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5歳と45歳のインフルエンザ体験

なかのかおりジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員
子どもがインフルエンザになると登園停止期間の対応が必要になる(写真:アフロ)

今年もインフルエンザが大流行。子どもがかかると保育園や学校に行けなくなり、対応に奔走した親も多いのではないだろうか。我が家は毎年、全員で予防接種をしているが、今年は5歳の娘に続いて45歳の私もインフルエンザB型にかかった。保育園からの呼び出しに始まり、検査や病児保育の予約、仕事のリスケジュールなど一連の体験を紹介する。

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子どもの病気、上司の理解なく壮絶な日々

保育園から久々の呼び出し

1月のある水曜日の午後。

私は夜のプレゼンテーションに向けて外出していた。出先で電話取材をしていると結構、長い話になってしまった。その間、何度もぶるぶると着信があった。話が終わってショートメールやラインを見ると、夫から「熱が出て保育園から電話」と入っている。私の携帯電話は話し中だったから、先生が夫にもかけたらしい。

すっかり油断していた。娘が3歳ぐらいまでは、毎月のように病気になり、1週間は発熱したり、登園停止になったりだった。5歳クラスになってからは、春に熱を出して以来、ほとんど病気をしていなかった。昨シーズンは保育園で大流行して60人がかかったインフルエンザも、年末にちらほらと出ていた程度。

けいれんの恐怖、ママが迎えに

娘は1~2歳の時に熱性けいれんを2回、起こしているので、私はけいれん止めの座薬を持ち歩いている。最近は以前より食べるようになり、体もしっかりした。5歳になったらもうけいれんは起きないだろうと思ったものの、やはり気になる。保育園に電話して聞くと38.7度という。これは私が行かなければと判断し、夫には翌々日の在宅ワークと看病を頼んで、私がすべての予定をキャンセルして迎えに行くことにした。

子どもの病気で呼び出されると、一気に10件ぐらい連絡しまくることになる。保育園や夫、クリニック、仕事先、病児保育などの預け先。仕事でも、こんな場面はそうそうなかった。久しぶりに、頭をフル回転して瞬時にテンションを上げる感覚を思い出した。

毎日、決まった時間に勤務しなければならなかった会社員時代は、こうした対応にエネルギーを費やした。娘の病気のたびに遅刻早退や欠席を繰り返した。評価が下がって居づらくなり、退職につながった。トラウマがよみがえって、この日も強迫的に連絡しまくった。

メールにライン、連絡しまくり

その日のプレゼンのボスは、緊急のメールは見ない。携帯電話はわからなかった。集まりに参加する女子のラインにメッセージを入れ、後でライン電話もした。ボスに証拠としてメールはしておいた。

「件名・緊急 娘の高熱で保育園に呼び出されました」

切実に表現しないと緊迫感は伝わらない。会社員時代、保育園からの呼び出しで早退すると、上司に「それぐらいで迎えに行くの?」「子どもの体調管理をするように」と言われたのだ。体験者はわかるように、保育園は37.5度以上でお迎えの要請がある。熱や症状があれば保育園には行けない。子どもの健康も大事だが、周囲にうつさないためだ。

働く親は経験する、「子どもの病気でパニックになっているのに、連絡しまくり、頭下げまくりでリスケジュールしなければならない恐怖」。「ずいぶん急だねえ」「病気って本当なの?」と疑われるのではないか。「困るねえ」と思われるのではないか。

座薬は嫌と泣き続ける娘

そんなことを考えながら雨の中、保育園に駆けつけると、娘はクラスの部屋ではなく事務室でお昼寝用のコットを出してもらっていた。熱も下がっていない。念のためにけいれん止めをバッグから出して使おうとしたら、嫌だと泣く。事務室の奥のスペースに毛布を敷いて、説得した。娘は体調の悪さも相まって、コートを着たままの私の膝に乗って涙を流し続ける。

