苦しんだ2人のレジェンド、武豊とデットーリが、11年前のトルコの夜空に誓った事
トルコで行われた騎手招待競走
今年もワールドオールスタージョッキーズに出場出来る日本チームのメンバーが発表された。ダノンデサイルで日本ダービー(G I)を制した横山典弘騎手らが選ばれる中、当然、選出されたのがレジェンド武豊だ。
彼の実績は今さら説明不要だろう。現役でいる限り、8月の札幌のこのシリーズには毎年、選出されてしかるべき第一人者だ。
さて、今回はそんな彼のあまり知られていない真夏のエピソードをアーカイブ的に記したい。
時は11年前、2013年の7月。場所はヨーロッパとアジアの交わる国トルコでの話である。
10年にレース中の落馬から大怪我を負い、しばらく不振が続いた日本のナンバー1ジョッキー。しかし、それから3年経ったこの年、キズナに騎乗して自身5度目の日本ダービー(G I)制覇を成し遂げた。そして、それから2ヵ月と経たない現地時間7月17日、彼の姿は、見るからに異国情緒漂うこの国にあった。
「トルコで乗るのは2度目です」
世界三大料理と称されるトルコ料理に舌鼓を打ちながら、そう言った後、笑いながら続けた。
「三大料理だけあって、悪くはないけど、個人的には中華とかイタリアンの方が好きかも……」
その後、場所をヴェリエフェンディ競馬場に移した。そこで合流したのはアメリカのJ・カステリャーノ、フランスのS・パスキエ、南アフリカのP・ストレイダム。そしてあのランフランコ・デットーリ。この日、行われるトルコジョッキークラブ国際騎手招待競走に世界中から名手が招待され、地元トルコチームのジョッキー達と覇を競う。いわばトルコ版のワールドオールスタージョッキーズが開催され、日本の天才騎手もこれに呼ばれていたのだ。
競馬場入りした各騎手は、ファンを対象に、トルコジョッキークラブ主催の大サイン会に参加。その後、本番の競馬に臨んだ。
似た境遇だった2人のレジェンド
「フランキーと乗るのは久しぶりなので、楽しみです」
武豊はレース前、そう言った。
フランキーと呼ばれたのは勿論デットーリ。世界一上手い騎手と言われた彼だが、ゴドルフィンとの契約をこの年の頭から解消されていた。タッグを組んで世界中を席捲した大馬主との決裂で、当然、成績は下がり、口の悪い人達からは「デットーリはもう終わった」とさえ、言われていた。
しかし、彼等に対し「果たしてそんな即座に劣化するわけはない」と、分かる人は分かっていた。なぜなら、彼等が誰よりも経験豊富なのは疑いようがない事実だったからだ。
例えばこのトルコでの競馬もそう。先述したメンバーからなる世界選抜チームと、地元トルコを代表する5騎手の全10騎手が4レースに騎乗し、各着順に応じたポイントで、個人戦と団体戦の覇を競うのが、この時のシリーズだった。いわばワールドオールスタージョッキーズのトルコ版。G Iを競うわけではなく、お祭り要素満載のイベントのため、武豊も発走直前の馬上からピースサイン(扉写真)をするなど、リラックスした表情。それでもスタートが切られると持っている技術を全開にした。
とくに3レース目だったポリトラックの1500メートル戦は、1~2コーナーの途中に置かれたゲートからスタートを切る競馬。日本ではお目にかかれないスタート地点に、世界を股にかけて活躍するジョッキーの経験値がまた1つ、上がった。
そして、そんな本人にとっても初めての条件下でもそれなりの結果を残すのが、天才の天才たる所以。終始好位を進んだ武豊は直線で内から一旦抜け出した。450メートルに及ぶ最後の直線、ゴールの直前で地元の英雄H・カラタスの騎乗馬に僅かに差され、惜敗したものの、2着となってみせた。
日本代表ジョッキーは、騎乗した4レースで、残念ながら勝利する事こそ出来なかったが、好騎乗で2、3着と結果を残した。着実にポイントを積み重ね、世界選抜チームの団体戦優勝に一役買ってみせたのだ。
「勝ちたかったし、総合優勝もしたかったですね」
全レース終了後、悔しそうな表情を見せてそう語った武豊だが、すぐに頬をほころばせると、続けて言った。
「でも団体戦は優勝出来たし、全体的には本当に楽しく乗れました。そして、何よりもやはりフランキーと一緒に乗れたのが良かったです」
2人が異国の夜空に誓った事
表彰式が終わったのは午後10時を過ぎ。その後、ジョッキークラブ主催で、遅めの晩餐会が行われた。
冒頭で記したようにこれは13年の話で、武豊もデットーリも苦しい時期の出来事だった。どことなく、似た境遇にいた2人は、この宴ですぐ近くの席に座り、話が弾んだ。
「いつも明るいフランキーにしては珍しく落ち込み気味でしたね」
武豊がそう言うように、デットーリは子供の養育費の話までして愚痴とも思える言葉をこぼすシーンがあった。
しかし、2人は最後に力強く語り合った。
「このままでは終わらない」
そして、実際にその後、武豊はキタサンブラックやドウデュース他、デットーリはゴールデンホーンやエネイブルらで大舞台を勝ちまくり、不死鳥の如く蘇るのだった。
一朝一夕でこの地位を築けないのと同様、簡単に下手になるわけはない事を、自ら証明した2人は、現在もまだ、皆の憧れる騎乗を披露し続けている。11年前、ヨーロッパとアジアを跨ぐ海峡都市で開催された騎手招待競走は、日本では小さく報道されただけだった。しかし、実は2人のレジェンドが返り咲きを誓った場所だったのだ。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)