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〈Interview イ・ランになるまで〉4. 誰かと共に生きること

韓東賢日本映画大学教員(社会学)
(写真は本人提供)

前回からのつづき)

――エッセイでもそうだし、新曲『よく聞いていますよ』を聴いても、おしゃべりしてても、ランちゃんがずっと問い続けていることがわかるんだけど、突き詰めると「なぜ人々はこういうことをするんだろう?」っていう問いで。つまりは他者を知りたい、世界を知りたい、という。とくにエッセイは基本的に自分語りで赤裸々かつとても内省的でありながら、他者がいてこそ自分がいる、世界があってその中に自分がいる、そんな感覚が強いように思う。

うん、そうそう、正しいね。

――芸術家って、見ろ、聞け、これが私の自己表現だっていう人も多いなかで、ランちゃんは違うんだよね。他者がいてそこに伝えたい表現があるっていう感じ。自己満足じゃない。問いかけるのも、他者に対する欲望がとても強いからじゃないかな。

16歳の頃のインタビュー記事は、タイトルが「この世界のすべての人と友だちになるのが夢」。

――人が好きすぎるというか、人に執着するよね。

人というより、人との関係に。それさえあればいくらでも仕事ができる。ひとりでいることや、ひとりで何かすることが嫌いだから。ハンさまと会えば、ハンさまとの間でできる話が浮かぶし、それで何でも作れる。友だちや周りの人たちとの関係で役割を果たしたい、友人関係や恋愛関係で認められたいという気持ちが強いのは、家族関係の裏返し。もし家族のなかで安定していた人だったらここまでじゃなかったと思う。

だから、まずは友だち、直接会ったことのある人が一番大事。その次は何度か顔を見て知ってるファンとか、レクチャーやワークショップの生徒とか、そういう人とは会うたびに少しずつ近づいてる感じがあるんだけど。でも、顔を知らない、どこかで作品を聴いたり読んでくれる人のイメージはわかないし、ライブ会場がお客さんで埋まると、なんで来たの? という気持ちになる。なぜお金を払ってここまで来てるの? という申し訳なさとありがたさと。

――その辺は、以前よりお客さんも増えて影響力も持つようになるなかで、プレッシャーになる?

それはあって、その分サービスしなくてはと思うから、とてもエネルギーを使う。よりよいライブのためにたくさん準備はするけど、お金を出す人々にとって何か得るものがなくてはと思うから、ライブ後のサイン会も、コミュニケーションでもなんでも、やれるものならもっとやりたい。ライブでもゲームやビンゴをしたり、抽選でプレゼントをあげたりっていうのもよくやる。

――ファンは、音楽を聴いて、本を読んで、それだけで十分なところもあるんじゃないかな?

でもライブ会場まで来るエネルギーって尋常じゃないと思うから、ひとりひとりに返さなきゃなと。もともとは自分のため、友だちのために歌うのがすべてで、友だちに歌をプレゼントしたり一緒に物語を作ったり、そういうことが楽しかっただけなんだけどね。

たとえば去年、ドラマの撮影をしたんだけど、スタッフが60人以上もいて、現場では私が監督だから、60人全員を知らなくてはいけないという負担感、いや責任感のようなものがあって。私の名前が一番上に出る仕事だから、そのために60人が徹夜すると思うと、私は本当に悪い人だなって気持ちにもなるし。とくに、一番下にいる人たちが何も言えなくてつらい立場なのを私は知ってるから。バンドでセッションするメンバーもイ・ランという名前のために来てくれるわけで、ちゃんとしてあげなきゃといつも思ってる。

――そういう気持ちは大事だと思うよ。大きい仕事をしていくうえでは。そういう意識がない人が上に立ってはいけないと思う。じゃあ、もしひとりで無人島に暮らすことになったらどうする?

暮らさない。なんで私が無人島に行かなきゃいけないの?

――じゃあ核戦争か何かで、地球上に自分だけが生き残ったらどうする?

生きない、生きない。

――死ぬの?

なんで生きるの?

