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〈Interview イ・ランになるまで〉3. イ・ランが日本で思うことは?

韓東賢日本映画大学教員(社会学)
写真は本人提供

前回からのつづき)

――日本について聞きたいんだけど。まず、子どもの頃に抱いていたイメージは?

マンガしかない。

――たくさん読んだ? どんなマンガ?

読んでたのはほとんど日本のマンガ。少女漫画とか、『スラムダンク』とか。

――韓国で翻訳されたものだよね? 他のみんなもそうだった?

うん、みんなそう。貸本屋にあったのもほとんど日本のマンガだし、韓国のマンガもあるにはあったけど面白くないイメージで、マンガは日本という感じ。

――マンガ以外は? 音楽とか、テレビアニメとか。

アニメは『フランダースの犬』とか『アルプスの少女ハイジ』とか。あとロボット? 『マジンガーZ』とか。中学生くらいになると、日本文学で有名なものを。

――夏目漱石とか?

夏目漱石を読むのは大学生なんかで、中高生の頃は、村上春樹とか。

――村上春樹を中学生で読むのか。セックスとかあるよね?

そういうのがあるから、中学生が読む。

――なるほど。だとしたら『ノルウェイの森』とかか。

そうそう。

――その頃、日本人の友だちはいなかった?

まったくいなかった。でも姉が外国語の高校に通ってて、日本語科だった。あと母方の祖母も日本語ができて。姉が日本語を習い始めたら祖母が一緒にしゃべってたから、なぜ日本語ができるの? って不思議だった。植民地時代を生きた人だからなんだけど、歴史をよく知らなかったから。

――でも習っていたでしょ?

習ってるけど、その歴史が自分の家にもあると気づかなかったし、結びついてなかった。そういえば『イムジン河』を発表した後、父が「亡くなった母が生きていたら喜んだのに」と言っていて、なぜ? と聞いたら、故郷が北だからって。

――じゃあ朝鮮戦争中に南に来た人?

そう。父によると、もともとはお金持ちで、土地の証書やなんかを全部どこかに隠してきたらしいんだけど、もう祖母が亡くなったからどこにあるかわからないって。だったらうちは統一したらお金持ちになれるかも、って友だちに話したら、「そんな話はどの家にもあって、統一したらみんな金持ちになるよ」ってみんな笑ってた。つまり祖母が生きてるときに聞いた記憶はないし、私には何の関係もないと思っていたのに、そうではなかったってこと。お祝いのときにソンピョン(餅)作るじゃないですか? うちの祖母のソンピョンは手のひらくらいのサイズでとても大きかった。北のどこかの地名の何とか式ソンピョンだって言ってたけど、なんでうちのはこんなに不格好なんだろう? と思ってた。

――大きいだけ? 味も違うの?

豆やゴマが入ってて味のほうは大丈夫。でも、母方の家のは小さくてかわいいのに、父方の家のは大きくて不格好だから気に入らなかった。話を戻すと、姉が日本語を勉強して、修学旅行も日本だったし、学校の文化祭で着物を着たり、そんなのを見てはいたけど、とくに日本に興味を持ってたわけじゃなかった。

――歴史にも関心がなかったわけよね。ということで日本に来るまでは、とくに縁もなく。

10代のときに初めて付き合った彼氏が日本文化のオタクだったから、おかげでマンガやゲームやアニメをたくさん見ることになって、そこからあれこれ好きなものもできた。かといって日本に行きたいと思ったことはなかったな。

――初めて日本に来たのは?

ソウルにある雨乃日珈琲店の清水さんが、故郷の金沢で結婚式を挙げるから披露宴で歌ってほしいと招いてくれたのが最初。清水さんのお店ではライブしたり、常連だったけど、まだアルバムも出す前だったのになぜか呼ばれて。2011年か2012年くらいかな? 『ヨンヨンスン』を出す前。

――清水さんが初めて親しくなった日本人?