私は娘がけいれんを起こして救急に行った時の恐怖から、「大きくなったし、座薬はしなくていい」と判断できなかった。予防接種や薬については様々な考え方がある。何人かのドクターに聞いた結果、「けいれんはなるべく起こさないほうがいい。起きても薬があったほうがいい」という意見を私は取り入れていた。保育園の先生も投薬はできないという。

ずいぶん時間がたち、見かねた副園長先生が「お手伝いしますよ」といって抱っこしてくれて、何とか投薬。そんな騒ぎの中、お迎えを頼んであった女性に電話して、高熱のためキャンセルすると伝えた。涙をふいて、支度させて子どもクリニックへ。傘をさして歩けてよかった。娘が歩けないほど具合が悪かったら、腰痛もちの私は5歳児をおぶってクリニックに行けなかった。

インフルになると登園停止になる なかのかおり撮影
インフルになると登園停止になる なかのかおり撮影

保育園ママのラインで情報交換

発熱してすぐでは検査してもわからないだろうと、インフルエンザの検査はしなかった。薬局に寄って、スーパーで食べられるものを買って帰った。ドクターは「5歳ぐらいになると、けいれんも起きなくなりますよ」と言ったが、以前に「小学校に入るぐらいまでは起きる可能性がある」と聞いていたので、複雑な思いだった。

小さい時にけいれんがあったという小学生のママにメッセージをして聞いてみた。小学生になって、もうけいれん止めはいらない、と見極めるタイミングはあったそうだ。

保育園のクラスのグループラインに、「インフルかはわからないけど高熱です」と連絡した。それぞれに家事・育児・仕事といっぱいいっぱいに努力している保育園ママたち。自立した上での情報交換であって、もちろん病気の子は預け合わない。励ましの言葉をかけられ、あるクリニックの病児保育室がお勧めと教えてもらった。

その病児保育室は、娘が小さいころに一度、行った。ワンメーターとはいってもタクシー代がかかり、持ち物すべてに名前を書いたり別の病気がうつったりと大変な思い出から、選択肢になかった。自治体の助成があり1日2千円。成長した今、熱が下がった待機期間ならいいかもしれないと心が動いた。

夜中に娘がぶるぶる、と体を震わせただけで、熱性けいれんかと思ってびくっとした。

再度クリニックへ、B型が

翌日の木曜日。娘は私と自宅で過ごしつつ、熱が下がらなかったので夕方に再び子どもクリニックへ。鼻にびゅっと入れる検査をして、狭い別室で待つ。同じ保育園の小さい子も何人か検査していた。

ドキドキしながら待って、診察室に呼ばれると「出てますね」。インフルエンザB型、登園停止だ。発熱した日を0日として、「day5までは休み」と書かれた用紙と、検査結果をもらう。つまり6日間のお休みで、月曜日まで自宅待機と判明した。クリニック隣の薬局にタミフルの処方箋をファクスで送ってもらい、隔離部屋で待った。

夫に連絡し、週末の看病を話し合う。そして保育園ママに聞いていた病児保育室に電話。月曜日の分は、金曜日の朝から受付という。保育園に電話して報告し、ママたちのラインにも入れる。下の子がインフルで…というママもいて少しずつ出ているようだ。

薬や水分は取れて一安心

娘は「何も食べられない」というほどではなく、うどんやおにぎりを食べて、水分もとれた。以前は水分が取れなくて脱水になったり、タミフルを飲めなくて苦労したりしたが、今回はチョコレート味のお薬ゼリーで飲むことができた。苦しそうだった高熱の時は、QOLを重視して解熱剤を何回か飲ませた。

金曜日は、熱が下がっていた。私は朝から断れないアポイントが入っていたので、夫に在宅ワークにしてもらった。私が会社に勤めていたころは、娘の看病は私ばかりになってしまい、欠勤の多さに職場でひんしゅくを買って修羅場だった。その時の反省と、娘が成長して父娘のコミュニケーションも増えたことから、夫に頼めた。

