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憲法9条の「議論」を阻むものは何か 〜「6・8公開熟議」を企画したわけ〜

楊井人文弁護士
5月3日付産経新聞と5月4日付朝日新聞の各朝刊1面

「憲法9条」という言葉を聞いたとき、みなさんはまず何を感じるだろうか?

極めて「政治的な」話題だと直感し、何となく身構えてしまうのではないだろうか?

聞いてはいけないものを聞いてしまったような。そして、あることが気になってしまう。「憲法9条」について語るその主が、どちらの立場なのか。友なのか敵なのか。「あちら側の人」なのかどうか、と。

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今年の憲法記念日も、例によって「護憲派」と「改憲派」がそれぞれ集会を開き、「改憲阻止を!」「改憲発議を!」と気勢を上げたようである。

朝日新聞は5月4日付朝刊1面トップや社会面で、両陣営の動きを「改憲の是非をめぐる攻防が展開された」とか「各地で開かれた集会では、憲法改正の是非が正面から論じられた」といった型通りの表現で、手際よくまとめていた。

しかし、果たしてこの国に、改憲の是非についての「議論」は、かつて実在したであろうか?

メディアを通じて伝えられる情報の大半は、護憲・改憲の各陣営、学者をはじめとする各論者、あるいは各政党幹部の「主張」や「言説」の紹介、せいぜい「両論併記」でしかない。そして、相手の陣営に対する対抗、不安、警戒、敵意を感じさせる言葉が並ぶ。

異なる立場どうしの「議論」や「対話」が存在しない。

いや、テレビの討論番組で、憲法について「議論」しているのを耳にしたことがある、というかもしれない。しかし、そこで登場する論客や政治家は、視聴者や支持者を意識して、自分の立場を滔々と述べる。異なる立場を論難する。同席していても論者どうしの対話はほとんどなく、話がかみ合うことはまずない。果たして、本当に「議論」が行われた試しがあっただろうか。

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たしかに、憲法が施行されて70年近くたち、憲法改正の賛否両論の「主張」「言説」はあふれかえっている。ところが、最近、朝日新聞が行った世論調査によれば、こんな質問と回答があった。

◆国民の間で、憲法を変えるか変えないかについての議論が、どの程度深まっていると思いますか

かなり深まっている    1

ある程度深まっている  15

あまり深まっていない  57

まったく深まっていない 25

(数値は%。朝日新聞2016年5月3日付朝刊「朝日新聞社世論調査 質問と回答」より)

この世論調査の結果は、「議論」が深まっていると感じている人が非常に少ないことを示している。

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そうした中、毎日新聞が憲法記念日に社説で、ある「風潮」に懸念を示した。「国論の分裂を招くな」という小見出しをつけて、こう述べている。

安倍首相は、改憲に慎重な考え方を「思考停止」だと語る。

だが、憲法を巡る意見や論議のあり方は多様だ。改憲派か護憲派かという色分けは、もう古い。

単純な構図に矮小化し、対立をいたずらにあおる物言いは、いずれの政治家も慎むべきだろう。自分の正義だけを主張し、相手を否定する姿勢は、極論と極論の衝突に陥りやすい風潮を助長してしまう。

出典:毎日新聞2016年5月3日付社説

その通りだと思う。しかし、こうした「風潮」を生んだ責任は、わかりやすい二項対立の構図を好むメディア自身にもあったのではないか。

たとえば、朝日新聞は最近、憲法関連の記事で、「立憲vs非立憲」という構図を好んで使う。「立憲」を語るのは正義の側、「非立憲」と烙印を押された側は不正義という構図で、物事を二項対立的にとらえる言説を重用する。人々に現実世界の具体的な事実に基づいて考える材料を提供するのではなく、「友か敵か」の世界に誘い込む。

毎日新聞2016年5月3日付朝刊オピニオン面
毎日新聞2016年5月3日付朝刊オピニオン面

産経新聞も「抑止力の役割を理解しようとしない陣営」を「日本を脅かす国を利する『平和の敵』」だと決めつけ(憲法記念日の社説)、改憲派の論客だけを招いて憲法改正をテーマにしたシンポジウムを主催している(同日の朝刊に詳報掲載)。「護憲派」と呼ばれる陣営を忌み嫌い、対話しようともしない。