雨乃日の双子みたいなカーリー・ソルってカフェがあって、当時、日本のインディーの音源を輸入して売ってた。そこに日本から誰か来たらよく対バンさせてくれて、日本のミュージシャンと知り合うようになった。だいたい同じ頃。清水さんの披露宴はカーリー・ソルのオーナーやパク・ダハムも一緒だったんだけど、彼らがせっかくだからと言って東京でもライブをしたし、彼らの友だちがいる松本でもライブをした。

――印象は?

天国みたいだった。あまりにも清潔で、静かで。ただ、松本かどこかで当時のバンドのドラマーだった彼氏と住宅街を歩きながら、こんなに静かだと人々はどこで泣くんだろう? と思った。私はいつも大声をあげて叫びながら泣くから、ここでは暮らせないと。今は当時ほど泣かないけど、その頃は毎日泣いてたから。

――その最初の印象が変わっていった?

大きく変わった。言葉ができるようになるにつれて。

――日本語は勉強したの?

最初は勉強しなかったけど、韓国で対バンしたバンドで、日本でライブするときに手助けしてくれた人たちと話したくて。英語ができない人が多いから、私が知ってる日本語の単語だけでも一生懸命に話そうとすると喜んでくれて、もっと話したいって気持ちになった。2回ほど日本に行った後、とくにナリタやユキと出会ってから、この人たちと話したい、話さなくてはと思って、日本に留学経験のある友だちのレッスンを受け始めた。月に5万ウォンあげて、週1回とか月1回とか、時間があるときにちょっとずつ。年に2回3回と日本に行くことが増えるなかで、少し習っては実際に使い、それを繰り返した。

――やっぱり、人の縁だね。ナリタとユキは、エッセイでも出会いのエピソードからちょくちょく登場する、一番の友だちだもんね。

うん。日本では彼らとの出会いが大きい。東京に来ると、ふたりの家に泊めてもらって、彼らは英語ができるから最初は英語で話した。でも、英語だとどうしても自分じゃない他人のようになるから、これは違うなと。ナリタもユキも英語のときと日本語のときは違うし、私も英語で話すとちょっと気取った感じになるから、バカっぽくても日本語の方が気楽で。その頃、ふたりが私につけたあだ名が九官鳥。何でも口真似して反復するから。でもそれで上手くなった。

――そういうなかで日本に友だちや知り合いが増えて……。今、日本ってどういう場所?

今は、ただソウルが広がったような感じ。移動時間が少し長いだけで。

――ひとりで行動するのも大変じゃない?

全然。前は、外国にいる、韓国の外にいるって感じだったから、ソウルだとなにかと痛くなるあごも痛くならなかったし眠れたけど、今は全然そうじゃない。日本でもソウルと同じように緊張感があるし、ああ日常だと。

――彼氏も日本人だし。

タケシもユキの紹介。タケシはユキが助監督した映画に出てたんだけど、今は韓国で版画を習ってるからといって、紹介された。

――タケシとのコミュニケーションで問題はない?

タケシはそのとき韓国生活5年目で、韓国語ができたから。

――韓国の男性と違うとか思うことはある?

そんなのはない。何人だろうがみな人間だから。韓国人でも日本人でもクズはクズ。外国人の友だちや知り合いも多いし、かつては好きな人もいたし、大学にもいろんな国からの留学生がいたけど、クズはクズだし、いい人はいい人。

――昨日、日本版のエッセイ集が完成してものすごくうれしかったとインスタグラムに書いていたけど、なぜ? 前回のインタビューでは、作品は完成してしまったら出ることにとくに感慨はないと言っていたのに。

まず、本を作るプロセスが韓国と大きく違った。韓国ではスルスルッ、ポン! って、素早くできちゃう感じ。韓国の出版社だと、文章を書いて送ったらゲラが来て、戻したら終わり。すぐ本になる。でもその分、誤字がたくさんあったり。でもそれでいいというか、デザインなんかも、「こうなりました」「はいそれで」みたいな。今回、日本では、編集者の當眞さんがきっちり細かくやるのを見て、感動したところはある。デザイナーや営業の人とも会ったり。ここまで一生懸命やってくれるんだって。こういう日本的なやり方に苦しむ人もいるかもしれないけど……。日本だとライブも何か月も前から連絡取り合って準備してチラシ作って広報してって、細かく丁寧に進める。最初の頃は驚いた。