娘は自宅待機中、夫が入会していたサービスで、無料で見られる映画を何本か見た。ふだん保育園でたっぷり遊んでいる娘にとって、どこも出かけられないのはつらい。ビデオを見せるのも賛否あると思うが、非常時は気が紛れて助かった。

私は外出先から何度か自宅に電話した。呼びかけると娘が自分で受話器を取って話ができた。夕方、娘が不機嫌で泣きながら夫の携帯から電話してきたが、子どものグッズが売っている店には寄れず、スーパーで折り紙を買って帰った。

ありがたくて涙が出そうだった病児保育室 なかのかおり撮影
ありがたくて涙が出そうだった病児保育室 なかのかおり撮影

こんな時に、パソコントラブル

金曜日の夕方、月曜日の病児保育室が予約できると電話があった。朝に電話した時は「キャンセル待ち1番」だったが、治って必要なくなった子がいたらしい。何がいるか聞いて、山盛りの持ち物をメモした。私が帰宅すると、夫は夜の約束のため外出した。

土曜日になった。仕事が入って保育園を利用する土曜日もあるが、この日は約束がなく夫と交代で留守番。私は娘と過ごしながらパソコン仕事をした。習い事はすべてお休み。図書館で娘が好きそうな本を借りてきた。

こんな時に、アクシデントがあった。土曜の夕方、パソコンの電源が突然、落ちた。1万字ぐらい、締め切りが迫った文書が書きかけだったし、撮影した写真も入っていた。忙しくてバックアップもさぼっていた。夜中に何度も電源を入れたり説明書を見たり。

日曜日の朝。フリーダイヤルに1時間つないでやっと出たメーカーの人に聞くと、データはすべて消滅、修理もかなりの期間かかるという。看病とリスケジュールでへとへとなのに、まさに谷底に突き落とされた。

午後に夫が帰ってきて、バトンタッチするとパソコンを抱えて家電量販店へ駆け込んだ。電源のコードを買い替えればいいとわかり、命拾いした。出先のカフェであらかたの仕事をすませて帰宅した。

大雪の日に病児保育室

月曜日、娘の自宅待機の最終日。

バスタオル2枚、着替え、お弁当、おやつ、水筒、ジュース、ビニール袋、印鑑、薬手帳、医療証、保険証を乳児クラスで使っていたデカバッグに詰め込み、送り出す。夫が出勤途中に、予約した病児保育室に連れて行った。申込書を書き、印鑑を押し、スプーンなど一つ一つに名前を書いたそうだ。

この日は大雪だった。仕事をして夕方5時ごろ私が迎えに行くと、同じインフルB型の女子と隔離されて遊んでいた。熱もなく持参したものもだいたいは食べられた。保育士がついてオセロをするなど楽しく過ごしたようだった。詳しい記録表ももらった。親の仕事のためとはいえ、自宅でストレスをためていた娘をケアしてもらえたのが、ありがたくて涙が出そうだった。

隔離部屋の窓から、雪が降っているのが見えた。娘は帰りがけにドクターの診察を受け、登園許可証を書いてもらった。外に出ると雪が積もり始めていて、娘は喜んでいたが、体力も落ちているし寒そう。すぐに帰宅した。保育園にも電話して、明日から行けますと連絡。

私も発症してしまった!

雪を見ながら、闘いが終わったと思ってほっとした。けれどその後、もう一つの事件があった。

娘が保育園に行けるようになった火曜日と水曜日、私は看病で延期した仕事や用事を朝から晩まで詰め込み、無理してしまった。ちなみに私はのどが弱く、冬は常にマスクをしている。娘のインフルもあったので、人と会う時も寝る時もずっとマスクをしていた。

娘のインフル発症から1週間たち、木曜日は保育園最後の保護者会に参加。クラスでもインフルが出ていて参加は少なかった。私はのどが痛かったため保護者会が終わってすぐ、近くの耳鼻咽喉科へ。夫がのどが痛いと検査したらインフルではなかったから、私ものどのかぜと思っていた。

