専門家が教える「愛を深めるちょっとしたヒント」どれだけ愛しあっても分からないこと
どんなに愛しあっても、愛する人が内側からどのように生きているのかは本人にしか分からないことです。いや、哲学的により厳密にいえば、本人だってそれを十分に言語化できないはずです。
例えば、長年にわたって女性のスカートの中を盗撮している男がいます。盗撮犯です。彼は何千枚という膨大な枚数の写真を撮ってもまだ何かを見たい、知りたい、と思うから、しつこく撮り続けます。そしてある日、逮捕されます。
これは哲学者としての私の仮説ですが、彼は女性のスカートの中が物理的にどのようになっているのかを知りたかっただけではないのではないでしょうか。それなら何枚かの写真を撮れば満足するでしょう。そうではなくて、自分が気に入った女性が内側からどのように生きているのかを(も)撮りたかったのではないでしょうか。しかし言うまでもなく、それは写真に写らないので、彼は飽きることなくせっせとシャッターを押し続けたのではないでしょうか。
優等生の女子をえこひいきする学校の先生
同じことが優等生の女子をえこひいきする学校の先生にも言えると私は思います。優等生の女子が書いた作文を何回も何回も読む先生を私は知っていますが、彼は幼児趣味があるのではなく、自分とは住んでいる世界がまるで違うと感じる、かつ自分が理想とする人格を持っているように見える女子が、内側からどのように生きているのかを知りたいのではないでしょうか。
村上春樹さんがある短編小説に、ビートルズのレコードを胸に抱え、ポニーテールを揺らしつつ学校の廊下を歩く女子のことがいまだに思い出されるというようなことを書いていましたが、それはおそらく、彼女が内側からどのように彼女の人生を生きているのかを知りたい(が、いまだに分からない。自分から遠くにある輝きのようにしか思えない)ということを言いたかったのではないかと私は想像します。哲学的にいえば、メルロー=ポンティの哲学に近いことを書きたかったのではないかと私は感じます。
愛を深めるちょっとしたヒント
パートナーの性格に惚れて結婚した人はきっと多いと思います。そういう人の中には、相手が内側からどのように生きているのかを知りたいと思っている人がおられるでしょう。しかし、何十年と一緒に暮らしてもそれは見えない。それどころか、日を追うごとによくわからなくなる。
他者が自分の人生を内側からどのように生きているのか。世界をどのように認識しているのか。それらは心理学では解明できないことです。
たぶん唯一、相手の立場に立って、相手が内側からどのように生きているのかを想像することで、ようやっと少し分かった気になる。そういうことかもしれません。
不快なことが起こると、相手の立場に立つことなく、相手を責める人の多い世の中です。お互いに、相手が内側からどのように生きているのかを想像しあうことで、深く人間洞察をする人が増えんことを。