他方、毎日新聞は、先ほどの社説が表明した懸念も念頭にあったのか、憲法9条をテーマに木村草太・首都大学東京教授(憲法)と井上達夫・東大教授(法哲学)の「対談」を掲載した。木村教授は現行憲法のもとでも自衛隊や個別的自衛権の行使は合憲であり、改憲は不要という立場だが、井上教授は自衛隊は違憲であり、改憲は必要という立場だ。このように、異なる立場の「対談」を載せたのは、在京6紙の中では毎日新聞だけであった。現在のメディア状況においては、貴重な役割を果たしたといえよう。

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本来、異なる立場が共通の土俵で交わす「公共の広場」を提供し、人々に論点を提示することは、メディアの重要な役割のはずである。

しかし近年、とりわけ社論が二極化した全国紙メディアは、「友か敵か」の視点で取材対象や情報を選択し、報道することが常態化している。毎日新聞が憲法記念日に載せたような「対談」企画はめったにない。社論が報道内容に色濃く反映し、特定の立場を擁護するための「機関紙」的な傾向が強まっている。

こうしたメディア状況に一石を投じるため、シンポジウム「公開熟議 どうする?憲法9条」を6月8日、日本記者クラブのホールで開催することにした。9条問題を異なる立場から論じてきた論客が一同に会して、対話と熟議を図る。前例のない試みになると思う。元フジテレビ解説委員でニュース解説サイトJapan In-depth編集長の安倍宏行さんと共同で開催する。

今回の「公開熟議」に参加していただけるのは、以下の4名の論客である。

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かつて日本共産党職員として党の安保外交政策に関わり、憲法9条を変えずに自衛隊を活用することを提唱している松竹伸幸さん

紛争地の武装解除の仕事を任されてきた経験を踏まえ、自衛隊の行動範囲を制限する「新9条」を提案している伊勢崎賢治さん(東京外国語大教授)。

従来の護憲派・改憲派の欺瞞から抜け出し、立憲民主主義を回復するために「9条削除論」を提起してきた法哲学者の井上達夫さん(東京大教授)。

国家論の視点から9条の制定過程や内容には重大な問題があるとして、保守派の立場から改憲の必要性を訴えてきた長谷川三千子さん(埼玉大名誉教授)。

この4名の方々には、冒頭で、近い将来、9条を改定すべきか否か、改定するとすれば具体的にどのような条文にすべきなのかを簡潔に表明していただくようお願いしている。伊勢崎さんはすでに別のところで新9条の具体的な条文案を発表しているが、井上さんと長谷川さんには、条文案を初めて発表していただくことになるだろう。そして、シンポジウムによくありがちな、一方通行の主張ではなく、座談会のように、双方向の対話・議論を行っていただきたいとお願いしている。4名の方からはみな、このような企画に出たいと思っていた、楽しみにしている、と非常に前向きなお返事をいただいた。

ただ、自衛隊は違憲であるから縮小・廃止すべきという従来の護憲派の論客にも十数名打診していたが、残念ながら、都合が合わないなどの理由で全て断られてしまった。ただし、中には、先約を変更してでも是非出たかった、と非常に前向きな方もいたことを付言しておく。

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いったい、憲法をめぐって、かくも長きにわたり政治的な分断が続いてきた民主主義の国が、ほかにあるだろうか。

その要因の一つは、異なる立場どうしの「対話」や「議論」の不在であったと思う。そして特に、憲法9条については「何のために」(目的)、「どう変えるのか」(手段)を具体的に意識した議論があまり行われてこなかったように思われる。

これまで、改憲派の陣営だけでなく、リベラルな立場(たとえば鳩山由紀夫元首相や民進党の枝野幸男幹事長など)も含めて、数多くの改正案を発表されてきたし、読売新聞や産経新聞も独自に改正案を出してきた。しかし、その具体的な内容はほとんど知られていないのではないか。

