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現役復帰と引退。同年代のラティーノにとっての「夢の交差路」

阿佐智ベースボールジャーナリスト
今シーズンから日本ハムの通訳を務めるジョニー・セリス氏

 今月3日、北海道日本ハムファイターズは、2017年からスペイン語通訳として同球団に所属していた元ヤクルトのラファエル・フェルナンデス氏の退任と、昨年まで独立リーグ、ルートインBCリーグでプレーしていたジョニー・セリス氏の同職就任を発表した。ふたりはともにラテンアメリカ出身で、日本の独立リーグでプレーした経験をもつ。その上、日本語が堪能で、日本人の妻を娶り永住権をもっていることまで共通している。年齢はともに33歳。一流選手なら脂が乗り切った頃だが、そうでない選手にとってはセカンドキャリアへの移行期と言っていい頃合いである。その微妙な年代に差し掛かった時、一方のフェルナンデス氏は、いったんは退いた現役への復帰を決断し、もう一方のセリス氏は、ユニフォームを脱ぎセカンドキャリアへ移行する決断をした。

WBC予選をきっかけに現役復帰を決断したブラジリアン

球団通訳から現役復帰するフェルナンデス氏
球団通訳から現役復帰するフェルナンデス氏

 ラファエル・フェルナンデス氏については、すでに記事にしているが(なぜ彼らは白球を追うのか?:サッカー大国・ブラジルから来た野球「還流移民」たち, https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20180521-00085179/)、今一度紹介するとかつてヤクルトでプレーしたブラジル出身の投手である。この国では、野球は日系人の民族スポーツとされているが、「国技」であるサッカーには全く興味が湧かなかったというヨーロッパ系のフェルナンデス氏はクラスメートの日系人の影響から野球に触れ、成長するにつれ、国を代表するプロスペクトに成長する。その結果、日本の大学への留学を勝ち取り、2008年、育成ながらドラフト指名され、ヤクルトに入団する。結局ヤクルトでは実働2シーズンで1勝に終わるが、第3回WBCに参加、予選突破だけでなく、本戦でも侍ジャパンを苦しめるなどナショナルチームの大黒柱として活躍した。結局このWBCの行われた2013年シーズン限りでヤクルトからはリリースされるが、ブラジルのクラブチームでプレーを継続、パナマのウィンターリーグを経て2015年には独立リーグの四国アイランドリーグplus・愛媛でプロ復帰を果たす。しかし、ここでも目立った活躍はできず、クラブチームに移籍、2016年秋の第4回WBC予選では再びブラジル代表のユニフォームに袖を通したが、その後、オーストラリアのウィンターリーグを最後にプレー先がなくなり、声のかかった日本ハムの通訳に就任した。

 それでも、彼は現役復帰をあきらめていなかったようで、通訳就任後もトレーニングは続け、オフにはトライアウトも受けている。そう言えば、2年前、インタビューした際、彼はこう言っていた。

「もう一度WBCに出たいですね」

 その最後となるかもしれない夢を抱いてフェルナンデス氏はユニフォームに再び袖を通した。

引退を決意したベネズエラン

日本の独立リーグで活躍したセリス氏
日本の独立リーグで活躍したセリス氏

 電話の向こうの声は相変わらず明るかった。

 「お久しぶりです。元気ですか?」

 彼の声を文字に起こす際、カタカナは似合わない。来日10年目。日本に生活の拠点を置く彼からスマホに届くメッセージには漢字も混じっている。

 2006年、20歳の時にホワイトソックスと契約を結んだジョニー・セリス氏だったが、4シーズンでリリース。独立リーグで2010年シーズンを送った後、母国ベネズエラのウィンターリーグでプレーしているところをスカウトされ、来日することを決意した。

 とは言え、アメリカではルーキーリーグしか経験のない選手に、いわゆるプロ野球、NPBから声がかかるはずもない。彼を呼び寄せたのは、発足以来ゴタゴタ続きでその存続さえ危ぶまれていた旧関西独立リーグだった。すでにこの独立リーグは、選手への報酬を支払うのをやめていたが、2011年から新規参入した「神戸サンズ」は、元メジャーリーガーのマック鈴木を監督に迎え、外国人選手を有給で招き、彼らがNPB球団との契約をかなえた際には、その契約金の一部を「育成料」として取ることでビジネスを成り立たせようと目論んでいたのだ。

持ち前の順応性で日本に適応したセリス氏は、2年目となる2012年、横浜DeNAのユニフォームに袖を通すことになる。この頃DeNAのファームは、ルートインBCリーグと定期交流戦を組んでいたのだが、この交流戦はしばしば二軍リーグのイースタンリーグとスケジュールが重なることがあり、その際は、NPB球団は事実上の「三軍」で交流戦に臨んだのだが、人員不足を補うために急遽セリス氏に声がかかったのだ。結局、彼のベイスターズのユニフォーム姿は、「練習生」としてのこの1試合に終わったが、対戦相手の富山サンダーバーズから声がかかり、移籍する。その後、福井、滋賀、群馬とBCリーグの4球団を渡り歩き、8シーズンを送り、リーグを代表するスラッガーとなった。福井時代には、SNSにおいて自分の日常を日本語で発信するなど、ファンの支持も得た。

昨シーズンは、リーグきっての強力打線擁する群馬ダイヤモンドペガサスの主力打者としてほぼフル出場の70試合で打率.316、リーグ5位の13本塁打を放ち、さらには4年前のオフから復帰したウィンターリーグでも、ブラボス・デ・マルガリータの一員としてプレーするなど、今シーズンもフィールドで元気な姿を見せてくれるものと私も思っていた。

しかし、フェルナンデス氏の後任を探していた日本ハムのオファーを受けて、セリス氏は、引退の決断を下したという。群馬球団からの退団の発表は2月26日にリリースされていたが、この時点まで群馬球団と正式な契約のオファーはなく、先々の生活を考えると、日本で家庭を持つ身として、ある種の決断をしたのだろう。

「まあ、1年契約ということなので、先のことはわからないけど」

と、現役への未練をちらつかせながらもセリス氏は、すでにチームに合流し、裏方としての第2の野球人生を歩んでいる。

この冬のシーズンを母国ウインターリーグのブラボス・デ・マルガリータで送ったセリス氏。これが最後のユニフォーム姿となった。(本人提供)
この冬のシーズンを母国ウインターリーグのブラボス・デ・マルガリータで送ったセリス氏。これが最後のユニフォーム姿となった。(本人提供)

 自分の気のすむまでプレーできる野球選手はほんの一握りである。そもそもトッププロリーグという舞台に立つという少年の頃からの夢をかなえるものなどほとんどいない。その夢をあきらめきれない者が集まる場所である独立リーグの選手にもやがて夢を封印せねばならない時がやってくる。

家族のため夢にフタをしたセリス氏とそれをしまい込んだ箱の封印を解いたフェルナンデス氏。ふたりの行く先に幸あらんことを切に思う。

(時なしの写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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