近隣トラブル解決センターが日本に、ある時、ない時。 その2・ない時(ノンフィクション編)
その1のフィクション編に続き、近隣トラブル解決センターが日本にない時、その2(ノンフィクション編)です。実際にあった犬の鳴き声を巡ってのトラブル事例であり、その1での展開と較べながらお読み頂ければと思います。
トラブルの当事者たち
岡崎雅彦(仮名)、この近隣トラブル・ストーリーの主人公である。岡崎は、放送局の専属ピアニストとしてピアノ演奏や編曲の仕事をしていた。家で仕事をすることが多かったため、出来るだけ静かな環境をということで、市街地からすこし離れた山近くの地に家を新築して移り住んだ。
その土地は隣よりやや高くなっており、家の窓からは隣の庭が見渡せた。隣家の庭には、中型の雑種の犬が飼われていたが、鳴き声も殆ど気にならない程度であったため、静かに仕事に集中できるものと考えていた。実際に暮らし始めても、山近くであるため時々ハイカーが通るぐらいであり、予想通りの静かな環境であった。
長年の紛争相手となるのは、隣に住む近藤春夫(仮名)とその妻の正子(仮名)である。当初、隣は4人家族で、近藤春夫とその両親、春夫の兄が住んでいたが、暫くして兄は結婚して他所に移り、母親は病気のため実家に戻り、父もその1年後には近藤宅を離れた。近藤はその後結婚し、結局、妻の正子との2人暮らしとなった。
春夫はコンクリートミキサー車の運転手であり、妻の正子は自宅から200mほど離れた場所にハイカー相手の喫茶店を開いていた。そのため、この頃になると、近藤宅は、昼間は全く留守の状態となり、犬は庭に繋ぎっぱなしのまま、餌を与える以外は殆ど面倒も見ないような状態が続くようになった。
騒音の苦痛、怒りの発生
隣の近藤宅からの犬の鳴き声は時々聞こえ、たまにうるさく感じることもあり、岡崎は犬を静かにさせるように家から大声で怒鳴ったこともあった。しかし、この頃は、近藤宅の両親が家の中に犬を入れるなどして、それなりに犬の面倒を見ていたため、大きなトラブルになることはなかった。
しかし、近藤宅が正子との2人暮らしになってからは、運動不足のストレスからか犬はよく吠えるようになり、昼夜を問わず1時間も2時間も鳴き続けることもざらになり、しかも、近藤らはこれを全く制止せず、鳴くに任せるという状態が続いた。
この頃になると、岡崎は犬の鳴き声が始まるとイライラして集中力がなくなり、仕事も手につかない状態となった。暗譜をしている時に鳴き声が聞えると、もう全く仕事にならず、家族にも当り散らすようになった。
夜は眠れず、食欲も減退して次第にうつ状態になっていった。住宅の防音工事をしたり、耳栓を使ってみたりしたが効果は無く、一時、2年ほど千葉県に逃避などもしたが、病気を患い、また自宅に戻ってきた。
岡崎の妻も、不眠の状態が続き、体調不良で失神状態となり救急車で病院に運ばれることもあった。こんなに大変な思いをして我慢しているのに、何の対処もしない相手に対して強い怒りの感情が渦巻いた。
怒りから敵意へ、状況のエスカレート
隣家との争いが決定的になったのは、相手方に苦情を申し入れてからである。
「犬がうるさい。何とかならないか」という岡崎の苦情に、近藤は、「番犬なんだから、吠えて当たり前だ」、「昼は居ないから番犬として飼っている。泥棒に入られたら、弁償してくれるのか」と、けんもほろろの応対であった。
ある時は、犬があまりやかましく鳴くので道路に出て、外にいた近藤に「何とかならないか」と言ったところ、「道端に人が立っていれば犬が鳴くのが当たり前だ。道に立っているな」、と怒鳴り返されて激しい口論になった。
これで、隣同士の争いは決定的となった。春夫だけではなく、妻の正子も仲介することなくこの争いに加わった。ここまでくると、幾ら口でいってもラチがあかないと、岡崎は市の公害課に訴えた。市の公害課の職員が隣を訪ね、犬を鳴かさないように、あるいは犬を家の中に入れるように言ったが、それでも全く聞き入れる様子は見られなかった。警察にも何度か電話して注意してもらったが、同様であった。それどころか、
「公的機関に訴えれば、その度に犬を増やしてやる」
と発言するなど、関係は悪化の一途を辿った。
やむなく、岡崎は簡易裁判所に調停を依頼した。しかし、このように拗れてしまった状況で調停がうまくいくはずはなかった。我が国の調停では、当事者はお互いに顔を合わせることはなく、それぞれ別室に控えている。調停委員が当事者それぞれを呼び入れて個別に話をするのだが(個別調停、またはシャトル調停)、結局、近藤が調停委員を前に一方的に自分の言い分を言いまくるだけに終わった。
