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ハイブリッド化した日本サッカーの若手選手育成 ―もっと強くなるために―

大島和人スポーツライター
(写真:田村翔/アフロスポーツ)

今年1月の高校サッカー選手権で史上初の“事件”が起きていた。優勝した東福岡の森重潤也監督は横浜フリューゲルスの前身である全日空のユースチーム出身。高校サッカーを経由せずプロ選手、指導者になった人物だ。帝京高を6度の全国制覇に導いた古沼貞雄氏のように、サッカー未経験者が監督として成功した例はある。しかし完全なクラブ育ちの監督が、部活の本家本元である高校サッカー選手権を制したのは初めてだった。

「くんづけ」にあらわれた変化と融

他にもクラブと高校の“ハイブリッド化”を感じたことはある。決勝を戦った東福岡、国学院久我山の選手に話を聞くと、どちらも先輩を自然に「くんづけ」で呼んでいた。そもそも試合や練習中は呼び捨てがサッカーの鉄則だが、クラブユースには試合や練習以外の場面でも先輩を「くんづけ」で呼ぶ文化があった。高校サッカーといえども中学時代はクラブチームでプレーしている選手が大半で、Jリーグの育成組織出身者も当然いる。となれば、クラブチーム発の文化が自然と部活にも浸透していくのは当然だ。

サッカー部は教員が率いるものという常識も消えつつある。森重監督は学校職員で、国学院久我山の清水恭孝監督はクラブチームから派遣された外部指導者。十数年前の高校サッカーは国見、鹿児島実業のような、熱血教師に率いられた丸刈り軍団が全国のトップに立っていた。しかし今の高校サッカーは学校体育の枠組みから既にみ出している。東福岡は280名の部員がいて、100名以上が寮に入っていると聞いて驚いたが、聞くとプライバシーが確保された個室暮らし。一般にイメージされる運動部の寮生活とは違う環境だ。

やっているサッカー自体にも、明確な差があるわけではない。選手権の決勝に進出した両校は技巧的で、それぞれの自由な発想を活かしたスタイルだった。逆に今季の高円宮杯U-18プレミアリーグを制した鹿島アントラーズユースは、体格に恵まれた選手を揃え、パワーと走力が際立ついわゆる部活スタイル。つまり部活とクラブというカテゴリーを越えて、それぞれの個性は入り混じっている。

悪い意味で緩くなった、礼儀を軽んじられているということではない。カルチャーが変わっても選手たちの頑張り、思いはなお強い。「くんづけ」で呼ぶカジュアルさと、先輩へのリスペクトは何の問題もなく共存している。

「高校の3年間で何を学んだか?」という定番の質問がある。これに対してほぼ全選手から「感謝の気持ち」という答えが返ってきたことには驚いた。振り返ってみるとクラブチームの大会でも、バスケや野球でも、自分は同じ答えを耳にした。それも言わされている感じではなく、素直の気持ちとして述べている様子に見えた。そういう清々しい、意地悪く受け取ると“大人に媚びる”言葉を躊躇なく発信する。それは目上への反抗心が薄まっているからだろう。上下関係が消えたというより、その必要性がなくなった。

環境の変化がもたらす成長

高校サッカーの季節になると“第二の中村俊輔”や“第二の本田圭佑”が話題になる。Jリーグの育成組織でプレーしていたがU-18に昇格できず、もしくは環境の変化を求めて部活へ転じ、成功したという選手だ。今大会も青森山田の中心選手として、ベスト4進出に貢献した神谷優太がいる。彼は高2まで東京ヴェルディユースでプレーしていたが、志を持って“雪の中でサッカーをする”環境を選んだ。

青森山田の黒田剛監督はそんな神谷についてこう述べる。

「あいつはヴェルディの中では向上できないという判断で、これ(厳しい環境)を望んできた。雪の中でサッカーをしてそこでメンタルを鍛えることによって、プロへ行ったときに通用する選手になる。自分に無いものを求めて、移籍を決断したということだった。練習に来た初日から全身が攣っていたというくらいで、いかに今まで甘い環境でやっていたかということを認識したと思う」(黒田監督)

青森山田には良い意味で選手を追い込む環境がある。神谷はそんな中で戦う姿勢、一つ上のフィットネスを手に入れた。

神谷も「黒田監督は自分を一から鍛え直してくれた。サッカーをやっていて一番濃い1年間になった」と転校の成果を認める。神谷は中学入学とともに山形から上京してヴェルディの門を叩き、高1のときには東京都選抜の中心選手として国体制覇にも貢献している。技巧派アタッカーとして評価の高い選手だったが、自分に欠けている“プラスアルファ”をどん欲に求めて成長を遂げ、J1湘南ベルマーレの内定も得た。

中村や本田、神谷の例を挙げるまでもなく高校サッカーを通して脱皮した選手は少なくない。自分の足りない何かを見出し、手に入れることができた選手たちだ。

脱皮の方程式はクラブ→高校だけではない

しかし選手それぞれに“足りないモノ”は違う。

「運動量」「戦う気持ち」「球際」といった言葉は、高校とクラブを問わず、若いサッカー選手の口からよく出てくる。メディアも含めて、今のサッカー界では硬軟の「硬」、文武における「武」の側面が好まれやすい。特に「球際」はちょっとした流行語になっている。速いアプローチスピードで、ギリギリの間合いに寄せられれば、相手からボールを奪い取れる可能性は高まる。そこはサッカーにおけるかなり重要な要素だ。

