繰り返し言う~研究不正と「STAP現象」ありなしは別次元の問題
「STAP現象」はあります?!
ここ数日、にわかに騒がしくなってきた。何が?それは、「STAP現象」なるものが証明されたというニュースだ。
小保方晴子さんの発見は真実だった!ネイチャーにマウスの体細胞が初期化して多能性を持つ「STAP現象」がアメリカの研究者により発表されました
サイエンティフィックレポーツという論文誌に出た論文がその根拠とされる。
Characterization of an Injury Induced Population of Muscle-Derived Stem Cell-Like Cells
この論文は、いったん筋肉(骨格筋)になった細胞(筋肉に分化した細胞)が、損傷という刺激によって、様々な細胞に分化する能力を持つ多能性幹細胞になるというものだ(幹細胞については、粥川準二氏の連載など参照)。著者らはこの細胞にinduced muscle-derived stem cell-like cells (iMuSCs)という名前を付けている。iMuSCsは生殖細胞などにはならないので、「多能」ではあるが「万能」ではない。
確かに、昨年Natureに掲載され、撤回された論文で提示された「STAP現象」なるものも、リンパ球が、弱い酸の刺激により、多能性幹細胞になるというものであった。刺激によって、分化した細胞(今回の場合は筋肉、「STAP現象」の場合はリンパ球)が多能性幹細胞になるという点で共通点はある。
では、この論文に書かれたiMuSCsは、「STAP現象」なるものと同じメカニズムによって生じたものなのだろうか。
「刺激で脱分化」は知られた現象
いったん分化した細胞は、基本的には他の細胞に変わることはない。しかし、植物では、傷ができると、分化した細胞が様々な細胞に分化する能力をもった細胞になる、いわゆる脱分化を起こすという現象はよく知られている。それがカルスだ。
動物でも、イモリの指や眼は再生することが知られている(こちらなど参照)。これには脱分化がかかわっている。だから、動物の細胞に刺激を与えれば、分化した細胞が脱分化を起こし、多分化能を持つ細胞になるのではないか、という発想自体はわりとすぐ出てくる。当初STAP細胞が「アニマルカルス」と呼ばれていたのは、まさに植物のカルスから着想を得ていたことを示す。
iMuSCsの方が先
哺乳類では、何らかの物理的刺激によって幹細胞に類似した細胞ができることは知られていなかった。今回の論文は、筋肉を傷つけることで、多能性幹細胞ができることを報告した。もしSTAPを文字通り「Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency;刺激惹起性多能性獲得」と広く解釈するならば、今回の論文もそれに含まれるようにみえる。
けれど、iMuSCsは2011年の著者らの論文ですでに述べられている。STAP細胞の論文より3年前だ。
Study of Muscle Cell Dedifferentiation after Skeletal Muscle Injury of Mice with a Cre-Lox System
だから、「STAP現象」をあとから来た人に証明されちゃった、という話ではない。確かにハーバード大学のバカンティ氏らは2000年代初頭から、細い管に細胞を通すことで脱分化が起こるという仮説を言っていたが、たとえ仮説を考えた時期が先だとしても、証明できていないのならなんの説得力もない。
少なくとも撤回された論文のやり方では、「STAP現象」は確認されていない。筆頭著者が参加した再現実験は成功せず、著者の一部が所属するハーバード大学での再現実験も成功しなかった。
研究不正は消えない
このほか、論文の査読者が一人しかいない等、この論文に様々な問題点があるとの指摘がある。詳しくは幹細胞の専門家のご意見(たとえば八代嘉美さんのツイッターの発言)等で確認いただきたい。
百歩譲って、このiMuSCsが「STAP現象」なるものと同等のものであったとしても、研究不正を行ったという事実は消えない。「STAP現象」のありなしは、研究不正のありなしとは別次元の話だ。「STAP現象」があろうがなかろうが、ずるしちゃいかん、ということだ。
2014年8月27日に私が書いた記事を引用しよう。
iMuSCsも、これから追試などが行われ、科学の歴史の法廷に立つことなるだろう。
研究不正を犯しても、結果があっていればおとがめなしということになれば、研究者のモラルは崩壊してしまう。
対立を乗り越えよ
筆頭著者の小保方晴子さんや、故笹井芳樹さんへの常軌を逸したバッシングは、強く批判されるべきだ。スケープゴートを叩くだけで終わっては、問題が発生するに至った構造が何ら変わらない(拙稿「叩いて忘れる社会」参照)。
しかし、今回のように、「STAP現象」はある、研究不正なんて小さなこと、批判したやつ謝れ、という過剰な「擁護」は不毛な対立を生み出すだけで、逆の意味で「叩いて忘れる」ということになる。
この問題は擁護派、否定派に分かれるような問題ではないはずだ。感情的にならず、冷静に問題点を議論し、今後に生かす、こういう地に足が付いた議論をしていくことが必要なのだ。