調停委員は近藤に、「この調停にだすということだけでも大変なのですから、なるべく犬を鳴かせないようにしてくださいね」と注意しただけに終わり、岡崎には「これぐらいしかできなくて申し訳ないですが、相手にはよく言っておきましたから」と言ったという。我が国では、このような「まあまあ調停」と呼ばれるものがまかり通るのが現状であった。この調停で、逆に嫌がらせ行為がますますエスカレートし、状況は悪化する一方となった。
裁判所への提訴
岡崎はついに、簡易裁判所へ損害賠償の民事訴訟を起こした。裁判は双方が激しく争い、結局、判決がでるまで3年近くを要した。岡崎は、近藤家の10数年の犬の飼育の記録や、毎日の犬の鳴き声の詳細な記録を提示して訴えた。その記録の膨大さは異様とも思える量であり、積年の恨みの凄まじさを感じさせるものであった。どれだけの時間をこれに掛けたのか、計り知れないものであった。
結果は原告・岡崎側の全面勝訴となり、当時の簡易裁判所の民事訴訟限度額である30万円/1人(計60万円)の損害賠償を命ずる判決が下りた。しかし、犬の撤去までは認められなかった。
判決文では、犬の鳴き声は一般家庭の飼犬の鳴き声の程度を超えて、連日のごとく深夜・早朝に及ぶなど極めて異常であることを認め、飼犬の異常な鳴き声を防止すべき飼育上の注意義務を怠ったと厳しく指摘した。無駄吠えを抑止するためには、『飼い主が愛情を持って、できる限り犬と接する時間を持ち、決まった時間に食事を与え、定刻に運動する習慣をつけるなど規則正しい生活の中でしつけをし、場合によっては、専門家に訓練を依頼するなどの飼育をすべき注意義務がある。(判決文より)』と、具体的な内容を判示した。まことに妥当な判決であり、岡崎はこれでようやくトラブルが決着したと、長い年月を振り返って安堵した。
ところが、被告の近藤はこれを不服として控訴した。争いの場は地方裁判所に移り、そこで再び激しい非難合戦が繰り返されることとなった。控訴審では、騒音の被害の原因がハイカーの喚声や近くの警察犬訓練所の犬の鳴き声であること、犬は長いロープを張って運動ができるようにしているため運動不足ではないこと、また、犬を飼っているのを知りながら原告側が隣に転居してきたこと(難しく言うと、「危険への接近の法理による免責」)などを被告側が主張して争った。しかし、結局、控訴は棄却され判決は一審通りに確定した。ようやく、岡崎の主張が公的に認められたわけである。
しかし、この争いにはまだ続きがあった。判決が確定した後も、原告、被告共に元の住居に住み続け、相変わらず隣家同士という関係は続いた。しかも、それだけではない。被告は賠償金を全く払おうとせず、相変わらず犬も飼い続けたのである。20年近くにわたる争いと3年間の裁判を経た後も、結局、結果としては何も変わらなかったのである。
岡崎は、なんとか賠償金を取り立てようと、動産や給料債権に対する差し押さえ請求を行い登記簿などを何度も確認したが、相手の経済状況がそれを許さなかったため、結局、取立てができないままに終わった。心身をすり減らすような、辛く苦しい日々を耐えながら長年闘い続けたが、最後の最後まで、結局何ひとつ得られなかったのである。以前の記事「騒音トラブルで起きた最も悲惨な事件とは? ちなみに、ピアノ殺人事件ではありません」にあるような殺傷事件が起こってもおかしくないトラブルだったが、それに繋がらなかった事だけが、不幸中の幸いといえるような結末であった。
ようやくの終結、果たして解決?
判決が確定して暫くした頃、近藤春夫が離婚した。岡崎のもう一人の紛争相手だった妻の正子が家を離れたため紛争は徐々に下火になり、その後、近藤と暮らし始めた女性が岡崎の申し入れを受け入れて犬を撤去した。判決確定から約2年目にしてようやくこの紛争は終結を迎えた。
しかし、一度壊れた人間関係は元に戻ることは無く、相変わらず冷たい近隣関係が続いている。またいつ何時、新たなトラブルの芽がわいてくるかも知れない。果たして、これは解決といえるのであろうか。
2つのストーリーの最後に
さて如何でしょうか。2回にわたって、近隣トラブル解決センターのある世界とない世界を比較紹介してきました。「ある時」については、そんな簡単にうまくいくはずはないと感じられた方もいるかもしれませんが、そうではありません。言葉は何にも勝る力です。話し合いは心を動かす梃子なのです。考え抜かれた言葉の力で梃子を動かせば、堅くこびりついた感情のもつれも剥がせます。
コスト面での差も見逃せません。紛争当事者たちが負担を強いられる様々なコストについてはもちろん、紛争解決のための社会的なコストにも大きな差が生れてきます。どちらが効率的かは言うまでもないでしょう。
2つの世界、どちらを望むかは、あなた次第です!