昨日、この本にたくさん出てくるユキやナリタ、ポートレートを撮ってくれた写真家の熊谷直子、スウィート・ドリームス・プレスの福田さんと一緒にいるところで、出来上がった本を直接もらって、直接みんなに見せることができて、とても感動した。ユキもナリタも涙ぐんでた。韓国でもこの本が出たとき、本に出ているヘミとかが一緒に喜んでくれて感動はしたんだけど、そのときは20冊くらいドサッと宅配で届いたからそこまででもなくて。

――ユキもナリタも読める日本語でやっと、だしね。

そうそう。ついにイ・ランがなんて書いたかわかるって。でもそもそも韓国でこの本を出すとき、なぜ私が本を出すのかが全然わからなくて。

――出版社から話が来たんだよね?

うん。でも20代のインディー音楽をする女の言葉を、なぜ人々が聞かなくてはならないのか? と思った。

――今でもそう思う?

今もよくわからない。今は一応仕事になったから慣れたのもあるけど、改めて読んでみても、これはいったい他人にとって読む価値があるものなのか? という疑問が……。自分としてはああこういうこともあったなとか、ちょっと痛々しいところもあったりだけど、それをなぜ他人が読むんだろう? って。だから、最初に本を出そうと言われたとき「1stアルバムを出しただけのインディー歌手の本を出す価値はない」と断った。結局、2ndアルバムを出すまで待ってくれて、出すことになった。それまでに発表した文章もなかったし、なんで話をくれたんだろう?

――歌詞を見てとか?

わからない。ただ、「出して大丈夫」って編集者が言ってた。

――でも子どもの頃、作文が上手くて賞をたくさんもらったんでしょ?

書くのが上手って言われるけど、上手い人は世の中にたくさんいるでしょ? 小説として物語を作るわけでもなく、ただの日記のようなエッセイだし。私が読みたいエッセイは、いろんな作品を作っている人がどんなことを考えてそれを作ったのかとか、そういうのなんだけど。私はまだ経験もないし若いし、すごく売れたアイドルでもないし。とにかく編集者が早い段階で連絡をくれて、待ってくれたのが、とても不思議。ハンさまは読んでどう思った?

――とても面白かった。文章上手いと思うよ。

ありがとう。

次回へつづく)

■イ・ラン(Lang Lee)

1986年ソウル生まれ。シンガーソングライター、映像作家、コミック作家、エッセイスト。16歳で高校中退、家出、独立後、イラストレーター、漫画家として仕事を始める。その後、韓国芸術総合学校で映画の演出を専攻。日記代わりに録りためた自作曲が話題となり、歌手デビュー。

短編映画『変わらなくてはいけない』、『ゆとり』、コミック『イ・ラン4コマ漫画』、『私が30代になった』(すべて原題)、アルバム『ヨンヨンスン』、『神様ごっこ』を発表(2016年、スウィート・ドリームス・プレスより日本盤リリース)。『神様ごっこ』で、2017年の第14回韓国大衆音楽賞最優秀フォーク楽曲賞を受賞。授賞式では、スピーチの最中にトロフィーをオークションにかけ、50万ウォンで売ったことが話題となった。

日本では今後、柴田聡子と共作したミニアルバム『ランナウェイ』が2月7日にリリースされるほか、2月7日、8日には東京・新代田FEVERで5人編成のバンドセットによるワンマンライブ2DAYSが、同日から隣接するカフェ兼ギャラリーRRで「イ・ランのことばと絵」展が開かれる。最終日の3月19日にはFEVERでトークイベントも。

「リトルモアnote」2018年12月13日付より転載)

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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