ただこの1,2年に限ると「硬」の側面は強調され過ぎている。選手権についていえば「甘かった自分が高校で戦えるようになった」「夏の走り込みで走れるようになった」というストーリーは、サッカーを知らない読者にも伝わりやすい。取材をしている記者も、自然とそういうコメントを引き出す方向に水を向ける。サッカーにはもっとややこしい、込み入った要素もあるのだが、そこは切り落とされる。高校サッカーの人気が高い分、取材者はそこに集中し、視点が自然と“部活寄り”になる。

ところが選手個々が欠いているモノは千差万別で、手に入れられる場所も一か所ではない。今回の最終予選で活躍した遠藤航、久保裕也、奈良竜樹は公立中でプレーした後に、Jリーグの育成組織に進んだキャリアの持ち主だ。遠藤は湘南ユースでチョウ・キジェ(現トップ監督)という素晴らしい指揮官に出会った。久保裕也は京都サンガU-18と立命館宇治高が提携したスカラアスリートプロジェクトの下で、サッカーはもちろん食事や生活、勉強に至るまで手厚いサポートを受けた。しかも遠藤、久保、奈良は3人とも高校在学中からJリーグでの出場機会を得ている。彼らは間違いなくJクラブの育成が生み出した成果だし、その過程は評価されていい。

クラブと高校サッカーの双方を知り、国学院久我山を決勝に導いた清水監督はこう述べる。

「クラブにいることで、早くデビューをしている子たちもいる。彼らは私たちでは経験させてあげられないような経験ができる。高校サッカーもJリーグも、お互いに存在意義があると思う。偏るのではなく、日本は日本の文化の中で、一番いい形を模索していけばいい」

繰り返しになるが高校、クラブユースという属性だけでチームの色が決まるわけではない。いい成績を残したチームは称えられるべきだが、だからと言って全選手、全チームのお手本となるわけではない。強いところを更に伸ばすという選択もあるし、神谷選手のように弱みを克服できるチームを選ぶという発想もある。

清水監督はこう続ける。

「私たちの選手が青森山田に入ったら成功するかは分からない。青森山田の選手がウチに来たら成功するかも分からない。だけど、それぞれの文化があって、形がある中で(チームを)作ってきている。それでいいと思うんです。“こうあるべきだ”という形が無い方が一番いいくらいだと思っている」

競争へ参加するために大切な技術と判断の“仕込み”

キャリアの選択肢を豊富に持てることは、日本サッカーが持つ長所だ。しかし特別な異能は別にして、技術が無ければそもそも競争のスタートを切れない。目に入るのが選手たちの高校入学後ということもあり、メディアやファンはそんな“仕込みの時期”を軽く見る傾向がある。

決勝戦で韓国から決勝ゴールを奪った浅野拓磨(広島)に聞いたことがある。第90回高校サッカー選手権で準優勝を達成した当時の四日市中央工業は、浅野を筆頭にメンバーに複数の菰野町立八風中学校の出身者がいた。それは何故なのか?と。

「中学入学前にペルナSCというクラブで教わったことが大きかった。徹底的な個人技中心の指導を受けた選手たちが八風中に進んだ」という答えだった。

準々決勝で見事な2ゴールを決めた中島翔哉(FC東京)は東京ヴェルディで、準決勝で決勝点を決めた原川力(川崎)はレオーネ山口で、それぞれ個人技を重視する指導を受けた。中島や鈴木武蔵(新潟)、室屋成(明治大)、植田直通(鹿島)、岩波拓也(神戸)といったU-23代表の主力選手は、11年のU-17W杯で世界のベスト8に進出した“94ジャパン”の出身者。そこで吉武博文監督から極端すぎるくらいのポゼションサッカーを徹底的に仕込まれた。

小中学生時代にボールを持つ、扱うという技術を丁寧に仕込まれた選手は、高校以後に化ける確率が大きく上がる。どうパスを出すかかという思考が植え込まれていれば、成功の確率はさらに上がる。もちろんそれは“クラブチーム出身だから成功する”ということではない。U-23代表の司令塔として活躍した大島僚太は、身体的に見れば標準以下で、県内でも全く注目される存在では無かった。しかし静岡学園中高の6年間で技を磨いたことが、今のブレイクにつながっている。

技術やアイディアの習得は手間のかかる、我慢が必要なプロセスだ。しかしそんな指導に目立たないところで取り組んできた指導者がいたから、U-23の世代でアジア制覇を成し遂げた。U-19のアジア選手権では93年組、95年組とも8強止まりだった世代が、そこから一伸びできた。

学校体育を維持しつつ、クラブ的な要素とのハイブリッド化に成功した――。日本がワールドカップは5大会連続、オリンピックは6大会連続で出場を果たし、ヨーロッパの主要リーグに人材を送り出せるようになった大きな背景はそこにある。その大枠を変える必要はないし、硬軟両面がいずれも重要なことは議論するまでもない。

しかし技術、判断といった“ソフトウエア”は習得の過程が見えにくく、価値も認識されにくい。だからこそ、その重要性を改めて確認する必要がある。日本サッカーが強くなるためには、上手くならなければならない。ペルナSC、レオーネ山口のような指導をするチームが、もっと増えなければならない。

今回の最終予選は手倉森誠監督の勝負師ぶり、気持ちの導き方に感嘆した。その一方でボールを思い通りにコントロールする、動かすという“仕込み”があったからこその結果だという背景も、改めて強調したい。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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