娘がインフルでしたと話すと、即座に「検査しましょう」とドクター。B型が出た。予防接種もしたんだけどなあ。「日曜日までは自宅にいてください」と言われる。吸い込む薬を出され、その日に2本を吸うだけで、毎日の服薬は必要なかった。

夫と娘が教室で作ったパン。思い出になった(夫撮影)
夫と娘が教室で作ったパン。思い出になった(夫撮影)

夫と娘で親子パン教室へ

夫に連絡して、お迎えと週末の娘の習い事を調整する。「インフルエンザ」というのはものすごい切り札だ。私が会社勤めをしていたころは、子どもの病気の多さに修羅場だったと様々な記事で書いてきた。娘の病気がうつって私が下痢しても熱を出しても、這うようにして送り迎えや子どもの世話をした。忙しいと言う夫には頼みづらく、頼めた時もすごく気を遣った。

ところが今回は、私が外出禁止の病気。夫が忙しい時期でなかったこともあり、あっさりと交代してもらえた。土曜日は私が行くつもりで親子パン作り教室に申し込んであった。「キャンセルしてもいいよ」と言うと、夫は「興味がある」。私はいそいそと2人分のエプロンや三角巾を用意した。

B型が判明した木曜日の夜、私の熱は39度近くまで上がった。金曜日の集まりに行けなくなったという連絡はできた。大人になって初めてのインフル。予防接種の効果か、薬の力か、高熱で横になっていたのは最初の2日間だけ。全く食べられないということもなかった。

産後、初めて休むことができた

土曜日の朝、娘と夫を送り出した。パン教室の後、娘の習い事にも行ったので、仲間のママ達に連絡してフォローをお願いする。私は熱が下がり、調子に乗ってパソコン仕事やおかず作りを頑張ったら、どっと疲れた。

日曜日は休み休み、自宅で仕事や家事をした。のどと鼻の症状があり、月曜日のアポイントは延期してもらった。結果的には、月曜日になったらよくなっていた。ドクターに言われた待機期間は実情に合っていた。

娘の発症から私の自宅待機が終わるまで12日間。仕事もたくさんしたし、大きな収穫があった。

インフルエンザによって、産後に初めて休むことができたのだ。安心して頼れる身内がなく娘のために5年以上、倒れることも許されなかった。保育園の先生にも「初めて倒れることができました!」と報告した。改めて、無理しすぎるとよくないと気付かされた。だが「ママのインフル」という切り札を通して、夫と娘の絆が深まったのはよかった。

子どもの病気で遅刻早退や欠勤が多くなり、居づらくなって会社を辞めた私は、そのトラウマを引きずっている。お勤めしながら2人、3人と育てる人やワンオペの家庭はもっと大変だと思うが、我が家は今の状況で綱渡りだ。

子どもが成長しても、インフルの流行はあるだろう。学級閉鎖や登校停止の病気の時、働く親はどうやって対処しているのだろうか。まだまだ、親としての勉強は続きそうだ。

ジャーナリスト(福祉・医療・労働)、早稲田大研究所招聘研究員

早大参加のデザイン研究所招聘研究員/新聞社に20年余り勤め、主に生活・医療・労働の取材を担当/ノンフィクション「ダンスだいすき!から生まれた奇跡 アンナ先生とラブジャンクスの挑戦」ラグーナ出版/新刊「ルポ 子どもの居場所と学びの変化『コロナ休校ショック2020』で見えた私たちに必要なこと」/報告書「3.11から10年の福島に学ぶレジリエンス」「社会貢献活動における新しいメディアの役割」/家庭訪問子育て支援・ホームスタートの10年『いっしょにいるよ』/論文「障害者の持続可能な就労に関する研究 ドイツ・日本の現場から」早大社会科学研究科/講談社現代ビジネス・ハフポスト等寄稿

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