権利意識が表れているのだろうし、そんな彼らがどのような扱いを受けているかこそが国情を示している。

ぼくの立場はどちらかと言えば中国が民主化を実現してほしいところにある。しかし、民主主義だろうが社会主義だろうが、無名の「普通公民」が自分の意見を表明でき、なおかつ彼らの行為が一定の規則(法など)の中で判断されうる社会が望ましいのではなかろうか。そうでなければ、いかなる体制が実現しようが、また同じようなことが繰り返されると思えてならない。

ノンフィクション作家

1966年福岡県生まれ。東京大学国文科在学中に中国・ハルビンで出稼ぎ労働者と交流。以来、中国に通い、草の根の最前線を伝える。2013年に『中国の草の根を探して』で「第1回潮アジア・太平洋ノンフィクション賞」を受賞。また、東アジアの市民交流のためのNPO「AsiaCommons亜洲市民之道」を運営している。主な著書に『北京芸術村:抵抗と自由の日々』(社会評論社)、『旅の指さし会話帳:中国』(情報センター出版局)、『こころ熱く武骨でうざったい中国』(情報センター出版局)、『反日、暴動、バブル:新聞・テレビが報じない中国』(光文社新書)、『中国人は日本人を本当はどう見ているのか?』(宝島社新書)。

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