改元後の内閣は半年ももたない!?
5月1日の改元に備え、4月1日に新元号が発表されるという。明治以降4度目の改元を迎える。
平成に改元したのが1989年1月8日。その改元時に政権を担っていたのが竹下登首相だった。竹下首相は、平成元年6月3日に辞任に追い込まれた。リクルート事件に対する世論の反発を受けてのことだった。平成になってから146日しか、竹下内閣はもたなかった。
内閣制度ができて以降、3度改元している。昭和から平成は、前述の通りだった。明治から大正、大正から昭和ではどうだったか。
大正に改元したのが1912年7月30日。その改元時に政権を担っていたのが西園寺公望首相だった。西園寺首相は、大正元年12月21日に辞任した。第2次西園寺内閣は、行財政改革を進めており、陸軍の増強を拒んだことから上原勇作陸軍大臣が辞任した。後任の陸軍大臣の推薦を陸軍に求めたが、後任の推薦を拒否。当時は軍部大臣現役武官制があって後任の陸軍大臣を充てられず内閣総辞職に追い込まれた。大正になってから144日しか、第2次西園寺内閣はもたなかった。
昭和に改元したのが1926年12月25日。その改元時に政権を担っていたのが若槻礼次郎首相だった。若槻首相は、昭和2年4月20日に辞任した。第1次若槻内閣は、1927年3月に起きた昭和金融恐慌によって経営危機に直面した台湾銀行を救済する緊急勅令案を枢密院に諮ったが否決されたため、内閣総辞職に追い込まれた。昭和になってから116日しか、第1次若槻内閣はもたなかった。
このように、改元した時の内閣は、新元号の時代に入って長くは政権を担えなかった。長くて146日、半年ももたなかった。そして、次の首相がその座に就いた。
改元したことと内閣が総辞職したこととは直接関係ない。だから、改元が首相の辞任の引き金になるわけではない。あくまでも歴史の偶然なのかもしれない。平成の次の元号では、どうなるだろうか。