改憲を主張する人たちは、一体どの改正案を念頭に語ってきたのだろうか。9条を改正できさえすれば何でもいいのか。他方、護憲を主張する人たちは、どの改正案に反対してきたのであろうか。いずれも、9条、9条、と言うわりに、「条文」を意識した議論はほとんどみられない。

少し考えてみればわかることだが、かりに国民の多数派がいかに「9条に問題・欠陥あり」という認識に至ったとしても、改定条文の内容に賛同できなければ、国民投票で否決され、いつまでたっても改正されることはない。現行の9条に欠陥はあるが、さりとて改正案の条文にも別の欠陥がある、不安があるーそうした「総論賛成、各論反対」がもたらす現実的帰結は、「現行9条の存続」となるだろう。

では、「9条を変えるべきか、変えるべきでないか」という堂々巡りの不毛な政治的抗争から脱け出すには、どうすればいいか。

変えるべきだと考える立場であれば、9条の欠陥をあげつらうだけでなく、具体的な対案を示すべきである。この国の安全保障をどうするのか、自衛隊や日米安保をどうするのか、国際法で認められている武力行使の形態(個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障)について日本はどういう原則を採り、国際社会でどういう立ち位置を目指すのか。そして、どこまでを硬性憲法で規定し、どの部分を立法府の民主過程に委ねるのか。これまで公表された9条改正案だけみても多くの相違点があり、詰めるべき論点はいくらでもある。

要するに、観念的な言説ではなく、国際社会の現実を踏まえて、「何のために」「どう変えるのか」を意識して、論点をできるだけ浮き彫りにするような「条文案」を踏まえた議論が必要なのではないか。国の根幹にかかわる大事な問題だからこそ、事実に基づいた冷静な議論を聞いて、じっくり考えたい人も多いはずである。いまのメディアは、そうした人々の期待にこたえていない。

そうした議論の積み重ねの先に、もしかすると国民の大半が納得できるような条文にたどりつくかもしれないしれない。そうすれば国民投票で採択されるであろうし、そういう条文にたどりつかなければ、現行9条の存置という現状および憲法をめぐる政治的分断状況が半永久的に続くだろう、というだけの話である。

憲法9条をめぐる「熟議」を、この国は憲法施行70年近くたった今も、まだ経験していない。これから始めるとしても長い歳月を要するだろう。だが、憲法の根本原理の一つとも称される条文をめぐって、いつまでも、友か敵かの「壁」を残しておくことを、国民の多くが望んでいるとも思えないのである。

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憲法は、法律とは違って、最終的に国民が決めるものである。したがって、政治家ではなく、国民ひとりひとりが、9条についての「議論」の質と量がもたらす帰結に責任を負っている。そして、「議論」を創出するのに最も重要な役割と責任を負っているのは、やはりメディアなのである。一方通行の「主張」や「言説」はもうたくさんである。

(最後に…「公開熟議 どうする?憲法9条」の開催費用等の支援金を呼びかけています(ReadfyFor?サイト)。趣旨にご賛同いただけた方は、ご支援をお願いします。当日の参加チケットだけを購入したい方は、こちらのサイトからお申込みください。)

(*) 当初、ドイツの法学者カール・シュミットの「政治的なもの」の本質は「友か敵かの区別」にあるという言葉を引用していましたが、シュミットの「敵」概念は「物理的な殲滅の可能性を含意した公敵」を意味し、本稿における憲法をめぐる「友か敵か」の区別の問題とは本質的に異なることから、削除しました。お詫びして訂正します。

(**) 関連記事を掲載しました。→「憲法9条の下では領空侵犯機を撃てない」は誤報 過去に警告射撃も 「撃墜」排除せず

弁護士

慶應義塾大学卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHoo運営(2019年解散)。2017年からファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年『ファクトチェックとは何か』出版(共著、尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー受賞)。2022年、衆議院憲法審査会に参考人として出席。2023年、Yahoo!ニュース個人10周年オーサースピリット賞受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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