――じゃあ飼い猫のジュンイチとだったら。

生きなきゃ(即答)。ジュンイチのウンチを片づけなきゃ。

――でもジュンイチはしゃべれないし、どうする?

いや、ジュンイチは何でも知ってるから。しゃべれなくないよ、しゃべれるよ(笑)。

とはいえもしひとりぼっちになったら、何か探すと思う。人間として生き残りたいってより、何があるか見に行こうと歩き回ったり、面白いものを発見したら、何かプロジェクトを考えつくかもしれない。地図を作ってみようとか。

今年、ワークショップでとても難しい生徒がいた。年上の女性だったんだけど「これをやったら何の意味があるんですか?」って、すべてに意味を求める。曲を1曲作ったからって突然生きる意味が生まれるわけでもないし、そればかり考えてると何もできなくなる、みんなただ生きたくてここに来ているんだって言ったんだけど。私も生きたいから、生きる方法として創作をすることもあるし、人と共有することもある。こんな風にいくら話しても、彼女は最後まで「意味は?」と。

私は、ひとりで地図を作って誰も見てくれなくても別にいい。作った、では次に何をしようか? って。地図を作っている最中にも、次にやりたいことが出てくる気がする。建物を建てて街をつくったり。私しかいないから、誰かが住むわけじゃないんだけど(笑)。

――話を少し戻すけど、本を書いたり音楽を作るうえで、今もやっぱり友だちが念頭にある?

一番胸が痛いのは、友だちがいっぱい働いてもお金をあまり稼げない構造になってること。気軽に会えないくらい夜通し働いてるのに、いつもお金がなくて、家賃も払えない。だから昔から友だちには「私がなんとかするから」ってよく言ってた。今日は友だちが集まるチャットルームで「私が大統領になるまでもうちょっと待って」って。

――大統領とまでいかなくても、みんなでよく暮らせるような何か、会社とか、協同組合のようなものとか、考えられたりしない?

うん、そういうことを考えるだけで楽しいね。何かが得意な人を紹介し合ったり、コラボを企画するのが好きだし、ユートピアのようなものを作りたい欲望もある。「私が大きな家を買って、みんなで暮らせるようにするよ」って本当によく言ってた。友だちのことで一番悲しいのは、お金に負けるような感覚? 横にいても何もしてあげられない、その絶望感が。

――じゃあお金をなくしちゃおうか。

うん、いい考え。たとえば金とかダイヤモンドって、ただピカピカ光っている物体であって、なぜこんなに価値があるの? それが不思議。

――そういう約束事になっているからだよね。それ自体に価値があるのではなく。

お金も単なる数字だし、私たちの頭の中にあるただの錯覚なのに、不安に思うのは不幸だよ。だからこの足かせから解かれなくてはならない、そのためにはこうしなくてはああしなくてはって友だちに言うんだけど「頭大丈夫? 狂ったのか?」って反応がくる。でもそういう私のこと、面白いって。

――そういう人は必要だよ。そういう人が歌を歌ったり、芸術をするんだと思う。芸術家の仕事は慰労、癒しを与えることだと言っていたけど、ランちゃん自身は何からそれを受ける?

私がよく泣くのは、自分で自分を癒さないといけないから。

――自分を癒してくれるものがないってこと?

孤独なとき、いつも友だちに連絡するわけにもいかないし、一緒に暮らす人や猫のジュンイチが大きな安定感を与えてくれるわけでもないし。本当に孤独なときは、自分の感情を自分でコントロールしなきゃいけない。でも、その方法を一緒に考えてくれる友だちはいる。

――自分が表現をすること、つまり歌を作って歌い、文章を書き、絵を描く、そういうことは自分自身の癒しにはならないの?

癒してくれなくはない。

――でも、孤独なときは孤独だと。

人はみなそうでしょ。私はひとりだと感じるときがとても怖い。たとえまわりに人が多くて有名でお金がたくさんあっても、孤独だ、私はひとりだ、そんな気持ちはどうにもできない。やっぱり、家族との関係が昔から安定している人は、その辺があまりないように見える。私はそれが難しかったから、恋愛にも執着したし、でも恋人とだって別れが来るからとてもショックを受ける。過去に、恋愛が上手くいかなかったとき、2回自殺未遂をしたことがある。

死にたいっていう思いより、私を支えてくれるものが何もないから私はひとりぼっちだ、という気持ち。私が今何をどうしているのか誰も知らないんだ、と気づくその瞬間がとても苦しくて。家でガス自殺をしようとしたときは、ジュンイチが私を救ってくれた。当時の家は1Kだったんだけど、ジュンイチを殺すわけにいかないから餌と一緒に部屋に閉じ込めて、キッチンと部屋の間のガラスを抜いた窓もガスが漏れないように一生懸命ビニールで覆って。あとは睡眠薬を飲んでからガス栓を開くだけ、というときに、ずっと鳴いてたジュンイチがビニールを破ってキッチンに入ってきた。

――若い頃のことだよね? 聞いていいのかわからないけど、これからもそういうことってありそう? もうなさそう?

うーん。今の私が一番つらい瞬間は、友だちが死ぬこと。それがよく起きるから、とてもつらい。私は友だちのおかげで耐えて生きてるから、誰かが生きるのを放棄したらとてもつらいけど、でもなんで放棄するのかもよくわかるし……。放棄するプロセスが見えると、理解できるからこそつらいし、でもいなくなってしまうともっとつらいから、それに耐えられるだろうか? と。

――でもみんなで死んじゃうわけにはいかないわけで。

だから、あの歌(『患難の世代』)を作った。友だちが死んでいるか生きているかを確認することが日課になってて、しばらく連絡がないと、気にして家に行ったりする。そのために友だちの家は把握してる。もしひとりで死んでしまったらかわいそうだから。とてもつらい思いをしていることはよくわかるし、その理由もみな似通っているから。

――管理人みたいだね。みんなで生きないと。

その子が生きていたら私も生きているから。

――そうやって一緒に生きたらいい。お互いを管理しながら。

非常時連絡網で。

――人はひとりでは生きられないから、やっぱり。

そうだね。今こうして話ができて、対話が成立していることが、幸せ。人間関係においてとても重要なこと。インタビューなんかでも、同じ言語なのにまったく通じないことも多い。対話が成立するって、人間社会で一番驚くべき奇跡だと思う。人間が持つうちでもっとも素晴らしい才能かも。

――歌と対話は違うの?

違う。歌は、すでに考えがある程度整理された言葉。

――対話は、対話しながら考える?

対話しながら考えが整理されていく感じが気持ちいい。人間だけの特権だと思う。あ、でも動物同士もそういうのってあるのかな?

(おわり)

■イ・ラン(Lang Lee)

1986年ソウル生まれ。シンガーソングライター、映像作家、コミック作家、エッセイスト。16歳で高校中退、家出、独立後、イラストレーター、漫画家として仕事を始める。その後、韓国芸術総合学校で映画の演出を専攻。日記代わりに録りためた自作曲が話題となり、歌手デビュー。

短編映画『変わらなくてはいけない』、『ゆとり』、コミック『イ・ラン4コマ漫画』、『私が30代になった』(すべて原題)、アルバム『ヨンヨンスン』、『神様ごっこ』を発表(2016年、スウィート・ドリームス・プレスより日本盤リリース)。『神様ごっこ』で、2017年の第14回韓国大衆音楽賞最優秀フォーク楽曲賞を受賞。授賞式では、スピーチの最中にトロフィーをオークションにかけ、50万ウォンで売ったことが話題となった。

日本では、柴田聡子と共作したミニアルバム『ランナウェイ』が2月7日にリリースされたほか、2月7日、8日には東京・新代田FEVERで5人編成のバンドセットによるワンマンライブ2DAYSが、同日から隣接するカフェ兼ギャラリーRRで「イ・ランのことばと絵」展が開かれている。最終日の3月19日にはFEVERでトークイベントも。

「リトルモアnote」2018年12月18日付より転載)

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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